引き続き、自伝「ネズミはドブ川へ飛び込んだ」の無料公開です。

今回は、無一文からBARを作るお話!

人は、1人じゃ何もできない。

金もないコネもない状態から仲間と共に夢を叶えていくお話です。

 

日本一周の旅から帰るやいなや、手始めにイベントを通して繋がりを築くことにした。 

学生がよく開いているコンパみたいな男女の交流パーティーにも楽しい側面はもちろんあるだろう。しかし、俺は何十年経っても皆の記憶に残るような誰もやった事のないアホでぶっ飛んだイベントを開催し、それを通して、アツい奴らを繋げたかった。

 

そこで、一発目に考えついたのが、100人鬼ごっこだった。

当然コネはない。人脈もない。俺にとって100人は全友達を合わせても満たない数だった。

 

思いついた翌日、梅田の街へ繰り出した。「100人鬼ごっこ」と大きく書かれた段ボールを持ち、「○月○日に大阪城公園で100人鬼ごっこをやりまーす!マジで、来てください!」と声がガスガスになるまで叫び続けた。しかし、イベント経験のない俺にはこんな方法しか思い浮かばなかった。

 

でも、少しずつ、少しずつではあるが、「興味あります!行きたいです!」って人や「その日は行けないけど、これからのイベントに協力したいです!」と声を掛けてくれる人が現れ、着実に賛同者は募り始めていた。

 

迎えた当日、淡路島で会った小澤さん(マリオ)の協力も経て、初の自分主催のイベントを決行した。ふたを開けると、20人程しか集まらなかった。が、参加者はとても楽しそうにしてくれていた。見ず知らずの他人同士が繋がり、仲良くなっていく様を見て、本当に嬉しく思った。

 

≪ホームレスになった俺≫

 

100人鬼ごっこが終わった後、次のイベント企画や仲間集めに忙しい日々を極め、不規則な生活を送っていた。当時、実家暮らしであったために、母さんは俺に合わせてご飯を用意してくれていた。しかし、好き勝手している俺に母さんが生活リズムを崩してまで、合わせてくれるのは、何か心が落ち着かなかった。そして、いつものことながら、保守的な父さんは俺の活動に反対し、俺の不規則な生活を白い目で見ていた。

 

そして、俺もまた、親のスネをカジっているにも関わらず、親の意見を聞かず、好き放題する自分に苛立っていた。自分のやりたいことをするには自分自身に責任を持つべきだ。家を出ることを決心した。ただ家を出るといっても一人暮らしが出来るほどのお金があるわけではない。しかし、お金を言い訳にはしたくなかった。俺は家族に決心を告げ、家を出た。

 

「こんな息子でごめん!でも、自信があるねん。どうしても、叶えたい夢があるねん!」

 

そうして、俺は駅の路地裏、駅近くの公園に段ボールハウスを作り、住むことにした。当然のことながら、雨の日は崩壊する。それを見かねた友達が家に泊まらせてくれることもあったが基本的に段ボールハウスで暮らしていた。

 

そういった理由でポケットに常時、歯ブラシを突っ込んでいた。バイト先や人に会いに行った際に、何かの拍子で歯ブラシがポケットから出ると、よく笑われたのを覚えている。

 

ある夏の日、我が家の段ボールハウスに友達が泊まりにきたことがあった。友人たちは興味津々で我が家に上がってきたが、朝起きると近くの遊具の上で話し込んでいた。暑さと蚊の多さのせいで俺が寝てすぐに段ボールハウスを出たらしく、ずっと外にいたようだ。二人は俺の熟睡具合に驚いていた。

 

≪シェアハウスFREEPEACE創設≫

 

 いきなり道行く人に話しかけ、鉛筆と何かを物々交換してもらう、次は交換したものを交換し、それを繰り返していく。初めに持っていた鉛筆が最後に何に変わるかを参加者で楽しむ「わらしべ長者イベント!」や「大人の運動会」など、数々のイベントを開催していく内に、少しずつ繋がりが増えてきた。そんな中、ある想いが芽生え始めていた。

 

イベントで繋がった仲間が気軽に立ち寄ることができ、夢ややりたいことを語る、沢山の人の夢が繋がる空間がほしい。

 

「夢を共有する自由空間~FREEPEACE」を大阪に作ろうと考えた。

 

