自伝の無料公開!最終章です。


猪突猛進で無一文から始まったアメリカ旅もいよいよクライマックス!!


 


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≪幸運にもメキシカンに携帯をパクられる≫

 

バスを降りると、外は曇り空。冬なのに、春風のような暖かな空気が流れるこの場所はサンアントニオ。俺はここの有名スポット。The Alamoを見に行った。そこは、テキサスがメキシコから独立するための戦場になった所だ。

記念館には、今でも、勇敢に戦った英雄たちの遺品が残る。

歴史を感じる場所だ

 

旅の中で、その国の文化、歴史を学ぶことはとても大切だ。

世界には、様々な価値観を持った人々が居る。

 

旅で出会ったある人は言った。

「世界に居る人間は、みんな一緒なんだ。しかし、その国の歴史、文化、環境が違うから、価値観が国によって大きく変わる」

国の歴史と言うのは、人の性格に大きく根付いている。ただ、観光地や綺麗な景色を見るだけでなく、それを感じて自発的に考えるのが旅だと俺は思う。だからこそ、旅は自分をどんどんクリアーにさせる。

 

The Alamoを出た後、衝撃の事態が起きた。

アメリカでできた友達に電話をするため、公衆電話で電話をかけることにした。電話が終わると、ホームレスらしき身なりのメキシコ人が俺に話しかけて来た。たわいもない話を5分程して、そのメキシカンはどこかへ走り去って行った。

 

公衆電話の上にあるはずの携帯がない。やられた。あのメキシカンが話しかけてきたのは、俺の注意を携帯から離すためだったのか。

俺は猛スピードでスケボーを漕ぎ、メキシカンの行った方向へ向かったが、もう後の祭りだった。

「クソ~!!!携帯がないと、日本との連絡は、一切、取れなくなるし、バスのチケットを取るのも難しくなる。」

俺は道行く人に、携帯を知らないか?と尋ねまわったがたが、知ってる訳もなく、俺は途方に暮れた。

 

すると、さっき話しかけた白人のおばさんが戻って来た。名前は、ジャナ。

 

「今から、私、パーティーに行くんだけど、よかったら来ない?パーティーで悲しい事も全部、忘れちゃいな。」

 

彼女は、優しく俺に微笑みかけた。パーティー会場のBARの前に着くと、ジャナは、ここでちょっと、待っててと言い、早々と店の中へ入って行った。

10分程した頃だろうか、彼女は、BARの扉から顔を出し、店の中に入るように俺へ合図した。

 

中へ入ると、多くの人が俺に向けて歌を歌っている。

 

「Take it easy~♪ Take it easy~♪」

イーグルスの曲だ。

 

ジャナが携帯を盗まれた僕のためにサプライズを用意してくれていた。何て良い人達なのだろう。それからも、俺は、皆と一緒に歌を歌い、ダンスし、豚の丸焼きをご馳走になった。最高に楽しかった。

 

どこまでも粋で優しいアメリカ人に救われた時だった。

盗まれて、良かった。携帯を盗まれてなければ、俺は、こんな素敵な空間には、来られなかった。ジャナには、会えなかった。

全ては、繋がっている。あのメキシカンと会ったのも俺が起こした1つの奇跡だ。だから、受け止めよう。

自分に起きる辛い経験は、乗り越えて、思い返すと、いつも必要な経験だったと気付く。だから、前を向いて、今を生きよう!瞬間、瞬間を受け止めて。

パーティーの後は、ジャナの家に泊らせてもらった。家族の多い素敵な、お家だった。そこから2日間、ジャナの家へお世話になり、俺はサンアントニオを出ることに。

 

ジャナの家での最後の晩は、彼女の友達のシンガーソングライターの弾き語りを聞いた。

 

Take it easy!

