3月31日

7年ほど働いた職場最後の日

沢山の同僚からいただき物をし、帰宅した

家でありあわせの夕飯を食べていると

夫と仲の良い友達の奥さんから夫に電話が入った

「Rがまだ帰ってこないんだけど‥電話も繋がらなくて」

Rは夫より一回り歳下ながら、夫は兄弟のように可愛がっていた。

同じ国の出身、村も一緒、実家は隣同士だ


Rがお客さんを連れて富士山に登っていたことは夫も知っていた

その日は夜中から登り、登頂後下山予定だった


その日、Rから写真が送られてきていた

富士山の中腹で嬉しそうに微笑むR

後ろにはお客さんの女性も写っていた

夫が言う

「お客さんが遅れているんじゃない?大丈夫だよ!Rは強いから心配ないよ電波が悪いんじゃない?」

奥さんのAちゃんは

「明日の仕事には行けないと思うので、ご迷惑をかけて申し訳ないけれど伝えてください」

と言った。

Rは時々、夫の会社の仕事を手伝いに来ていた

「了解! Rはきっと大丈夫 心配しないで」

そんな会話を聞きつつ手が震えそうになる

Rは普段からよく山に登っており人一倍、体力はあるし、万が一怪我をしていたら動かないでじっとしているだろう

お客さんを連れているなら尚更、お客さんの為に最良の方法を取っているだろう


何も情報を得られないまま夜が明けた

朝、Aちゃんから連絡がきた


Rが亡くなったと


様々な悪条件が重なり、富士山の8号目付近より500m程雪の斜面を滑落

その後意識はあった

一緒に滑落した女性に

「○○さん ごめんね」

「○○さん 大丈夫ですか?」

と自分の怪我よりもお客さんである彼女の心配をしていたそうだ

自分の携帯は流されてしまった為、10歳と5歳の息子に電話をしたいと2度ほど電話を試みるが携帯は繋がらなかったと

一緒に登っていた方が後に話してくれた


詳細が分かるにつれ悲しみも深くなる


あんなに強くて

誰にも優しくて

いつも笑顔の彼がこんな風に大好きな山で逝ってしまうなんて


RとAちゃんが住む家からは少し歩くと富士山が綺麗に見える

端麗な容姿の山、日本一の富士山をRは誰よりも愛していたんだろうと思う

2年前に当時8歳の長男と富士山に登った事を報告したFacebookに

「僕の夢のひとつが叶いました」と書いてあった

それ位、富士山と山と子供を愛していた彼


日本式のお葬式ではなく

彼の国の宗教、習慣でお葬式を執り行うことになり、夫や仲間が手伝うことになった

喪服ではなく、普通の格好で来て下さいと案内を出したAちゃん

気丈なAちゃんは式の間もほとんど涙を見せる事なく常に子供や参列者を気遣っていた


富士山で滑落した為、ご遺体はすぐに下ろせず、ヘリコプターで運ぶ予定が風が強く下ろせず、やっと家族の元に戻ったのは亡くなってから1週間が経っていた


交友関係の広いRの為に、沢山の友人、知人、山仲間が集まった

通夜の日は、Rの亡骸を囲んで明け方まで酒を飲み語り合ったそうだ


Aちゃんはお墓は必要ないと言い

少しの骨を彼の生まれ故郷へ持っていくことにした


式の参列者への手紙にAちゃんはこう記している


「富士山を見るとRを想い出します

決して嫌な想いではなく笑った顔のRです」


小さい子供を抱えて 大変なのはこれからだろう

幸いAちゃんは自分の両親、弟家族、妹家族もすぐ近くに住み、子供達も同年齢で皆仲良し 驚くほど素晴らしい御一家だ


あんなに良い性格のRの、あまりにも早い死に皆んなが大泣きし、心を痛めた

富士山に4人で登り、他の方々は助かった

Aちゃんは「死んだのがRでよかった」と言った

もし、仮にRが助かり、どなたかが亡くなったらRはそれ以上に苦しむだろうと

Aちゃんも夫も今回の富士登山は心配をしていた

でもRが行きたいと言って

好きな山で逝ってしまった

車の事故でもなく、自ら選んで大好きな富士山で逝ったのだから仕方ないと思えると夫が言う



葬儀当日の富士山


夫と兄弟のように仲の良かったRの死

乗り越えようとする強いAちゃん達の姿に

学ぶことが多すぎて、まだ消化しきれていない

たまたま自分の仕事がなく

ゆっくり向き合えた


今日ある命は明日もあるとは限りません

今日の今の幸せは明日もあるとは限りません

そうやって地震は起きました

だから皆んな真剣に今ある命を

今の時間を幸せに生きてください


羽生結弦選手が 3.11のアイスショーで言った言葉

この言葉をいつも思い出し、日々生かされている事に感謝していきたいと思う