『アメリカでヒッチハイク!』

引き続き、自伝の無料公開です!

アメリカ無一文横断編。


ラスベガス!グランドキャニオン!

壮大なアメリカの景色に圧倒する旅。


そんな中、見知らぬ土地で、とんでもない事件がジョーを襲い、小さな勇気すらも飲み込んでいった…


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≪砂漠に現るネオンの塊!ラスベガス!≫

 

ハリウッドから東へ30キロほど進んだ所にある街、アルハンブラ。そこで、俺は、全世界で広がる旅人のネットサイト、カウチサーフィンで知り合ったジムと言う49歳の男性に会った。家に泊らせてもらい、ご飯までご馳走になった。

極めつけは、俺にラスベガスまでのバスのチケットをプレゼントしてくれた。ジムはゲイで初めは、少し戸惑ったが、何事もなく心から親切に接してくれた。

 

ラスベガスまでの道は、吹き荒れる荒野の上にあった。殺風景な景色のなか突如、巨大なネオンの塊がバスの前方に現れた。

 

これが、世界一の街か、

ラスベガスのダウンタウンに下りた俺は、自分の目の前に広がる光景に目を疑った。ロックンロール、アート、ショー、カジノ、全てのエンターテインメントが想像を遥かに超えるスケールで展開されていた。街全体が光でできたテーマパークだ。

 

こんな町が実在するなんて。人がつくったものとは到底思えない。アメリカンドリームの集合体を見て、俺の中に野心が沸々と湧いていった。

 

夜は、ダウンタウン近くにあるパーキングの隅っこにテントを貼って、野宿した。

 

次に目指すは、フラッグスタッフ。グランドキャニオンへ行く途中にあるインディアンの街だ。お金があまりない俺は、ヒッチハイクでそこへ向かうため、ヒッチハイクに適した場所を通行人に聞いて回った。ロスのジミーさんの元で働いた時のお金が200ドルほどあったが、それで、ニューヨークまで過ごせる訳もなかったので、できるだけお金を使いたくなかった。

ちなみに俺は、親切な人にご飯をご馳走してもらう時以外は、毎日1ドルバーガー1個で生活していた。飲食店のゴミ箱を漁って食事の残りを拝借したりもした。

そんな生活の中で食事への感謝を痛切に感じていた。

 

≪ゲイに襲われる!!!≫

 

ヒッチハイクできそうな場所を探している最中に、マークという黒人に出会った。マークは、いかついルックスとは、裏腹に煙草の買えないくらい貧乏な友達にチップを渡したりと親切な奴だった。

 

マークは、言った。

「Hitchhiking is too danger in US.」

 

そんなことは、承知の上。しかし、マークは俺がヒッチハイクすることをしきりに拒む。すると、マークはグランドキャニオンまでのバス代を俺にくれると言いだした。

なんて良い奴なのだろう。こいつは。俺はその日、マークの家に泊る事になり、次の日の朝、バスで出発する予定で彼の家に案内された。

 

どうやら、友達の黒人二人とルームシェアしているみたいだ。マークの住むマンションに案内されるやいなや、オートロックを開け、彼の住む2階にエレベーターで上がった。エレベーターのドアが開くと、そこには、奇妙な光景が広がっていた。なんと、全ての部屋のドアがシャッターなのだ。マンションと言うよりも倉庫の集まったビルに近い。

マークが自分の部屋のシャッターを開けると、予想通り、2畳ほどのスペースしかなかった。椅子や布団、衣類などが置いてあり、生活空間が広がっていた。

 

中に入り、椅子に座ると、マークは俺にマリファナを強く勧めてきた。しかし、マークが持っていたのは、マリファナに似た別の葉っぱだった。騙されて三種類のマリファナを検品していた俺にはすぐに分かった

何かがおかしかった俺は、マークを怪しんでいた。俺はそれを吸う振りをして、すべて吐き出した。マークには、ばれないように、ナチュラルに。

 

マークはいきなり立ち上がり、なんと僕のパンツの中に手を入れてきた。

なんでやねーーん、僕は咄嗟に叫んだ。すると、マークは焦った表情で俺を見た。葉っぱを吸ったにも関わらず、正気を保っている俺に驚いたようだ。それもそのはずだ。吹かしただけで頭をくらませる、その葉っぱは危険なものだった。まともに吸っていれば、ひとたまりもなかっただろう。