 

それは、俺の忘れられない言葉となった。

 

≪裸足のシングルマザー≫

 

ヒューストンでひょんなことから出会った23歳のスザンネ。彼女は、4歳の娘と6歳の息子を持つシングルマザー。

バスターミナルのロビーの真ん中で、子供と手を繋ぎ、裸足で立っていたのをよく覚えている。「私は、普通の事が嫌いだから、普通じゃないよ。」と言うくらい彼女は、自由人な人だ。

 

俺は、彼女達と意気投合して、彼女達の家に招待された。そこは、ヒューストンの南の方にある港。

 

港を見ると、彼女達の小さな家が浮かんでいる。そう、彼女達の家は、海の上に浮かぶ船だ。四日間、お世話になることになるこの家ををみて、漫画みたいに素敵だなと思った。

 

昼間は、子供達と国立公園に行ったり、船でアイランドに行ったり、イルカウォッチングをした。遊び疲れた後に、夕飯を食べ、パイレーツオブカリビアンごっこを子供達と船の上でする。要するに戦いごっこをする。戦いが終わると、子供達はすやすや眠った。子供の寝顔は天使のようだと実感した。その後は、いつもスザンネとたまに来るスザンネの恋人とデッキの上で夜空を見上げて語った。

 

小さい頃から船を持つという事が夢だった彼女。政府からの援助金だけで生活していて、決して裕福ではないが、女手一つで、子供を育てながら、その夢を叶えた。

2人の小さな子どもを守りながら、自分のやりたい事をおもいっきりするスザンネは、本当に強い女性だと感じた。

 

「子供を良い訳にやりたい事を諦めたくない。」

そう言う彼女の普段の生活は、朝早くに起きて、子供の弁当を作り、子供の学校への送り迎え、そして、彼女自身も大学に通っている。(この時は、ホリデーシーズンで学校は休み)

それでいて、貧乏旅をする僕を快く家に招いてくれた。

 

そんなスザンネから俺は沢山のパワーをもらった。こんなに誰かのために、自分のために、頑張っている人がいるのだから、もっともっと自分も頑張れるはずだと思った。

 

そして、いよいよ、ここで過ごす最後の日がやって来た。

この日は、スザンネの恋人が住むシェアハウスで「ワールドパーティー」というホームパーティーがあるので、昼からその準備を手伝った。パーティーには、50人ちかくの色んな人種の人達が集まった。

 

ホームパーティーの域を超えた大規模でインターナショナルな空間沢山の人種の人達が共存しているアメリカならではのパーティー。黒人も白人もアジア人もメキシカンも皆が皆、英語という共通の手段を通して、自国の事を語り、音楽で、さらに深く繋がる。

 

本当にピースフルな空間だった。そう感じると同時に、俺は、「日本」の事がもっと知りたくなった。ここの人達は、自分の国に誇りを持っている。皆と同じように自分の国について、語れなかった俺はかなり悔しかった。語れないのは英語ができないからじゃない。日本のことをまだまだ、知らなかったから。

 

自分の国の文化、歴史を知ると言うことは、自分のルーツを知ると言うこと。そして、他の国との繋がりについても、歴史が大きく関係する。

日本人として、俺は自分のアイデンティーを大事にしていきたいと思った。

 

そして、それは外から日本を見た瞬間だった。それは、今まで中にいた自分からは見えなかった部分だった。

 

パーティーは終盤を迎えた。皆が一人一人、好きな歌を唄う中、なぜか、俺も皆の前で唄う事になった。覚悟を決め、ギターの弾けない俺は、アカペラでブルーハ―ツの「夢」を本気で熱唱する。俺の歌唱力で場の気温は、2度程下がるが、暖かな拍手をもらった。

 

そして、この日は、ウィスキーを飲み過ぎて、と言うより、飲まされ過ぎて、気付いたら、朝だった。横のソファーで寝ていたチャイニーズのいびきが目覚まし時計代わりになった。

 

それから、スザンネ達に次の街、ニューオーリンズ行きのバスのターミナルまで送ってもらった。

「次、俺と会う時は、俺よりでかくなってるかもな(笑)。俺の事、忘れんなよ!」

子供達にそう言い、スザンネに「ありがとう」と微笑みかけ、俺は、バスに乗った。

 

≪クリスマスは、誰にでも来る≫

12月22日、クリスマスイブの2日前の晩。俺は、ニューオーリンズに着いた。早速、ジャズBARが軒連ねるバーボンストリートへ行ってみる事に。

そこへ着くと、凄い人だかりだった。

 

俺が想像していた落ち着いた雰囲気のジャズBAR街とは異なり、沢山のBARやライブハウスが立ち並び、店内は、大盛り上がり、そんな賑やかなストリートだった。半開きのドアから音楽が漏れ聞こえ、歩いてるだけで、音楽と触れあえた。

せっかく来たので、記念に1軒のジャズBARへ入った。中は、既に満員。ステージに立つジャズバンドの生演奏を聴きながら、ビールを1杯だけ飲む。

 

