今のうちに文字に落としておきたいなって思ったので。
きっともう上手く言葉には出来ないんだろうけど。
前にもう書いてあったものがあるけど今また新しく置きます。
ここまでの人生、みんなそうだろうけど凄く辛かったことが多くて。
色んなことがあった中で人と上手く関わることができなくなってしまって。
最後だし、別に苦労話をしたいわけじゃなくて、自分の人生を文字に残したくなった。
小学生の頃から素の気持ちで人やグループに溶け込むことが出来なくて。
中学はいじめに凄く凄く苦労した。
不登校になっても毎日毎日家に様子を見に来てくれた担任の先生、あの時は刺を立てながらの態度しか取れなかったけど本当に感謝しています。ありがとうございました。
不登校になって毎日家に篭っていても俺を責めずに優しく接してくれた両親。
買い物に行くのも同級生に会うのが怖くて下を向いて行くこんな自分を親はどんな気持ちで見るんだろうと毎日怖かったのを覚えてます。
学校にいけと毎日言われてもおかしくないのにそれを言わずに見守ってくれて。
学校に行くようになっても結局人付き合いが上手く馴染めなくて自分は人付き合いがちゃんと上手くできない人間なんだと中学生の頃に確信したのを覚えてる。
中学の頃集団の中で感じたあの気持ちは10数年経った今でもずっとそのままで、あの頃のまま今まで生きてました。
高校生になってもやっぱりいじめはあって。
美旗駅だったかな。
血だらけになるほど殴られて帰ったり毎日が本当に怖くて結局不登校になって。
その時の担任のぬりや先生も本気でそのことに向き合ってくれる人でした。
俺が更衣室でどんな目にあったか聞くと自分の家族のことのように腹を立ててくれましたね。
ただの一生徒なのに本当に大切にしてもらったなと今でも感謝しています。
大学生になってからもあまり変わらなくて。
いじめなんてない大学だから凄く嫌な思いをすることはなかったけど、友達感でも自分だけ浮いてしまうというか上手く馴染めなくて毎日人の顔色にビクビクしながら過ごしていたなと。
それでも大学で得た人間関係は凄く大切です。
野尻ゼミのみんなや野尻先生は本当に居場所をくれたというか。
卒業してもどこかで関われるような関係を残してくれた凄く良い仲間や空間だったと思います。
はらゆーやひなちゃん、のどかの結婚式は本当に嬉しかったです。
大学時代一番お世話になったのはやっぱりゆみ(浦島)で。
凄く凄く迷惑だけどかけたけど自分を物凄く成長させてくれた人だなと思います。
今でもとても感謝してます。
大学を卒業して。
社会人になって。
最初の仕事は常軌を逸したものだった。
気持ちや体を壊してしまって。
俺がもうダメだと親に直接言った時、涙ながらにもう少し待ってと必死になんとかしようとしてくれた母親の顔は今でも覚えているし馬鹿だからちゃんと言えてないけど感謝してます。
振り返れば、何度も本気で死にたくなったことがあった人生で。
普通の人は死にたくなるようなことがあっても死のうとはしないし。
でも世の中にはそこで本当に行動に移すかそれに近い状態のことや状態に陥る人もいて。
気持ちが弱いって言ってしまえば確かにそうなんだろうし根性が足りない、みんな我慢してる、とかよく言う人がいるけれどみんな得意なスポーツが違うようにみんながみんな同じ心のキャパシティなはずもないし、誰かに耐えられることも誰かには頑張ってても耐えられないものだったりする。
分かり合えなくてもいいと思うし、認め合えればそれでいいと思う。
それが一番難しいんだけど。
人はよく死にたいと言う人をメンヘラっていう便利な言葉で処理をする。
自分がそういうタイプじゃなければそれはもちろん100%理解できるはずもないし、大なり小なり否定は出ると思う。
どれが正解なんて誰にも証明できないけど、これだけは言えることは、本当に追い詰められている人が周りにいた時にそれをメンヘラって言葉で片付けてしまったらその人はそれで終わってしまうかもしれないということは頭に入れておいて欲しい。