気を取り直したマークは、ポケットから20ドル札を取りだし、俺のポケットにそっと入れた。どうやら、これで、俺とSEXしてくれとのこと。

 

俺は恐怖と共に、憎しみが湧いて来た。彼を信じていたのに。

 

今度は、俺の手を掴んでマークのブツを触らせてきた。俺はどう逃げようかと、しどろもどろになりながら、頭をフル回転させた。

マークが黒人二人と住んでいることが真実なら、その二人が帰ってくるかもしれない。

 

薬でハイになったマークは、エスカレートして、遂には俺に襲いかかって来た。その瞬間、マークのブツを握らされていた俺の手は自由になった。

 

俺はマークの腹を目がけて右ボディーブローを力いっぱい喰らわせた。

 

きれいに入った。大巨人がうずくまり苦しんでいる。

倒れたすきに、俺はバックパックを掴んで、一目散に逃げた。その時の例の20ドルは、俺のポケットに収まったままだった。

 

あの時の全身の震えは、今でも覚えている。眠れない一晩の出来事だった。そして、旅のリスクを再認識した瞬間でもあった。

なにかに挑戦し、1歩を踏み出す時、思いもよらないリスクを負う事になる。でも、踏み出さないと分からない世界がある。それでも知りたい世界がある。そのためには自分の行動に覚悟と責任が必要だ。

普通に生きていても、いつ死ぬか分からないこの人生。明日、死ぬかも知れないと常にそう思って、自分のやりたい事に真っ直ぐでいたい。

自分が自分であるために。

 

≪アメリカでヒッチハイク!≫

 

この国、アメリカでは、ヒッチハイクによる犯罪が多発したせいで、多くの州でヒッチハイクが禁止されている。

 

※カリフォルニアでは、ヒッチハイクが禁止だった。フリーウェイでやっていた俺は、警察に捕まり、次、カリフォルニアでやると日本に強制送還という厳重注意を受けた。

 

ラスベガスのあるネバダでは、禁止されていないという情報を入手した俺は、ヒッチハイクを決行した。

 

1時間経過…

 

さらに1時間経過…。

 

さらに3時間経過……笑

 

やはり、ドライバーもヒッチハイカーを警戒しているせいか、中々、止まってくれない。日本なら、だいたい1時間もあれば、止まってくれた。でも、待ち時間が長いからこそ、それに比例して、達成感や止まってくれたドライバーへの感謝の気持ちも深く感じることができる。

 

ヒッチハイク開始から6時間が経過した頃。一台の車が止まってくれた。

運転手の名前は、フランク。彼は、フラッグスタッフ近くにあるキングマンという町まで送ってくれた

片言の英語で話していると、彼もゲイだと判明した。俺の身体はまた小刻みに震えだしたが、彼はその震えを払拭させてくれるほどいい人だった。

 

経験は一種の固定観念を創ってしまうのかもしれない。彼はそんな俺の中で凝り固まった常識を覆してくれた。旅での出会いと言うのは、そういうものなのだろう。

 

別れの際に、感謝の気持ちを込めて、力いっぱいの握手をフランクにした時、その手と手の間に何か違和感があった。

なんと、その手の中には、20ドル札が挟まっていた。

 

フランクは、何も言わずに片手をあげて去って行った。その背中を見ていた俺の目には、涙が浮かんでいた。

 

ゲイとの間に生まれた同じ20ドル。それは、全く別の物だった。

 

≪同い年の強盗!≫

 

既に辺りが暗くなった頃。俺は、キングマンのマクドナルドにポツンと居た。そこにいた客は、俺と若い白人が1人。なぜかその白人が気になった俺は彼に話しかけた。

 

「Hows doing?」

聞けば、その子は、俺と同じ年のホームレス。ただ、働くのが面倒だという理由でホームレスをしているらしい。アメリカには、このように若いホームレスも沢山居た。

 

