僕は数年前まで極度の「あがり症」
でした。
だいぶ克服してきましたが、今でもまだその傾向は残っています。
とにかくむちゃくちゃ緊張するんです。
緊張するとどうなるかというと…
例えば、無茶振りで意見を求められたとします。
名前を呼ばれた瞬間、
ドキっ‼!
として、頭が真っ白になって、声が出ない、呼吸がおかしくなる…
あるいは…
これからイベントが始まるとすると…
尿意が止まりません…
初めての場所(コミュニティ)に行くのは、恐ろしくて恐ろしくて…
なぜ、こんなふうになるんでしょう。
これ、答えは明確です。
他者からの評価にフォーカスしすぎるからです。
分かりやすく言うと、まわりの目が気になるからなんです。
「みんなから見られている」
この不安感がエスカレートすると、学校に行けない、会社に行けない、外に出られない…
という事態になります。
これ、誰かに相談すると、決まってこう言われるんです。
「気にせられん!」って。
「気にしなくていいよ」「なんともないよ」「大丈夫だよ」
そんなことは分かってるわ!そう言われても気にしてしまうから困ってるんやん!
って話なんです。
まわりの目が気になって仕方がない
マスクをしていないとまわりの目が気になる
県外に行ってきたことがバレるとまわりの目が気になる
仕事をせずにずっと家でいると、ご近所の目が気になる
会社で仕事をしていると、怠けているように思われていないだろうか
楽してると思われてないだろうか
ヘタクソと思われてないだろうか
ポンコツと思われていないだろうか
無意識にまわりの目を気にしてるんです。
じゃあ、ちょっとあなたにお聞きします。
まわり って、誰のことですか?
たとえば、仲良しの友だちと1対1で話すときって、緊張します?
家族と一緒にいるときって、緊張して動けなくなることあります?
もしそうである場合は、だいぶヤバいところにきてるので、セラピーにきてください。
では、コンビニの店員さんはどうでしょう?
見ず知らずの人に道を尋ねるのはどうでしょう?
僕は、この場合でもまあまあ緊張します。
が、多くの人は、ぜんぜん知らない人なら話すときに緊張はしないという人が多いようです。
ホントに緊張して、固まってしまう相手っていうのは、なんとなく知っていて、複数いることが多いようです。
実際、あなたはどうですか?
「まわりの目が気になる」と思う「まわり」とは、あなたにとって誰の目なのかを具体的に特定してみてください。
そして「目が気になる」というのは、言い換えれば、「まわりの人が自分のことをどう思っているかが気になる」ということですよね。
例えばどんなことが気になるんですか?
外見ですか?
知性ですか?
人間性ですか?
どう思われているか気になるということは、そこにあなたはこだわりを持っている、自分自身が大事にしているポイントだということができると思うんです。
実は、無意識にかもしれませんが、自分が生きていくうえで大切にしているポイント
私は話し上手に見られたい
私は美しく見られたい
強い人間に見られたい
かわいい人と思われたい
逆に言えば、期待通りだったら、めちゃ嬉しいポイントともいえます。
いいですね。
人は誰しも、自分が大切にしてきたこと、こだわっていることを必ず持っています。
ただし、ひとつだけお伝えしておきます。
そのこだわりはあなただけのものであって、まわりの人にとっては、どうでもいいこと。
きびしい言い方をすると、まわりの人にこう見られたいという期待は、自分勝手な期待なんです。
そして、何より重要なことは、あなたは自分自身で「こう見られたい」という期待を勝手に否定していることにあります。
つまり、まわりの人は、「どうせみんな私のことなんて××だと思っているんだろう」と、自己判断しているんです。
そして、「ああ恥をかいた」「ああ恥ずかしい」「私やらかしてる」
と、まわりからの評価を自分で否定的に決めちゃってるんですね。
私ってダメなんだ、みんな私のことをダメな人間だと思ってる…
この負のサイクルに陥り、そうするとますますまわりの目が気になり、委縮して動けなくなるんです。
こうした思考をする人の特徴として、「こうあるべきだ」という考えに支配されている人が多いように思います。
「子育ては完璧であるべきだ」
「宿題はすべきだ」
「家事はこなすべきだ」
「仕事は迅速であるべきだ」
「明るい私であるべきだ」
「間違わない人間であるべきだ」
「流暢にプレゼンできるべきだ」
もちろん、そうであった方が望ましいでしょう。
でも、そんななんでも完璧にでき、ミスを犯さない、欠点も何もない、誰からも尊敬され愛されるパーフェクトヒューマンっています?
こんな人間になりたいという目標を持つことは素晴らしいことですが、それがまだ実現できていないからといって、自分に×をつける必要がありますかね?
「こうありたい」という未来の状態と今現在「こうである」状態とを比較していれば、常に今の自分は劣っている状態です。
「未来」と「今」とを比較してるんです。
はっきり言って、どうあがいてもぜったい「今」は「未来」に負けます。
でもね、「過去」になら勝つ可能性はありますよ。
他の人の目が気になる場合もそうなんです。
他の人の目イコール「自分が考えるあるべき姿」となっていて,まわりから「あるべき」自分とみられていないことが気になってしまっちゃうんです。
例えるなら、「家事育児と仕事を完璧に両立できる母親であるべき」と他の人にも見られていたい。でもそうはまわりは思ってくれていないだろう・・・
と気になってしまうんです。
ですが実のところは、まわりの人は、あなたが家事育児と仕事を両立してようがしていまいがどうでもいいでしょうね。
そこに意識を砕くことは、客観的には無駄骨を折っていることでしかありません。
そして、もうひとつの問題は、まわりから自分がどのように見られているか気になってしまう人は,自分が「みられる」ということに意識を向けすぎてしまっちゃってるということです。
心の矢印が今、どっち向きか意識してみてください。
おそらく自分方向に向いています。
その場合は「見られる」ことよりも「見る」ことに意識を向けてみてはどうでしょう?
「見る」の矢印は?
先っぽは相手を向いてますよね。
例えば、あんな人にはなりたくないな、あんなふうに思われるのは嫌だな
というような自分にとって、悪のモデルっていませんか?
その人を観察してみてください。
(観察するというのは、矢印が相手に向かっている状態)
そして自分との違いを分析してみましょう。
まわりの人は、その人のことをどう見ていますか?
意外と、そうやってみると、自分の自意識が過敏に反応しすぎていることを俯瞰できるかもしれません。
失敗したらどうしよう…
ミスったらどうしよう…
恥をかいたらどうしよう…
いいじゃん!別に…
ダメならダメで。
将来、目標に向かって進んでいればいいじゃん。
スピードは遅くても、それが今の自分の精一杯なんだよ。
とにかく今の自分にまる〇をつけよう!
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