別に俺の話ではないけれど、そんな人がいたらその人には、肯定までしなくていいけど否定はしないであげて欲しい。
最初の仕事を辞めてからが一番親に迷惑をかけた期間で。
本当に捨ててくれてもよかったレベルだと思う。
その期間はそれぐらいのひどい生き方だった。
本当に人に対してびびってしまっていた。
電話の音が鳴るだけで手が痙攣して涙が出て息が荒くなるような。
ずっとずっと動きたい気持ちと手の震えが戦う毎日で。
そんな中できっかけをくれたのがのだちゃんで(しのださん)。
一年ちょっとした介護はうまく言葉にできないものだった。
毎日が本当にしんどかった。
でも仕事ができない俺にほとんどの人が凄く優しく気にかけてくれた。
利用者さんのこともみんな家族のように大切だった。
宮澤さんや川口さんはお元気にしてらっしゃるんだろうか。
吉田ともやさん、いつもとても気さくに励ましてくれて気にかけてもらったのが嬉しかったし、辞めたあと手続きで施設に行った時、迷惑をかけて何も言えなかった俺に、小さく笑顔で微笑みながらそっと手をあげてくれましたね。
あれが物凄く嬉しくてあのあと泣きながら帰りました。
何よりも藤瀬さん。
本当に本当に感謝しています。
毎日限界まで働いてるのに僕の気持ちの崩れに気づいてくれたり気にかけていつも励ましてくれましたね。
本当に憧れていました。
あんな風になりたいといつも思ってましたし今でも目標です。
仕事をやめて手続きに行った時、謝らなければいけないのは僕の方なのに藤瀬さんが涙を流しながら僕に謝っていました。
今でも本当に申し訳ないと思っていますし同時に言葉に表現できないほど本当に心から感謝しています。
人のためになれない、人とうまく関われない、人に好かれない自分にとって永遠の目標でした。
しのださん、どうしていいか分からずにいた自分にこんな素敵な先輩や利用者さんに出会うキッカケをくれたのはのだちゃんでしたね。
あれから一年経つのに僕がやめた時に送ってくれたラインにはまだ既読をつけられていません。
施設にはいったとき、施設長から、しのださんに恥をかかせるような働き方はしたらだめだよ!篠田さんが誇れるように頑張ってねと言われ、それをいつも心に止めながら仕事してたけど結果としてああなってしまって、それなのに篠田さんが謝って来てしまって、申し訳なくてどんな言葉を選んで伝えればいいか分からなくて結局既読つけられませんでした。
本当にごめんなさい。
やめるきっかけになったことも、結局自分の仕事の能力が低いことと気持ちが弱いのが元凶で。
だから自分が悪いのにあんなふうに施設のみなさんに迷惑をかけてしまったこと、今でも本当に申し訳なく思っています。
同時にとても感謝しています。
とても優しく接してもらってありがとうございました。
経緯はどうあれ。
前の仕事を辞める時に気持ちや体が壊れていて。
もう死んでいいやってなってまさに死のうとしてた前日にたまたま親から来た電話に出てしまって病院に行って診断書を貰って。
そこまでの限界の日々に少し時間が入り込んだことで今ある貯金を全て使って最後だけ楽しい時間にしようと思って動き始めたのが2月か3月のことだった。
この貯金を使い切ったらそこで終わりにしようと決めて。
その頃はうつ病のような状態で病院で診断書も出され、気持ちが物凄く弱って周りが見えなくなってしまっていて、SNSによくそういう部分を出してしまって凄く多くの人に不快なものを見せていた。
聞こえるように言われたこともあるし、文字で死ぬならさっさと死ねというのを言われたこともあった。
本当に不快なものを見せていて申し訳なかったなと思う。
そこからは色んな時期に色いろあって気持ちが定まらなくて。
ちょっと大阪に一回くらいと行ってみたり京都に寄ったり(楽しかった。)
見ときたい音楽を一回可能な限り全部見とこうと思って2、3ヶ月過ごした。