「What do you do every day?」

いつも、どうやって生活をしているのかが気になった。すると、付いて来いと言い。その青年は悠々と暗闇の中へ足を進める。5分程歩いた。その青年はあるベンチに座るホームレスの前で足を止めた。

すると、彼は、自分のコートの裏ポケットからナイフを取りだした。僕は血の気がさっと引くのを感じた。殺気と言う類のものだろうか。

青年が狂気じみた声で何かを叫んだかと思うと、そのホームレスは持っていたわずかなドル紙幣を青年に渡した。

その青年は悠々と闇の中へ消えていった。

 

ごく当たり前のように目の当たりにした光景。どうする事も出来なかった俺。

自分の無力さを感じ、心が立ち止まる。次の日、俺はヒッチハイクで逃げるようにフラッグスタッフへ向かった。

 

わりと早くフラッグスタッフに着いた俺は、昨晩の出来事を振り返った。今なお、ルート66の古き良き街並みが残り、どこまでも趣深く郷愁を感じるこの街で俺は、考えに耽った。長く深く自分を見つめ直す俺は、あの一通の手紙を思い出した。

 

「泣きそうになったジョーへ」拙い文字で書かれてある手紙を眺めた。

 

≪泣きそうになったジョーへ≫

 

バックパックの奥底に眠っていたその手紙を開けると、なぜか沢山の日本の仲間の名簿がズラリと書かれた紙があった。

「こんな所で立ち止まっててええんか。お前の後ろには、こんなに沢山の仲間が付いてるんやで。こんなに沢山の仲間がお前の事、待ってるんやで。俺の惚れた男は、ここで立ち止まるような男やないんやで!」

そして、もう一つ。その手紙を書いた親友、北岡雅人が中心となって、名簿に書かれた仲間から集めた0円旅をする俺への募金が入った封筒があった。

 

お金の形をしたお金じゃないものをもらった。計り知れない勇気を仲間からもらった。そして、ひっそり泣いた。

 

人は、本当に1人になった時に支えてくれている人の大切さを知る。

 

初めの内は、何か新しい事をする度に皆から反対され、いつの間にか一人になる自分がいた。誰かに言われた、現実は甘くない、その言葉が胸に響く。それでも、したかった。後悔はしたくなかった。諦めたくなかった。

 

そして、チャレンジし、形になるにつれて、応援してくれる仲間が増え始めた。そして、一人の夢が皆の夢へとシフトしていく。

 

昨晩の姿が嘘のように、俺はまた歩き始めた。

 

≪教会でできた親友≫

ここフラッグスタッフは山の麓にあり、夜は急激に寒くなる。野宿ができそうにないと判断した俺は、小さな教会を訪ねた。

 

白人の年老いたお婆さんが出て来た。お金があまりなく、泊まる所を探していることを伝えた。しかし、この教会は、もう閉めないといけないから俺を泊めることはできないとのこと。だが、その婆さんは、近くの他の教会を紹介してくれた。

 

そこはサルベーションアーミーといって、宗教活動の他に貧困層の経済援助やホームレスへの住居提供などの慈善事業も行っている施設である。行ってみると、もうチェックインの時間は過ぎていたようだ。

落胆した俺の傍に1人の黒人の男がやってきた。「Don’t worry!」彼の名はジョー。奇遇なことに俺のニックネームと一緒だった。彼はこの教会の責任者みたいだ。どうやら、俺をこの教会にチェックインさせてくれるようだ。

 

中へ入ると、沢山のホームレスが配給をもらうために並んでいた。俺も一緒に並ぶ事にした。

その日のメニューのカレーだった。よくよく考えてみると、俺は普段、ホームレスよりも貧相な飯を食って生き延びていたみたいだ。

その後、ジョーさんに手伝ってもらいながら、チェックインの手続き。彼に自分のパスポート(写真)を見せると、若い頃の俺みたいだ、と無理やりすぎる冗談を言っていた

 

チャペルの時間が始まった。

クリスマスがもうすぐだということで、特別に皆でクリスマスソングを歌うとのこと。部屋の明かりを暗くして、ロウソクを灯し、ホームレスの皆と一緒にクリスマスソングやアメイジンググレイスを歌う。

神秘的な空間だった。心が穏やかになった。

 

