17日の火曜日に従兄が亡くなりました。
歳の離れた従兄ですがそれでも享年54歳(数えだと55歳になるのかな?)の若さ…
周りは勿論驚いた。
だがわたしは、体調が優れていないという情報を聞いていた。
それは数年前に伯父が食道がん&皮膚がん&リンパまで達して、12時間の大手術をしており、その前も胃がんで胃の全摘出をしていた。その後も術後の経過観察で大学病院に通っていた。そこで今年に従兄とバッタリ会ってしまい、そうなると従兄も隠せなく、伯父にはがんであることを告げていた。ただし、周りには迷惑や心配をかけたくない、手術をするその時は周りに告知するからそれまでは口外しないで欲しいと懇願していたという。
伯父も大手術をした身故、その気持ちは痛いほど分かったのだろう、周りには一切話さず結局従兄のがんのことは従兄の家族と伯父の家族のみ知ることで終わるはずだったが、夏にわたしがある人の事について聞きたいと、従妹に聞いたところ彼女は勘違いをしてがんである従兄の事を話してしまった。それでわたしも知るわけになったのだが、勿論そんな事情ゆえにわたしも誰にも言わず17日まで来た。
事実、従兄の母親にさえこの事実は亡くなるまでの超超超トップシークレットだった。
しかし、夕方伯父から連絡が入り従兄の○△が亡くなったとの連絡が入った。
母も初め名前を聞いてもまさか従兄がこんなに早く亡くなるとは思わないので、は?どこの○△?その人誰?と言う感じで動揺していた。その事を電話の受話器を置くと○△が今亡くなったって伯父さんから連絡が入ったと聞かされた。
勿論知っていたとは言えないので、何で?と聞いたが内心、この日がきたかと従妹にすぐ連絡をいれた。
少し話をし、直ぐにわたしの兄にも連絡をいれた。
その後直ぐに、葬儀を執り行う斎場に母と向かった。会場は従兄とは隣町ゆえ近く10分くらいで着いた。
中に入ると知った方の顔ぶれ。しかしそのほとんどが身内でこの日が来るのは時間の問題と覚悟していたのか涙でしんみりしている感じとはまた違った。
従兄の亡骸との対面…
抗がん剤に負け、30kg台まで体重が落ちたこともあり、副作用で髪も落ちてきていたがまた少し戻ってきていたという。
毎年、胃カメラを飲んで体調にはかなり気を使っていたらしい。奥様が看護師ということもあったのかもしれない。しかし昨年の検査では異常ナシ。そして今年、娘さんが就職で東京に出ることになりその準備だので追われ、そのあとにどうも胸焼けがしたり今一つ体調が良くなかったので、今年は早目に検査をしたそうだが、その時点で既にがんのステージⅣ、末期だったそうだ。その後、放射線治療をし少し良くなったら手術をする方向で進んでいたが、願い叶わず逝ってしまった。
従兄の健康的な想い出がある。
4年ぐらい前に従兄の奥様の勤めておられる医療機関で納涼祭が行われたので行ってみた。
偶然、従兄と会ってあっちの会場で無料の健康診断をやってるから行ってみたら?と促され行って受けてみたところ、実年齢より健康年齢が若かったことを従兄に話すと、『なんだ、それ位かぁ?俺はもっと実年齢より健康年齢が若いぞ!』と診断票を見せられた記憶が甦った。
あれほど若かったのに…
それに毎年検査をするほど健康に気を使っていたはずなのに…
まだまだ若いが為にがんの進行も早かったようだ。
今年は嫌というほど周りの人間に逝かれる。
7月に友人の友人。
先月は同級生と、また別の同級生の父親。
そして今回の従兄。
今回の従兄の死もショックであるが、7月の友人の友人の死はわたしの人生において最大の人の死である。実の父親の死よりもである。会ったことも話したことも、文通をしたことも無い友人の友人。だが彼女の死はやはりわたしにとって人生最大の死である。恐らく死に方と言えば変になってしまうが、それがショックだったんだろうと、そして彼女の生い立ちもすべてを含めてわたしの中で一番忘れられない人の死である。
今年もあともう少し、清水寺でその年の世相を現す漢字が今年も発表されるだろう。
だが、わたしの中では今年の漢字を一文字で現すのなら『逝』だろう。

