4月14日木 午後9時半前)
今年はPTA活動を再開。熊本市PTA協議会事務局にお邪魔していた際に第一震に遭遇しました。
すぐに自宅に帰り家族の無事を確認。キッチン回りで棚が引き出しごと抜け落ちてましたが、それ以外は多少散らかった程度でした。
大事をとって家族全員一階和室で就寝。
4月15日金)
通常出勤。朝からひたすら18時までお客様対応の電話。その間もひっきりなしに余震は継続。早めに切り上げ自宅の後片付けの続きを。
家族は大事を取って一階に寝る中、私だけ二階の寝室で就寝。
16日夜中1時半前に激しい揺れが襲いました。
家族はすぐさま玄関から脱出。私は目が覚めてはいましたが、ベッドの上で横になったまま収まるのを茫然と待っていました。家族からの叫び声にあとから外に避難しました。
町内全部といっていいほど路上に出ており異様な光景でした。
無数の懐中電灯が揺らめく中、断続的に激しい揺れが続き、車中泊を決意。校区の中学校の校庭に移動しました。
4時過ぎまで激しい揺れが続きましたが、いつの間にか眠りにおち、日の出とともに目が覚めました。
ラインやフェイスブックで真意が定かではない情報が飛び交い、冷静さを欠いていた私もついつい様々な情報を鵜呑みにしていました。
4月16日土)
中学校から帰宅。
せっかく片付けたキッチン周りはより一層ぐっちゃぐちゃ。風呂にためてた水は半分以上溢れ洗面所水浸し。粉の洗剤もそこら中に散乱。
二階寝室の書斎周りはパソコンモニターやカメラやプリンター、CD類が床に散乱。足の踏み場なんてもちろんありません。
とりあえず最低限生活できるように一階部分だけ整理。
午後から避難所となってる学校の様子見に。ここからボランティア活動が始まりました。
炊き出し、トイレの水汲みバケツリレー、施設内で次々に発生するありとあらゆる問題に対応してました。
幸いにも湧水地であったため、校内の湧水を生活用水に活用されておりました。本当にサバイバル。
夜は自宅一階和室で家族揃って就寝。
4月17日日)
朝から学校へ。
ひたすら空になりかけている学校トイレ3ヶ所のバケツ水汲み。
朝のおにぎりの分配で問題が勃発。長蛇の列の中頃でおにぎりが尽きました。
受け取れなかった方から非難の声が。その方と口論になりかけましたが、その後打ち解け、その方がリーダーシップを発揮し、避難者をまとめ上げる方向に好転しました。
一日中避難所でお手伝いをし、夜は自宅で就寝。
4月18日月)
仕事の合間というか、朝から避難所へ。
ここ二日間同様に朝からの流れに沿ってボランティア活動。
メンバーにも疲れが生じてきました。
4月19日火)
夜のみ避難所へ。
やはり当初はなかった諸問題が発生していました。
自治会が機能していないこと、支援物資が今になってどんどん運び込まれており在庫管理や仕分けにさく人員がいないとの事。
ボランティアで来られているママさんたちの悲痛な訴えに悩み、PTA会長及びおやじの会会長に相談。
4月20日水~24日日)
毎晩、親父ボランティアが集結。
自家用車に支援物資を満載し各町内に配達を頑張りました!
4月25日月)
市側が支援物資の絞り込みや配達の人材を派遣されるとこ事で、親父ボランティア活動終了。
コンビニ等も通常営業を再開してきたしぼちぼち元の生活に戻していきたい。
4月26日火)
5月頭から学校再開に向け各学校に動きが見え始めました。
中学PTAとして私も夜間にある町内を駆けずり回り自治会長や民生委員さんたちと協議。今後の対応について話し合いました。
随時更新予定