歌は、様々な境遇でここに来たホームレスたちを暖かく包み込む。深い悲しみと共に。

 

チャペルが終わった後、俺は同じ年くらいの男の子に話しかけた。

 

彼の名は、ドナバン。どうやら、彼の実家が焼けてなくなってしまったせいで、このサルベーションアーミーに来たみたいだ。彼は大事そうに昔の家のキーを今でも持っていた。

彼とは、教会にいる間、いつも一緒にいた。英語がまだまだ話せない俺だったが、友情に国境はないと再認識した。

 

毎晩、チャペルが終わった後、ドナバンやホームレスのじいちゃん達と教会の前でタバコを吸う時間が好きだった。

 

数人で1本のタバコを回しながら吸いながら明日からどうしよう?と考えて、

いや~今、俺、生きてんやなあ!と、ふと実感する。

ホームレスのおっさんなんか、「俺は、これからビジネスを立ち上げる!」とか笑顔で語っている。

 

次の日。いよいよ、ジョーさんやドナバンとお別れをする日が来た。短い間だったけど、本当にありがとう。ジョーさんに沢山のパンをもらい、出発の握手を交わした。

「Dear my son. You can do it!」

ジョーさんやホームレスの皆から見送りの時に勇気付けられた言葉

 

永遠と思われた旅の時間。

それは、人生みたく、その時は、その瞬間しか訪れない。旅人は、その瞬間を共にした仲間と想い出を握りしめるように握手を交わす

 

「I will never forget you.」

ドナバンがいつも付けているのと同じ指輪を俺にくれた。誰が君のことを忘れようか、再び会うことはきっとないだろう。それでも、君のことは死んでも忘れないよ。

 

そして、俺は偉大なるグランドキャニオンへ向けて足を進めた。

 

≪極寒のグランドキャニオンで野宿≫

 

アリゾナ州は、ヒッチハイクが禁止ということで、わずかなお金をはたいて、グランドキャニオン行きのアリゾナシャトルバスに乗った。

 

グランドキャニオン国立公園に着くと、スケボーで公園を散策した。

自分の目を疑うほどの景色を骨の髄まで感じた。大地の裂け目が夕日に染まる一時は、言葉にするのをためらうほどに美しかった。

 

そして、ここから朝日に備えて、氷点下での野宿が幕を開けた。本気で死ぬと感じれば、近くの建物のロビーに入り、ずっと起きておこうと思った。

 

仰向けになり、夜空を見上げると満天の星空があった。氷点下を下回る寒さだったけれど、寒さを忘れるほど自分の世界に浸っていた。しみじみと旅の実感が湧いてくる。気が付けば、3時間くらい経っていた。

 

一人旅は、自分を見つめ直す時間が多い。人は普段の生活の中で、沢山の情報にさらされている。それは、テレビや新聞、ネット以外にも人との会話からも受け取っている。

 

知らず知らずの内に僕らは、それに一喜一憂し、影響される。外的要因から自分を考える時はあるが、クリアーな視点で自分の潜在的な軸を見る機会は少ない。

 

旅に出ると、思いもよらない自分が見つかる。何も知らない、今までの経験が通用しない辺境の地で、見たことのない景色、人と出会った時に現れる心は、自分の潜在意識から来るもの。

それらを感じてこそ「旅行」ではなく「旅」なのだ。旅では、そこの文化に触れ、それに根付いた人々の性格を知り、自分自身が何を感じるかが大事なのだ。

 

あれこれ考え、気付けば、俺は寝袋の中で眠っていた。寒さも時間が経つにつれ、増していくのを肌で感じた。

 

寝ている途中に、「This is a sleeping bag….」みたいな囁きが耳元で聞こえた気がしたけれど、気にせず寝袋にくるまって眠った。

 

深夜1時ごろ…寒過ぎて、腹痛と共に目が覚めた。

 

震えながら枕元を見ると、なぜか俺のとは、別の寝袋を発見した「Please feel free to take it!」と書かれた紙がちょこんと乗ってあった。

 

さっきのウィスパーボイスの人が置いて行ってくれたのだろうか。極寒の寒さの中の温かな優しさ。どんなホットドリンクよりも心が温まる。その寝袋を使い、2重寝袋で、また就寝した。

