娘がICUを出てから 声を発する事なく一週間目。
私が娘に手湯をしようとしていたところへ、先生が病室に来られました。
話をしている様子を見ていた娘の手を、先生と話ながら私はお湯につけました。
お湯が少し熱かったのか…思いがけずお湯に入れられた驚きだったのか…
娘はすごく大きな声で
『あつっ!』と叫んだのです。
『ごめん!熱かった?確認したんやけど』…と私は慌てながら『…ん?』
先生と顔を見合せて叫びました。『声が出たぁ!』
看護師さん達も飛んできて下さり『お母さんの荒療治ですね』と泣き笑いしながら一緒に喜んで下さいました。
その日をきっかけに娘の発言はどんどん増えました。

まだこの頃は、幼児の様な状態の時が多かったです
驚いたのは私を『チャーチャン』と呼んだ時でした。娘は幼い時、私をチャーチャンと呼んでいたからです。(幼児語が抜けた頃には『オカァーサン』と呼ばれていました)
きっと幼い頃に『チャーチャン』と呼んでた事を覚えていないはずなので、とても不思議な気持ちでした。


この頃、娘は新聞の大きな見出しを見ても
『頭がモヤモヤする』
『気持ち悪くなる…』
と文字はなかなか見れませんでした。

それでも刺激をいっぱい与えて、脳も活性化させなきゃ…
私は面会に来てくれたお友達の写真を撮って、見れるようにと病室の壁一面に張り出したり、常に音楽をかけて一緒に歌ったり、新聞を読んで聞かせたりしました。

高校を卒業したばかりだったので、高校時代の友達が沢山面会に来てくれました。『色んな事が思い出せるように学校の写真もいるな!』と高校の教室やグランドや先生達の写真を沢山持ってきてくれました。

先生から『友達が来た後の娘さんは、どんどん年齢が元に戻っていく感じがするね!すごい。どんどん来てもらっていいよ』と言って頂きました。


確かに顔つきが成長するように、しっかりした表情になっていきました。
みんなのテンポより遅れるけれど、若者言葉を使い、笑っている姿を見れるようになったのは嬉しかったです。


私は娘の友達が来ている時に、複雑な気持ちにならなかったと言えば嘘になります。娘も皆と同じように…元通りの姿に…そう思って悲しくなりました。

紙オムツを買いに行きながら 薬局で何度も泣きました。
今は高い望みではなく、ひとつひとつ回復すること!そう思って踏ん張りました。
声が聞けたら次は、ポータブルでトイレが出来るようになること!
それが次の目標でした。