3月11日
あの忌ま忌ましい、
というより辛い現実から
1年が経ちました。
産まれて初めて
体験した大きな地震は
日本にとっても
最大級の地震でした。
僕は東京人です。
あの日はほんのわずか
友達と出会うために
池袋に向かう途中でした。
ほんの3分間
電車に乗るだけです。
発車して間もなく
多くの悲鳴が飛び交いました。
電車は上下左右に揺れ
立っていることも
ままならなく、
地下鉄ということもあり
全員が一瞬でも
死を感じたと思います。
みんなが不安で
押し潰されそうな中
僕はその不安を隠して
車内を最前車両から
最後尾車両まで
歩くことにしました。
するとお母さんに縋り付き
大泣きをしている
男の子がいました。
普段の電車なら
そんなことは
気にも止めない僕。
ただ状況が状況なので
いつも持ち歩いてる
手品用品で男の子の不安を
少しでも振り払おうと思い
披露しました。
次第に男の子から
涙は消えて
ありがとうと
笑顔で言ってくれました。
電車がゆっくり動き始め
また最寄り駅まで
戻るようになりました。
気付けば2時間程
経っていました。
新大塚から池袋まで
徒歩で向かいましたが
余震でまっすぐ
歩くことすら出来ず
街中もざわついていました。
連絡を取り合うことも出来ずに
ただ池袋をさ迷っていましたが
いつも待ち合わせする場所で
出会うことができました。
安心しました。
池袋は騒然とし、
公衆電話の前に
人が長蛇の列。
何が起きてるのか
よくわからない。
現実を知ったのは
帰宅してからでした。
まず家具は倒れ
足の踏み場もないくらい
無惨な光景です。
我が家ではないと思うほど。
とりあえずテレビを
つけました。
その時初めて
今回の地震の大規模な被害を
目の当たりにしました。
地面は割れ、液状化が起き
東北では津波が迫ってきて
みんなが必死で
逃げている姿。
偽善ぶるのは簡単です。
ただあまりの衝撃に
言葉が出ませんでした。
とにかく母親が
心配になりました。
なんとか8時間後くらいに
無事と連絡が来て
安心しました。
それから連日のように
ニュースやワイドショーで
地震の被害を
目の当たりにしました。
今でも34万人が
避難所で生活しています。
一刻も早く
みんなに笑顔が
戻ればいいです。
長々とすいません。
僕は無力です。
少しでも早く皆様に
笑ってもらえるよう
今を頑張ります。
一緒に進みましょう
高柳 諒