逝かれた方々への御冥福を祈り、合掌。
歳の離れた従兄ですがそれでも享年54歳(数えだと55歳になるのかな?)の若さ…
周りは勿論驚いた。
だがわたしは、体調が優れていないという情報を聞いていた。
それは数年前に伯父が食道がん&皮膚がん&リンパまで達して、12時間の大手術をしており、その前も胃がんで胃の全摘出をしていた。その後も術後の経過観察で大学病院に通っていた。そこで今年に従兄とバッタリ会ってしまい、そうなると従兄も隠せなく、伯父にはがんであることを告げていた。ただし、周りには迷惑や心配をかけたくない、手術をするその時は周りに告知するからそれまでは口外しないで欲しいと懇願していたという。
伯父も大手術をした身故、その気持ちは痛いほど分かったのだろう、周りには一切話さず結局従兄のがんのことは従兄の家族と伯父の家族のみ知ることで終わるはずだったが、夏にわたしがある人の事について聞きたいと、従妹に聞いたところ彼女は勘違いをしてがんである従兄の事を話してしまった。それでわたしも知るわけになったのだが、勿論そんな事情ゆえにわたしも誰にも言わず17日まで来た。
事実、従兄の母親にさえこの事実は亡くなるまでの超超超トップシークレットだった。
しかし、夕方伯父から連絡が入り従兄の○△が亡くなったとの連絡が入った。
母も初め名前を聞いてもまさか従兄がこんなに早く亡くなるとは思わないので、は?どこの○△?その人誰?と言う感じで動揺していた。その事を電話の受話器を置くと○△が今亡くなったって伯父さんから連絡が入ったと聞かされた。
勿論知っていたとは言えないので、何で?と聞いたが内心、この日がきたかと従妹にすぐ連絡をいれた。
少し話をし、直ぐにわたしの兄にも連絡をいれた。
その後直ぐに、葬儀を執り行う斎場に母と向かった。会場は従兄とは隣町ゆえ近く10分くらいで着いた。
中に入ると知った方の顔ぶれ。しかしそのほとんどが身内でこの日が来るのは時間の問題と覚悟していたのか涙でしんみりしている感じとはまた違った。
従兄の亡骸との対面…
抗がん剤に負け、30kg台まで体重が落ちたこともあり、副作用で髪も落ちてきていたがまた少し戻ってきていたという。
毎年、胃カメラを飲んで体調にはかなり気を使っていたらしい。奥様が看護師ということもあったのかもしれない。しかし昨年の検査では異常ナシ。そして今年、娘さんが就職で東京に出ることになりその準備だので追われ、そのあとにどうも胸焼けがしたり今一つ体調が良くなかったので、今年は早目に検査をしたそうだが、その時点で既にがんのステージⅣ、末期だったそうだ。その後、放射線治療をし少し良くなったら手術をする方向で進んでいたが、願い叶わず逝ってしまった。
従兄の健康的な想い出がある。
4年ぐらい前に従兄の奥様の勤めておられる医療機関で納涼祭が行われたので行ってみた。
偶然、従兄と会ってあっちの会場で無料の健康診断をやってるから行ってみたら?と促され行って受けてみたところ、実年齢より健康年齢が若かったことを従兄に話すと、『なんだ、それ位かぁ?俺はもっと実年齢より健康年齢が若いぞ!』と診断票を見せられた記憶が甦った。
あれほど若かったのに…
それに毎年検査をするほど健康に気を使っていたはずなのに…
まだまだ若いが為にがんの進行も早かったようだ。
今年は嫌というほど周りの人間に逝かれる。
7月に友人の友人。
先月は同級生と、また別の同級生の父親。
そして今回の従兄。
今回の従兄の死もショックであるが、7月の友人の友人の死はわたしの人生において最大の人の死である。実の父親の死よりもである。会ったことも話したことも、文通をしたことも無い友人の友人。だが彼女の死はやはりわたしにとって人生最大の死である。恐らく死に方と言えば変になってしまうが、それがショックだったんだろうと、そして彼女の生い立ちもすべてを含めてわたしの中で一番忘れられない人の死である。
今年もあともう少し、清水寺でその年の世相を現す漢字が今年も発表されるだろう。
だが、わたしの中では今年の漢字を一文字で現すのなら『逝』だろう。

逝かれた方々への御冥福を祈り、合掌。