 

そして、午前5時頃。生きていたことに感動しながら無事に起床した。

 

俺は使わせてもらった寝袋を畳み、「Thanks to your help, I was able to sleep. You are kind person.」と書いた手紙を添えて元の場所に置いた。

 

そして、朝日を見に出発した。世界中から来た沢山の人群れをなして朝日を待ち望んでいた。

 

朝日が上がった瞬間、俺は言葉を失った。ざわざわしていた観衆が一気にシーンと静まり返った。それもそのはず、実際にその渓谷に立ち、広がる景色を目の当たりにすると、自分の考えつく全ての言葉が意味をもたなくなる。まさに人間が考えつく形容詞など、はるかに超越したスケールだった。

景色を見て、涙ぐんだのは初めての経験だった。

 

昨晩の寒さの苦難は、このためにあったと確信した。苦しみを超えると必ず、喜びに繋がる何かが待っている。旅からそれを教えてもらった。

 

まるで旅が俺に言葉を発したように…。

 

この街を去る時、ふと夜を明かした寝床を見た。メッセージを残した寝袋はもう、無くなっていた。

 

≪ホームレスに雇われる≫

 

ここは、メキシコとの国境近くにある街、テキサス州エルパソ。アリゾナはヒッチハイクが禁止だったので、持ち金をはたいて、グレイハウンドバスに乗り、フェニックスを経由して、ここまで来た。

 

フェニックスでも、縁あってプール付きの高級マンションに泊らせて頂いたり、日本の文化に興味のある男性に日本のことを教える代わりにご飯をご馳走して頂いたりと素晴らしい出会いに恵まれた。

 

ここ、エルパソに着いた頃も、バスターミナルで出会った人がなんと若きアメリカンアーミー。ひょんなことから、アメリカ軍寮に招待され、訓練のコヨーテ狩りまで参加させていただいた。

本物の銃を撃ったのは、生まれて初めてだった。

 

沢山の貴重な体験と共に、エルパソを出るある日の朝。いつものようにヒッチハイクを開始した。

だが、その日は、1日待っても止まらなかった。次の日の朝、またもリベンジしたが、不幸にも7時間が経過した。

 

作戦変更を余儀なくされた。もう、自分で何とかするしかない。路上でお金を稼いで、バスでニューヨークまで到達しよう。もっとワクワクする新たなチャレンジがしたくなった。

 

ここアメリカでは、ホームレスたちは運転手に話しかけて、金をねだったり、ダウンタウンなどの街中で、「I’m homeless. Please help me.」などの看板を掲げてお金を恵んでもらったりしている。

 

俺はナルトのコスプレをして、ダウンタウンへ向けて歩き始めた。すると、道路沿いでサンタの格好をし、ドライバーに話しかけているおじさんを見かけた。

 

「What are you doing?」

俺は、話しかけに行った。聞く所によると、その人は、路上で1日300ドル以上稼ぐみたいだ。1日300ドルを稼ぐホームレスなんて聞いたことがない僕は、自分の今の状況をその人に話した。

 

彼は俺の元で、働くか?と言ってきた。1日目は10ドル。2日目は20ドル。3日目は30ドル…と日ごとに10ドルずつ給料が上がる仕組みで、さらに、この給料に自分がこのサンタクロースと一緒に路上をする際に儲けたお金の半分が加算される。

 

その日から、俺はサンタクロースの元で弟子になった。いつも名前を聞いても教えてくれない彼を「サンタ」と呼んでいた。サンタの元での初めの仕事は、サンタがいつも路上をしている道路沿いにある空き地の掃除。

掃除をしながら、向こうに居るサンタの路上を見るが、やはり、タダものじゃない。サンタは、ラジオ音楽を片手に道行くドライバーへ向けて、歌を歌ってダンス!ダンス!と言っても、素人丸出しで手や腰を振って、ポーズを決めているだけだ。

ただ、かなり楽しそう。見ているこっちまで笑顔にさせる陽気なじじい。

 

