こんばんは、宇宙ジンと申します。いかがお過ごしでしょうか。



余談ですが、今日両親が同時に「スマホデビュー」をしました。朝食の時にいきなり「今日ケータイ変えるから」宣言をされて、別に僕としてはそれに損も得もしないのであまり関心が無かったのですが、やはり少し驚きました。なぜなら、2人はつい最近まで(ジョブスが亡くなるくらいまで)、スマホなんて必要ないと強情でしたから(笑)




それでもひょいと改まって購入してしまうところに、スマホの恐ろしさというか、群集心理の恐ろしさというか、そういったものが表れているなあと思ったのです。





また、購入後の2人の様子を見ていても、結構面白かったんです。母は若い頃、システムエンジニアをやっていたのでパソコンに強く、新しい機能を次々と消化していくのですが、反して父はめっぽうそういった方面に疎く、今日はメールと電話帳のセッティングをするだけで疲れて寝てしまいました(笑)
確かにスマホの設定は非常に面倒ですが、さすがに時間がかかりすぎだろうと。



やはり、パソコンやインターネットなどに対するデジタル・リテラシーというのは最早必須なのでしょう。今日という短い期間でさえこれほど差が歴然としているのに、これを生涯という長い視点で考えてみると、ある意味ゾッとします。情報に上手くアクセスし、使いこなせるかどうかで、その日1日の予定どころか、人生の方向性までもが変わってしまうような世界が、既に広がっているのです。みなさんは、このようなリアルを上手く渡り歩いていける自信はおありでしょうか?僕はやはり少々危ういところがありますね。笑






さて、前置きが長くなってしまいましたが、先日の続きで、ノルウェイの森の考察をしていきたいと思います。最近ネットなどで村上春樹に関するあれこれをしらべていると、比較的高い頻度で、


「村上春樹はエンタメ小説家である」


という評価を目にします。しかもこれは少数派の意見ではなく、一定数の支持を受けているようです。僕は、先述したように、村上文学の魅力はストーリーでなく文体だと思っているので、この指摘に対して強烈に反感を抱くわけです。スリリングな筋書きだけで勝負をするような大多数の商売小説家と一緒にするな、と。




僕はもちろん、自分の解釈が絶対的に正しいと信じ込んでいますが、それに関して少々気になる事実があるんです。それは、村上春樹が海外で高い評価を得て、広く読まれているということです。




つまり、海外で読まれるものは当然、外国語に訳されたものですから、ここでは僕の唱える「文体の秀麗さ」などというのは翻訳の過程で薄められてしまい、海外の読者には伝わらないのではないかと。それなのに村上作品が評価を受けているというのは、やはりそのストーリー性(エンターテイメント性)に魅力があるのではないかと。こういうことです。




これに関しての僕なりの解答はまだ得られていません。村上作品を読んだ外国人に会う機会があれば、是非どこが彼の魅力なのかを尋ねてみたいですね。その時には僕は懸命に、「文体が最高だよね」と誘導をかけてみるつもりですが。




言ってしまえば、彼のどこを魅力に思うかなんて人の勝手じゃないか、ということも言えるんですけれども。みなさんはどうお考えになるでしょうか。




さて、本当はもう少し話題があるのですが、それは次回にということで。まとまりを欠いた文章に、ここまでお付き合い下さりありがとうございました。




それではまた。


by宇宙ジン