おはようございます。

お庭のバジルを摘んでピザにのっけました♪♪

野菜の苗たちの成長も日々楽しいです。





さて、著名人の方々が多くお亡くなりになられ

「どうしてあの人が」「あんな明るい人が」「うまくいっていそうなのに」てこと、たくさんありますよね。


外から見たら分からないことなんて山ほどあります。


私も20代の頃

大腸の闘病中に自死しようとしたことがあります。


肩関節の手術をし骨折中でもあったので

腕に巻いた三角巾?みたいな布をはずし、

それを洋服をかけるためのポールにまきつけ

首を吊ったことがあります。



「自死はいけないことだ!」なんて

言う方がいらっしゃいますが

「ダメ」「ダメじゃない」を散々悩んだ末に、

考え抜いた末に「死ぬしかない」と

そこを越えてしまう感覚に襲われ続けます。


危うい人は

身近な人が自死をしたのを見ると

「あー、自分もいつか、こうなるんだな」と思います。

私が、そうでしたから。



ものすごい『絶望感』の中にいるんです。

ブラックホールにいるような、真っ暗な真っ黒の世界に、たった一人でいる浮かんでいる感覚です。

『絶望感』て、こんな感じなんだな、、て思いました。


そこから完全に死に至る方法を調べていた私は

行動にうつしました。


首を紐にかけ、

気を失っていく自分のことも分かりました。

最後の最後に

お腹の底から「たすけてー」て声が聞こえてきて、

驚いた記憶もあります。


今思えば

このことがきっかけで、

「お腹の中にいる自分が本物で、心はお腹の底にある」

「頭の自分は行動をつかさどる自分なんだ。それは誤作動をおこす」

と、生き残った私は感じていて


「南無阿弥陀仏は声の仏様」の話と、

自分の体験から


自分の腹の底に阿弥陀さんがいるのかも?

いつも一緒にいるのかも?、、と気づかせていただくことになりました。


私が今でも生きているのは

唯一、私が心を開いていた大型犬のラブラドールのシャイン(光って意味)の犬が


痩せこけた私が首を吊っていたポールを

どうやら倒したらしく、

目覚めたら横に寄り添ってくれていました。

助けてくれたんですね。



彼には「たすけて」の私の腹の底の声が聞こえたのかもしれません。



この日以来、

私とシャインが遠く放れて過ごしていても

私が出血するたびに、シャインも必ず出血し

一心同体のような状態になりました。

それはそれは不思議な日々でした。


そんな日々が何年も続き、

シャインは出血しながらも大型犬では異例。

20年ほど生き、私の誕生日の前夜に亡くなりました。


私が動物や虫とコンタクトをとりやすい体質になったり、変わったご縁とつながるようになったのは、それ以来です。

シャインに半分命をもらい、

私のなにかを半分シャインに渡し、

交換したのかもしれないなぁ、、と思っています。



真宗では

「もって生まれた命は生ききる」と言われています。

死に至るご縁が、事故なのか病気なのか、自死なのかの違いはありますが、お亡くなりになられたのは

もって生まれた命を生ききってのことです。


まだ私は生ききってはいないということ。


南無阿弥陀仏

すこやかな一日を。