4月のハックのオニリンは人生の中で一番のライブでした。
夏になってそこからはたくさん元気を貰った音楽に何かお返しをしたくなって。
それでライブハウスで働くようになった。
お金はどうでもよかった。
なんでもいいから少しでも人生の全てを支えてくれた音楽、ライブハウスってものにお返しがしたくって。
結果仕事の能力は低いから迷惑ばっかだったけど、てるなさんやじょーぶさんの所で何か出来たのはとても良かったです。
これからもライブハウスっていう場所がずっと誰かの居場所や逃げ場所や大切なものに出会う場所であって欲しい。
普通人は生きたいって思う人がほとんどで。
でも自分は本当に執着なくて。
今から死ねって言われたら即答でうんて返せるような気持ちでずっと過ごしてきたし、それは仕事を辞めたところから特に顕著だった。
死にたいというより生きたいと思えないって表現だろうか。
この貯金を使い切ったらそこまでと決めてて。
八月末にその時が来て。
死ぬ準備に買うものも買って誕生日の前後三日間くらいでもういいやと思っていた。
そこにりさが現れた。
あと1日遅かったらそこで終わってた。
ずっと何年も知り合いだったけど。
自分のためとなると何も頑張れない自分を物凄く頑張らせてくれた。
歳は俺の方がずっと上なのにずっと俺よりも大人でいてくれて。
ずっと我慢してくれてて。
凄く大切にしてくれて。
毎日頑張る理由ができて毎日が楽しくなった。
人生で出会った人の中で一番気が合う人だった。
でも自分のその居心地の良さに相手の苦労が見えなくて。
あのときああ思っていたんだといくつも知ると、内心分かってはいたけどあの時間がほとんど全て申し訳ないものに思えてしまう。
正直自分に自信がないのもあるけれど、りさが自分をどう思ってくれていたのか、本音の本音の部分、一番深い部分ではどうだったんだろうかと思う。
知ってるようで知らなかったというか。
きっと俺の知らない部分、違う時間もあったんだろうなとも思うし、ちゃんとりさの考えることにもっと深く理解を伸ばそうとしなかった自分が悪くて。
本当に苦労と迷惑ばっかりかけてたなと。
いくら謝っても足りないくらいで。
将来を台無しにはしてしまわなくて良かった。
きっとこの先凄く充実した人生が待ってるんだろうしいつまでも凄く応援してる。
書きたいことはたくさんあるけど上手く文字には落とせない感情だし言いたいことの2割くらいは電話で言えたので。
ありがとう。
頑張ってね。
とにもかくにも、
本当だったら死んでたはずのこの時間、3カ月間、りさのおかげで延長戦ができて、
新しくたくさんの人と仲良くなれて凄く充実した出会いや音楽、時間を過ごせたし。
りさと進む時に「この関係は必ずどこかで終わるだろうけどそれまではめいいっぱい大切にしよう。これが終わる時が来たらもうそこで元通り終わりでいい」と決めていたから、こうなったのもりさは全く問題なくて、むしろりさは感謝だけされる側で。
長ったらしい文章だったし、言葉足らずや表現が合ってない所は多々あるけど文字に起こしたいことの一部は文字にできたかな。
自分は周りの空気が読めない人間で。
人の感情を汲み取ることも苦手で。
だから物凄く頻繁に人を不快にさせたり喧嘩になったりした。
友達も家族も親戚も恩師もみんな本当にごめんなさい。
人に迷惑をかけることしか出来なかった人生で。
いいことも少しあったけど、人にかけた迷惑や邪魔さを考えれば本当にダメな人間で人生だった。
こんな人間に少しでも時間を割いてくれた人、本当にありがとう。ごめんなさい。
最後は10-FEETのback to the sunsetとかKUZIRAのblueでも聴こうと思う。
そして一番つじちゃんに感謝してます。
俺の最後の時間を楽しく過ごせたのはつじちゃんのおかげです。
本当に本当にありがとう。
みんなの人生が少しでも楽しくて笑顔のあるものになりますように。
本当に今までみんなすいませんでした。
ごめんなさい。