ジャズは、迫力満点だった

満面の笑みのジャズバンドの奏でる目に見えない空気は、耳ではなく、俺の心へ真っ直ぐ入っていく。

雰囲気に酔いしれるとは、こういうことか。たった一杯のビールにも関わらず俺の顔は、高揚感で火照った。

 

そして、沢山の人がチップボックスの中にお金を入れる。日本では、あまり見られない光景だ。

 

1杯のビールとジャズの醸し出す雰囲気に酔いしれながら、俺は、バーボンストリートを後にした。

 

寝床を探して、歩いていると、図書館を見つけた。その図書館の前で何人かのホームレスが寝ていた。俺は、そこで寝る事に決め、次の日、ホームレスに配給の貰える場所の情報をもらおうと考えた。

ホームレスは、タダで配給が貰える場所やサルベーションアーミー、寒さをしのげる場所などをよく、知っているので、街に着くと、俺はホームレスからそれらの情報をもらう事が多かった。

 

朝起きると、横で寝ていた黒人の夫婦のホームレスが歩いて、5分程の所にある教会で10時から食事の配給とクリスマスプレゼントをもらえると、教えてくれた。

行ってみると、既に凄い数のホームレスが居た。

中に入り、チャペルに参加し、配給とプレゼントの入ったリュックサックをもらった。配給は、ローストチキンとケーキ。リュックサックの中には、沢山のお菓子と手袋、靴下、歯ブラシなどのアメニティーグッズが入っていた。腹いっぱいの飯を食えて、プレゼントまでもらえて、かなり嬉しかった。

 

何かを信仰しているわけではないが、神からの恵みに感謝した。

 

まだ、23日だけど気分はもうクリスマスモードだった。教会を出ると、1人のホームレスが話しかけて来た。服は、ボロボロで髪もボサボサ。持っている荷物は、大量で傷だらけだった。まさにThe best of homelessって感じの身なりである。

 

そいつは、カンボジア人で名前は、キーブ。25年前にアメリカに来たらしい。よくあることだが、キーブも、不法滞在者でIDはなく市民権もない。アメリカには、様々な理由で不法入国、不法滞在をする移民は、沢山居る。特にメキシカンが出稼ぎのためにアメリカにビザなしで来るパターンは、稀ではない。

 

ちなみにキーブは、「奥さんを見つけるために来た」とか訳の分からないことを言っていた。そんなアホさが俺は、好きになった。

 

どうやら、彼も昨日、図書館の前で寝ていたようだ。気付けば、キーブと2時間程、話していた。そのうち、1時間以上は、彼の荷物の中身の紹介。

全て、拾った物であろう荷物の中身は、昔の雑誌や折れたペン、よく分からない金属、絶対壊れているDVDプレイヤーなどなど。

 

その中でも、ちゃんと使えるラジオやアメリカの小説を俺にくれた。

俺の英語の練習になるだろうとのこと。俺はお礼に日本から持って来た大量の5円玉をあげたら、子供みたいに大げさに喜んでいた。

 

キーブは、1人で笑いだしたり、クレイジーな奴だけど、人に危害を加えたりは絶対にせず、0円旅をしてる俺よりもお金を持ってないのにも関わらず、いつも俺を気遣って、お金やタバコ、食料を探してくれる奴だった。

この町では、そんな彼と行動を共にすることが多かった。夜になると、キーブといつもの図書館の前で野宿をした。

 

そして、街にはクリスマスイブの朝がやって来た。

道行く人は、皆、すれ違いざまに「メリークリスマス!」と笑顔を交わす。

今年もクリスマスが来るのだなと実感した。

 

俺はキーブと一旦、別れ、キャンプストリートにあるサルベーションアーミーに行く事にした

そこは、前に行ったフラッグスタッフのものとは大違いだった。その建物のある通りは、汚く、薄暗く、配給に並ぶホームレスも陰湿な雰囲気を持った人が多かった。聞く所によると、キャンプストリートでは、人殺しが多発していて、治安が悪いようだ。俺は身構えていた。

 

殺気が漂う空気の中、バックパックとスケボーを持ち、ポツンと立つ俺は、下を向いて、自分の番が来るのをじっと待った。

 

辺りから、俺を見て、クスクスと笑う声が聞こえる。途中、2人の黒人が俺の列を抜かした。俺は、何も言わずに下を向いた。そして、やっと俺の番が来て、配給を貰った。

 

