ふと、こんな妄想をするんです。
コンビニの駐車場で、ある女性が二宮金次郎のようにスマホを見ながら歩いている。
まったく周りが見えていない…
すると、ちょうどそこへ車が走ってきて、このままいけばその人と接触する!
危ない!
とっさに僕は駆け出し、その女性を助けようと、走り出し、彼女を抱え込む!
なんとか車との接触は免れました。
でもその拍子に、彼女の手にしていたスマホが、彼女の手から離れ、地面に衝突!
スマホの画面にヒビが…
すると、彼女が怒り出しました。
「何するんですか!スマホが壊れたじゃないですか!弁償してください!」
こうなったら、僕はどうするだろう?
あの…
あくまで妄想ですよ。
僕は、彼女の命を救おうとした。
そして、結果的に救うことができた。
でもその代償として、彼女のスマホを壊してしまった。
みなさんなら、どうですか?
たぶん、僕はこう思うでしょうね。
は?命助けたんだぜ!
それなのに弁償せなアカンの?
俺が助けなきゃ、スマホどころじゃ済まないぜ!
まずはお礼を言うのが筋だろう?
って。
けど、一方でこう思いたくない自分もいるんです。
ああ、命が助かってよかった。
スマホ壊しちゃった。ごめんね…弁償します…
こんなふうに心から言える人間になりたい…って。
なぜなら、感謝されたいからやったことじゃないはずでしょ。
純粋に人の命が救いたいから行動した。結果、救えた。よかった!成功じゃん!
でも自分の目標達成の過程で、相手のスマホを壊してしまった。自分の目標達成のためには、代償は仕方ない。
命を助けることができたなら、スマホ代なんて安いもんさ!
こんなロジック…
おかしいですか?
彼女側のロジックで言えば、助けてなんて頼んでいない。
頼んでいないことをされて、スマホを壊された。あなたが壊したのよ、弁償してください…
そう思う人は当然いるでしょう。
でも…
助けていただいてありがとうございました。うっかりしていました。
スマホなんて、ぜんぜん構わないです。私が悪いんですから。
というセリフを期待してしまいますよね。
残念ながら人はみんなそれぞれの価値観を持って生きているんです。
期待通りの考えを示してくれるとは限らないし、それを他人がコントロールすることなんてできやしない。
ところが私たちは、自分の価値観で勝手に相手に期待して、期待外れだったら、腹を立てたり、落ち込んだりしてしまう…
あなたはあなた
わたしはわたし
あなたは私の人生を生きていないし、わたしはあなたの人生を生きてはいない
~ゲシュタルトの祈り
ただ、人間って、ロジックだけでは生きていないんですよね。
感情とともに生きているので、そんなに簡単に割り切れないんです。
でも目指すんです。
僕は、カッコいい大人になりたいので…
見返りを求めないで、人を救える人間にいつかなりたい
なので、こんなバカな妄想でシュミレーションをして訓練してるんですけどね。