すると、1台の車の窓が開き、チップがサンタに渡される。この光景は、1度や2度では、なかった。沢山のドライバーが次から次へと、窓を開けて、サンタにお金を渡す。お金を入れるBOXを見ると、ドル札がたんまりあった。

特に、驚いたのは、サンタがダンスをせずに道路沿いにただ、座っている時に、ドライバーがサンタを呼びかけ、お金を渡している光景もあった。

 

サンタに渡されるのは、お金だけじゃない。服や食料もサンタは、沢山貰っていた。飲食物が沢山、入った段ボールを置いていく奴まで居た。俺は自分の掃除が終わると、早速、ナルトの格好で路上に立って実行を試みた。

「Hi~!!!」と笑顔で叫びながら、道行くドライバーへ向けて、手を振る。

俺は、笑顔を返してくれたドライバーに話しかけに行った。

 

それを見かねたサンタは俺に自分から話しかけに行っては、ダメだ。ドアが開くのを待て、と言う。言われたように、手を振りながら、笑顔で待つが一向にドアは、開かない。

 

そうしているうちに、すぐに、日が暮れ、この日の路上は、終了。俺の稼いだお金は、ゼロ。サンタは、軽く300ドルを超えていた。そこから、サンタの寝床に行く事になった。

 

「お前は、我が家へ初めて招く初めての仲間だ。」

彼は、俺をかなり気に入ってくれていた。途中、スーパーマーケットへ寄り、俺は、ビールを奢ってもらった。そして、いよいよサンタのすみかへ。

 

スーパーの駐車場を抜け、草木が生い茂る空き地をかき分け、どんどん進む。まさに、ジブリの世界だった。人が通れるように草木が刈られた自然トンネルを進み、草木で覆われる円形のホールに辿り着いた!

そこに木のベッドが置かれていて、その周りには、衣類が散乱して、生活空間が広がっていた。確かに、人の目や雨はしのげそうだ。

俺は、子供のようにキラキラした目でただただ、呆然と立ち尽くした。

 

その日の晩は、俺とサンタの2人で小さなパーティー。路上で貰ったお菓子を食べ、俺はビールを飲み、サンタは、マリファナを吸い、語り明かした。

 

俺達は、とても馬が合った。冗談で文句を言い合う仲にまでなった。言葉で通じあったのではなく、フィーリングが俺達をそうさせたのだ。

 

俺は衣類の山のベッドで朝を迎えた。風が強く、雨が降る肌寒い日だった。

「今日は、仕事を休みにして、街へ出かけよう!」

サンタは、そう言って、支度を始めた。

 

朝は、2人でバスへ乗り、コインランドリーへ向かい、洗濯をする。コンビニでコーヒーを飲み、ディスカウントショップへ行き、サンタは僕に中古のウェスタンブーツを買ってくれた。いいと言っているのだが買ってくれた。

 

お昼に、サンタは近くのスポーツジムでシャワーを浴びた。俺にも、浴びさせてくれようとしたみたいだが、会員じゃない俺は、やっぱりダメだった。

 

夕方になると、ファミレスのビュッフェをご馳走になる。何から何まで本当にお世話になった。

 

僕はいつもサンタが今まで稼いだお金が入っているリュックサックを任されていた。

 

「お前は、仲間であり、俺のボディーガードだ!」

彼は、こう言った。

 

サンタと肩を並べ、歩幅を合わせ歩く。サンタは、身長180センチ以上ある渋い顔の白人のおっさん。その横にボディーガードの仕事を任された身長165センチの日本人の俺が彼と肩を並べて歩いている光景は、なんとも異様な光景だったように思う。

 

サンタに心底、信じてもらえているのが嬉しかった。そして、俺も心の底からサンタを信じていた。

 

次の日も、また次の日も俺は、サンタの手伝いをした。俺が掃除をする空き地をサンタは、一面花壇にする予定のようだ。道行くドライバーが笑顔の花を咲かすような満開の花壇にしたいのだろうな、その横で人を笑わせているサンタを見てそう思った。

 

「空き地を勝手に花壇にしていいのか?」そんな疑問もあるだろうが、ロマンを見る男にそんな言葉は言わないでおこう。

 

空き地の掃除や土を耕す作業が終われば、俺は、いつもナルトで路上に出た。

 