もらえるだけ、ありがたいが酷い食事だった。どろどろの脱脂粉乳のような液体。スプーンですくうと、米に似た粉の塊が下に沈んでいた。味は、嘔吐物に近い…。しかし、腹が減っていた俺は、それを満足気に食べて、皆と同じパジャマに着替え用意されたドミトリーに向かった。

 

教会の人との会話もなく、何だかよそよそしかった。同じサルベーションアーミーでもこんなに違うのか、そんな事を考えながら、俺は布団に包まり眠った。

 

夜、遅く…

誰かの眠り声で飛び起きた。見ると、横のベッドの前で、黒人が年老いた白人と喧嘩している。喧嘩と言っても、一方的に黒人の方が白人のじいちゃんをぼこぼこにしている。

すぐに、教会の人が止めに入り、警察まで来る事態になった。

 

ほとんど眠れなかった。最悪のクリスマスの迎え方だった。クリスマスといっても、旅人の僕には誰と過ごす予定もなく、今晩は、ビールでも買って、どこかで飲もうと考えていた。

 

クリスマスと言えば、キリストの誕生日。キリスト教徒の多いこの国、アメリカでは各地の教会で盛大なセレモニーがこの日は、行われていた。特に、ニューオーリンズには、沢山の教会がある。中でも、ジャクソン広場にそびえ立つ教会は、1番の大きさを誇る。

俺はサルベーションアーミーを出ると、早速そこへ、向かった。

中へ入ると、沢山の人だかりがあった。聖書が読まれ、皆でクリスマスソングやキリストの歌を大合唱した。パイプオルガンの奏でるメロディー、ロウソクの光で輝くガラス絵。日本では、見られない神秘的な空間だった。

 

教会を出ると、ボランティアの子供達がクリスマスプレゼントを配っていた。俺は、クリスマス柄の手提げ袋をもらった。プレゼントを開ける時のワクワク感は、子供の頃から、変わらない。そして、ずっと、変わって欲しくない感覚だ。中を開けると、沢山のフルーツやお菓子、これまたアメニティーグッズ、手袋などが入っていた。

 

そして、辺りが暗くなる頃、俺はキーブのいる図書館へ戻った。

クリスマスの夜ということで、感傷に浸りたくなり、キーブに荷物を預けて、再びバーボンストリートへ。

 

アメリカでは、クリスマスは家族や大切な人とゆっくり過ごす習慣があり、

いつもは活気あるバーボンストリートも閑散としていた。

俺は安いビールを1本買い、寒い中、ストリートの一角を背にビールを飲んだ。クリスマスに1人でこういうことするのが、実は、好きだったりする。たまに道行くカップルを見て、楽しそうだなと考えていると、何だか幸せな気分になった。

 

キーブへのお土産に、何人かの通行人に話しかけ、タバコを数本貰い、図書館へ戻った。クリスマスプレゼントと言って、キーブにタバコを渡すと、かなり喜んでくれた。

実は、この日は、キーブと過ごす最後の晩でもあった。次の日の朝、俺の旅のゴール地点、ニューヨークへ向けて、出発するからだ。それをキーブに話すと、凄く悲しそうだった。

 

「なぜだ!? せめて、1月2日までいろよ。その時に俺に金が入るからお前にご馳走したいんだ。」

 

旅の道程、いつも思う。この土地にもっといたいと。

違う土地に行けば、初めは、何も分からず不安だけど、新しい出会いと共にかけがえのない、友達ができ、その土地にも慣れて、どんどん楽しくなる。

そして、すぐに別れが訪れる。旅人がよくかかる1番の病気は帰れなくなること。つまり、沈没だ。新しい土地に行き、新しい出会いと共に新たな価値観に触れたら、それを整理して、次の土地へ進む。

帰る場所があるからこそ、旅であり、帰る場所がないとタダの放浪。旅から帰ると、旅で学んだ事を生かして、また新たな人生のスタートが始まる。

俺は、旅をそう考えている。

 

「キーブ。また、会えるよな。」

 

「俺は、いつか、日本に行くのが夢だ!そして、お前に貰った、あのお金を使うんだ」

 

不法入国者のキーブが日本に来れないことを僕も知っていた。

そして、彼もまた、それを悟っていたのではないかと思う

 

彼は俺のあげた5円玉を高価な物だと勘違いしていたが、俺はキーブのロマンを壊さないように、本当のことは言わなかった。

社会では違うけれど、キーブにとって、俺にとって、あの御縁は、紛れもなく大切なものだった。

 

