この鉄道は大正2年に味野~茶屋町間に開業した下津井軽便鉄道である。翌大正3年には、
味野(児島)~下津井までの全線が開業した。昭和47年3月31日には、モータリゼーションの影響により児島~茶屋町の間が廃止されている。廃止区間の線路用地は倉敷市に譲渡され自転車道として整備されている。また茶屋町駅付近は、再開発により遺構は残されていない。
児島~下津井 間は、道路整備が遅れていた事と下津井~丸亀間の航路に接続するために、途中駅の無人化、ワンマン運転の実施などの徹底した合理化を実施することにより、赤字をを少なくする事により、バス事業の利益で平成2年まで存続することができた。
茶屋町駅近くにある、駐輪場より廃線敷きを利用した自転車道が始まります。
途中にある橋の橋脚部分は下津井電鉄時代の物が転用されていたりします。
藤戸駅跡には当時使われていた駅名標でしょうか。かなり古そうに見えます。
因みに、この地、一帯は平安時代末期に勃発した源氏と平氏が戦った源平藤戸合戦の地でもある
山の中を廃線跡が進みます。
場所によっては道路用地に吸収されて
廃線跡が判らなくなっている場所もあります。
既に廃止されて40年近くが経過しており、
その間に開発が進んでしまっています。
稗田駅跡も残っていました。交換可能駅だったそうだ。駅舎跡地は、「稗田さくら公園」として整備されており
このプラットホームも当時の物ではなく復元されたホームだそうである。
児島市内の住宅街を廃線跡は進みます。下津井電鉄児島につきます
伝説の少年
昭和30年代、とある少年には当時、大相撲の力士をしている兄がいた、少年は力士である兄の取組をみて岡山に帰ってきたが夜も遅く終電は出た後で、岡山駅から宇野線の線路を歩いて茶屋町駅までたどり着き、少年は、次に下津井電鉄茶屋町駅から下津井電鉄の線路を歩いて児島駅まで行き、駅から少年は自宅に歩いて帰ったと言う
ちなみに少年も兄の後を追い掛けて大相撲の世界に飛び込んで
兄は十両力士として活躍、
少年は関脇まで上り詰めて、現在では親方となり、相撲界の発展に力をいれている