俺とサンタは、何が違うのだろうか?まずは、サンタの路上での行動をじっくり見た。サンタは、心から楽しそうに歌を歌い、心から楽しそうに腰や腕を思うがままに振っていた。そこには、サンタの世界があった。

 

これは、今までの「俺」を捨てるしかない。覚悟を決め、俺は路上に飛び込んだ。路上をする場所には、サンタはいない。各々、離れてする決まりだ。

 

俺は我を忘れて、手や腰を振り、ありったけの笑顔でクレイジーに踊りまくった。すると、窓が開き、爆笑している若者が1ドルをくれた。

 

サンタは、心から楽しむという事を俺に教えてくれた。楽しいから笑うのではなくて、笑うから俺も皆も楽しくなるのだと。

 

それと同時に、俺はアメリカと日本の路上パフォーマンスの違いを知った。日本では、「誰かのためになること、誰かを喜ばせること」でお金を頂ける路上活動が多い。たとえば、ボランティア募金や路上詩人、似顔絵師などだ。

 

でも、ここエンターテインメントの国、アメリカでは、「誰かを楽しませること」でお金が発生する。面白く、クレイジーになればなるほど、お金が貰えた。

とにかく、楽しませる!笑わせたら勝ちなのだ。

 

それに気付いた俺は、1人で歌を歌いながら、ダンスダンス!!!

「ハッハッハーーーーイ!エブリワン!!!ハワ――ユーー!!!?」

一人で爆笑して、踊り、電柱で自作のポールダンスを行う。俺の稼ぐお金は、ドライバーの笑顔と比例するように、日に日に増え、50ドルを超えた!

 

しかし、サンタは、安定して、300ドルを超えていた。これは驚異的な数字である。俺とあいつではまだ何かが違う!!それは、なんなのだろう。

 

俺は、英語が話せないのも違いの1つ。サンタのコスチュームも、今シーズンの的を射ている。でも、それだけじゃないはずだ。

 

俺は自分の路上を早めに切り上げ、サンタの路上を見に行った。彼は、いつものように道路沿いを歩きまわり、笑顔でクレイジーなダンス!すると、当たり前かのように窓が開き、彼に洋服が渡された。それもいかしてるツナギだった。

あれも固定客なのか?それにしては、できすぎてはいないだろうか?

 

俺はサンタに聞いた。

「皆、あんたの事を知ってるんか?あんたの知り合いか?」

 

「そうさ!俺は、サンタクロースだからな!」

そんなことどうでもいい。それにしても、タダのコスチュームでこの有名ぶりはまずありえない。

 

思い返すと、サンタは、出会った時、「昔、映画の俳優をハリウッドでやっていた」と言っていたが、これは、もしかすると、もしかするかもしれない。

 

「What’s your name?」

 

「My name is Santa Claus.」

 

その謎は、迷宮入りのまま、遂に、彼との別れの時が来た。

 

この5日間、ずっと一緒にいた。サンタは、いつも「俺は、お前が好きだ!!!最高の友よ。」と言ってくれた。その言葉には、本当の友情を感じた。

明日からは、もう、サンタのリュックサックを守ることもなくなるのだな、何だか、寂しくなるな。

 

そして、別れの瞬間がきた。

 

「ちょっと、ここの段差に立って、こっちを向いてくれ。」

 

その段差に俺が立つと、俺は、サンタと背丈がおなじになった。

 

「Give me hug!」

と言って、別れのハグをして来た。

 

「サンタ!3年以内にまた、絶対に会いに来るからな!」

俺は、涙でいっぱいでそれ以上、言葉が出なかった。これ以上喋ると、本気で泣いてしまう。

 

「い~や、お前は、もっと早くに俺に会いに来るさ。満開の花をお前が作った花壇に咲かせて待ってるぜ!」

 

サンタは、俺に「国境なき友情」と言う最高のプレゼントをくれた。それは、いつまでもなくなることのない贈り物。そして、俺は、次の街、サンアントニオ行きのバスへ乗った。

 

その日の夕日は、眩しかった。こんなに照らされれば、泣いても当然だ、西日は優しく町を照らしていた。



つづく…。


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