そして、俺達は眠りについた。

 

俺達が寝て、1時間くらい経った頃だった。

 

「メリークリスマス!!!」

俺やキーブ、周りにいた他のホームレス達が飛び起きた。見ると、五、六人の人達が自転車にまたがって、俺達の前に居た。自転車のカゴの中には、沢山の缶ビールやお弁当。俺達に1人ずつにそれらを配っていく。

 

クリスマスは誰にでもやってくる。

 

それはよそ者のバックパッカーにも。

行き場を失くしたホームレスにでも

 

≪ニューヨークで路上チャレンジ!≫

 

年が明ける頃に、ニューヨークに着いた。ここは、音楽、アート、エンターテインメントの全てが集結され、全世界から人種や国籍を超えて、一流の頭脳や才能が集まる巨大都市。

 

カウチサーフィンで知り合った人の家に泊らせて頂いたり、極寒の中、野宿をしながら、ニューヨークの観光地を見て回った。地下鉄を使っての移動という事もあり、サンタの元で稼いだお金もすぐに、底を尽きた。

 

そして、俺はまたナルトの服を着た。場所は、タイムズスクエアのど真ん中。タイムズスクエアの前では、マリオやディズニーの着ぐるみを着て、写真を獲ってもらい、チップをもらう人が居た。

特に、感銘を受けたのは、ネイキッドカウボーイと名乗るおっさんだった。真冬の路上で海パン一丁にウェスタンブーツ、カウボーイハットを被りギター片手にバカな歌を歌いまくり、チップをもらう男。ほぼ裸の彼の身体には、路上をするためだけに鍛えられた美しい筋肉がまとわれている。最高にアホ。アホの鑑である。バカなことに体を張って、全力を尽くす人が好きだ。

 

彼はそうとう稼いでいるらしく、バカなことでも本気になれば、それが仕事になると俺は実感した。ほんまにバカをするなら、笑われてこそ本物だ。

 

俺も人を笑かすために、サンタの元で、修行したあの日を思い出して…クレイジーに踊りまくった。俺は道行く人に向けて、笑顔で、楽しく、踊りまくった。

修行の成果もあり、時給10ドル程になった。何より、沢山の人を笑顔にできたことに誇りを感じる。

 

季節は真冬だったので、1日3時間が限界だった。

 

ニューヨークでは、地下鉄で路上パフォーマンスや路上ライブ、電車の中でもそれをする人々を見かける。日本と違い、ここでは街全体が表現の場所である。俺の旅はチャレンジの連続だ。また新たなチャレンジがしたくなった俺は電車の中でナルトをしたくなった。

しかし、俺は、それを躊躇った。ビビっていた。タイムズスクエアの前でやっていても、十分なお金を貰う事ができる。俺の頭がアンパイな方へ向いていく。どんどんやらなくてもいい理由を考え、逃げていく。何か新しいチャレンジをする人は、皆、こういう瞬間が訪れるだろう。

でも、これだけは、分かっている。挑戦者は臆病者だ。臆病風を吹かせてやめるか。それでもやるか。俺は今これをしなきゃ、後悔する気がした。そして、このチャレンジの瞬間は今しかない。

 

どんな些細なことでも、やると決めた事、やりたいと思った事をやらないと、自分の中に、潜在的に「やらなかった自分」というのが生まれて残る。そうなった時、次、何かに挑戦しようとすると、知らず知らずのうちに「やらなくてもいい」と考えている自分がいる。

自分の潜在意識、心の中の深い軸の中に、そんな自分を俺は、つくりたくない。

 

そう思いながら、俺は臆病風に吹かれながらもナルトの格好をして電車の中にいた。チャレンジャー特有の心臓の鼓動が、良くも悪くも鳴り響いていた。これを感じると、いつも俺は、今、チャレンジしているんだな、と実感する。

 

俺は覚悟を決めた!

 

「Ladies and Gentlemen!I’m poor Ninja~.」

 

俺は大きく叫び、いつものようにクレイジーに歌を歌いながら、踊った。

 

乗客は、完全に無視…

 

しかし、俺は、めげずにさらにクレイジーに、さらに楽しそうに踊った。

すると、2人の白人のおばさんが、俺の帽子の中に、1ドル札を入れてくれた。

 

チャレンジを経験した後には、「自信」と言う財産が手に入る。それは、次のチャレンジをする時のビビりの自分に背中を押してくれる。

 

 

≪気さくなプエルトリコ人≫

「コンニチワ~」

ニューヨークのマンハッタンにあるブライアントパーク。

ここで、年配のプエルトリコ人に話しかけられた。

 

「You look like so Japanese!」

そして、彼は、いきなり自分の話をし始めた。彼の名は、トーレス。

話によると、彼は中国で英会話の先生、空手の師範をしていて、今は、ホリデーシーズンと言うことで、1ヶ月程、ここニューヨークに滞在しているみたいだ。

そして、俺がロスから横断して来た話をすると、彼は俺をかなり気に入ってくれたみたいで、飲み会に招待された。

そこへ行くと、韓国人や中国人が何人か居た。驚く事に、彼らも俺と同じようにトーレスが道や電車の中で声をかけて集めた友達だった。まさに路上からの繋がり。そして、全員の飲み会代は、全て、トーレス持ち。パーティーの終わりには、無理やりにでも、俺達1人1人をFacebookで繋げようとする。

 

トーレスは、言った。

「俺は、人を幸せにしたいんだ。みんなを仲良くさせたい!」

彼のクレイジーなくらいのフレンドリーさと行動力、そこからくる人を惹きつける力に俺は驚いた。

 

彼は街の人全てが友達だと自然と思っている。

トーレスにランチをご馳走になった時の話。横にポツンと韓国人の青年が座って居た。トーレスは俺に言った。

「彼は、何だか悲しそうだ。」

すると、いきなり、トーレスは、自分の名刺をその青年に渡し始めた。

「俺が君を楽しませてあげるから電話しな。」と言った。

 

数時間後に例の青年から、トーレスに本当に電話が来た。

 

そして、次の日、彼らは、一緒にランチに行ったみたいだ。

 

「こいつといたら、何だか面白い世界が見られる気がする。」そんな気がして、俺は、数日間、トーレスと行動を共にした。そして、トーレスも俺からも、そんな匂いを感じたみたいで、俺のことを「クレイジージョー」と呼ぶようになった。

 

「クレイジーになればなるほど、友達が増える。」そんな事をトーレスは、よく言った。路上を歩いていて、少しでも、目につく人にはすぐに話しかけた。

道行く人全てが彼の友達であるかのように。

 

トーレスは言った。

「人間は、みんな一緒。生まれながらにして、皆、友達。何が違うかと言うと政府が違うんだ。だから、人は、傷つけあう。仲たがいする。」

 

彼は、まさに「共存の心」で人を見ていた。しかし、僕達は、お金、尊敬、愛、全ては、勝利しないと手に入らないと教わった。そして、沢山、傷つき合いながら、競争し、奪い合う、現在のこの「競争社会」。でも、彼の目に見えている社会は、分かち合い、助け合い、支え合う共存の世界だった。

 

利便性を追求し続け、沢山の淘汰されていない情報が人を薄く繋げ、集団の無意識が生まれ、機械のように人は動くこの社会で、見失った「人間らしさ」が彼には、見えていたのかも知れない。

 

≪表現者≫

 

ウェスト4thストリート近くの公園で道を聞いた人が日本人だった。彼は学校を中退し、アーティストを目指していた。現在は、世界一周の旅中でニューヨークに来ていた。久々の日本人との出会い、久々の日本語に僕は心をときめかせた。

 

何時間もお互いのことを話しこんだ。

 

彼は言った。「ジョーはアーティストだよ。」

絵も書けない俺にそう言った意味が全く分からなかった。しかし、「アート」という、俺にとって未知の分野の話をしてくれる彼に、俺は釘づけだった。毎週金曜日になると、ニューヨークのモマ美術館に無料で入れると彼は教えてくれ、二人でそこへ向かった。

 

「アートは、既存の枠組みから外れ、それに対して、抵抗、反対することを主張する作品が多いんだ。アートでタブーをぶっ壊す表現なんかも多い。

あとは、例えばピラミッド!あれは、大自然の砂漠のど真ん中に人間が作ったデカい建造物を置く事によって、自然への抵抗を意味してるのかも知れない。全てには、意味があるし、全ては、何かを表現し、何かを伝えているんだ。」

この言葉に俺は、感銘を受けた。

 

モマ美術館に並ぶ、素人の俺が見ただけじゃ訳の分からないアート。その全てには、意味がある。その全ては、何かを伝えている。そのアートの表現の手段は、紙の上だけじゃない。

 

そう感じた時、俺もアーティストになろうとしていることに気が付いた。

俺は今まで旅やシェアハウス、BARを紙にして、「夢」を伝えるアートを描いてきた。そして、今もアメリカを0円で横断というアートを創っている途中。

 

 

夢を描いて完成したら他の真っ白のキャンパスにまた、新しい絵を描く。俺はそんな夢を描くアーティストになりたい。自分の描いた夢を通して、人に夢を与えたい。

 

人生は、アートだ。全てが何かを伝えるための手段。

人は皆、誰かに何かを表現し、伝えるために生きているのかも知れない。

あなたは、自分の真っ白な紙に何を描きますか?

 

新しい手段で何かを伝える時、他の人には、理解されないかも知れない。

でも、伝えたい事がはっきりしていればそれでいいのではないだろうか。最高の自己満足を求めて、のめり込んでいく人が最終的には成功するのではないのだろうか。

第三者の評価を気にしていたら、いつか自分が自分でなくなってしまう。

 

≪帰国≫

 

いよいよ、日本に帰国する日が来た。

帰りたいけど、帰りたくない。そんな気持ちになった。毎日、不安と期待が入り交じってドキドキ、ワクワクするような旅特有の心臓の鼓動。

 

もう、ゲイや強盗に襲われる恐怖はなくなる。

もう、寒さで凍えながらお腹を空かせてゴミ箱をあさることもなくなる。

もう、スラム街で黒人の冷たい視線を浴びながら配給に並ぶことも

ストリートやトレインでナルトの格好でお金をねだることも…

 

もう安泰なんや…分かってる、分かってるんやけど…

 

苦しい経験は数え切れないほどした。そして、それを乗り越えた時のご褒美のように訪れる奇跡的な出会い。底抜けの優しさを持った人達。毎日が非現実の世界。

 

そして、世界が誇る音楽、アート、エンターテインメントに触れたとき

「この世界には酒もタバコもドラッグも、何も必要ない。」そんな高揚感に包まれた。

 

世界から数十万人が集まるタイムズスクエアのカウントダウンに俺はいた。毎年、ニューイヤー直前に唄われるジョンの「イマジン」に体を揺らす。彼は理想論でも何でもなく、皆がそう思えば世界平和なんて簡単なことさと唄った。簡単な訳がないと思う人もいるだろう。でも、今、俺の目の前には世界中から集った何十万人の人々が幸せそうにこの曲に揺られている。

 

世界中の人々が一斉に肩を揺らす一体感は、ピース以外のなにものでもなかった。

 

 

沢山の国の人が入り交じる国、アメリカを旅することでアメリカだけでなく、沢山の国の歴史、時代背景、価値観に触れた。

 

 

「英語は翼だ!翼があればお前はどこへだって飛んでいける!」

そうカリフォルニアでジミーさんに言われたことが今なら分かる。

 

「学びたい!勉強がしたい!」

自分から勉強がしたいなんて思ったのは、初めてだ。

 

世界の人と話す中でずっと日本に閉じこもっていた自分の知識の浅さに気付いた。自国の知識でさえ薄っぺら。

 

お金もない。友達も一人も居ない。計画もない。

そして、英語も全くできずに進むことにビクビク怯えていた少年は沢山の人に支えられて凄く成長した。

 

一歩踏み出せば、世界が変わる。一歩踏み出すだけで、世界は変わる。

 

 

行きとは、違い、スムーズな入国審査を終え、関西空港に着いた。

久々の日本で初めて、目に飛び込んできた光景は、溢れんばかりの皆の笑顔だった。

 

「ジョー、おかえり~。」

これを聞くために、俺は、旅をしたのかも知れない。

 

≪おわりに≫

 

僕は、夢を追うことで、心の赴くままにチャレンジすることで、日々の生活が輝き始めました。

 

まだそれが叶ってなくても毎日が楽しくて、楽しくて…。

必死になって、その光を追う中で、いつのまにか沢山の大切な仲間ができた。

初めて、信じたいと思える自分の心の居場所が見つかった。

初めて、生きてる実感がした。

 

あなたの目の前の大切な人、目の前のやりたいこと…

なんでもいい。なんでもいいから。あなたが信じたいモノに必死になって、飛び込んでみてください。

そこがトブ川やってもええやんか。

そこに飛び込めるのは、オンリーワンのあなただけ。

永遠のチャレンジャー  ジョー




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