FREEPEACEの名前の由来は俺の好きなドラマ「人にやさしく」のシェアハウス「スリーピース」と自由(FREE)な空間をかけたのと、俺が好きなアニメ「ワンピース」をかけて名付けた。ドラマ「人にやさしく」に出てくるシェアハウスには、親の愛に恵まれなかった4人が住んでいる。4人は、血の繋がらない赤の他人にも関わらず、本当の家族のように心で繋がり、向きあい、時にぶつかり合う、シェアハウスを舞台に登場人物が成長していく物語だ。俺自身も小さい頃に人は心で繋がれるということを身を以て知った。他人同士でも繋がりあえるような空間になることを願い、スリーピースの名前を拝借した。そして、もう1つの由来「ワンピース」は仲間それぞれが別々の夢を持ち、互いを尊重し合いながら、一つの目的に向かって困難を乗り越えていく。そんな風な繋がりになればと願い、拝借した。

 

早速、俺はホームパーティーをするために広いワンルームのある物件を求め、不動産屋へ突入した。すると、すぐに理想のマンションが見つかった。十五畳ワンルーム、心斎橋のど真ん中にあり家賃は7万円。見積もりを立てたところ初期費用はざっと50万円。俺の所持金はほぼゼロ円。

 

「大変、人気な物件なため、早く契約しないとすぐに他の人に契約される可能性が高いと思います…」

 

気が付けば首をブンブン縦に振っていた。まんまと乗せられた。なんとザルなお客さんだっただろう。でも、確かにここにシェアハウスを作りたかった。店員さんはニンマリとして、3週間以内に初期費用全額が必要だと俺に告げた。

 

あくる日から朝は肉体労働、夜はこの企画に投資してくれる仲間を求めて、色んな人たちに会いにいった。

 

「ある時はシェアハウス、ある時は旅人の宿、またある時はパーティースペース。ここは皆で作る自由空間。皆でお金出し合って皆でこの空間をつくって、ここを通してどんどん人を繋げてこう」

 

俺は寝る間を惜しんで人に会い、魂をかけて仲間1人1人にこれからできるシェアハウスFREEPEACEという空間について語り、一人一万円をカンパしてもらうために走り回った。三十人の仲間が目を輝かせてカンパをしてくれた。

 

残りはあと、十人分のお金。ここにきて小澤さんが十人分のお金を貸してくれると申し出てくれた。残り十人分。

 

仲間に支えられて、俺たちのFREEPEACEは完成した。

 

そして、2011年11月5日FREEPEACE完成記念パーティーを開催した。心斎橋、アメ村のど真ん中にある十五畳ワンルームのマンション一室に三十人程の人達が押し寄せ、ホームパーティーの域を超えたどんちゃん騒ぎを決行した。それからもFREEPEACEはイベントを屋内、屋外共にどんどん企画し、アホなイベントから大真面目なイベントを100以上は開催していった。

 

 初めの頃は参加者が3人しか集まらないこともあったが、徐々に集まるようになり、一年も経たないうちに、全国各地から旅人、夢を追う人、一歩踏み出したい人をはじめとした色んな人達がFREEPEACEという空間に来るようになった。

 

「ジョーくん!俺はFREEPEACEを関東に広めたい」

 

月に一度のペースでわざわざ関東からイベントに来ていたしんゆが俺の考えに共感し、俺と全く同じやり方で横浜にシェアハウスFREEPEACEを作った。しんゆは、日本一周中に東京で出会った16歳の男の子。彼も行動的で夢を持っていた。俺たちは一度会って以来、本音で語りあう中になり、弟のような存在になっていった。

 

後には、名古屋の仲間もFREEPEACEを作り、FREEPEACEという空間は全国的に知る人ぞ知る繋がりへと成長していった。

 

≪シェアハウスからBARへ≫

 

イベントの主催が定期化していく中、シェアハウスは、マンションの一室ということもあり、客観的に見て不審である。それに、イベント開催日以外にも、アツい空間を作りたかった。

 

人は、皆、それぞれ違う人生を生き、様々な価値観を持っている。人と話すことで、その人の人生に触れることができる。俺は、BARを通して、沢山の人達と話し、色んな価値観に触れたかった。さっそくBARでアルバイトをすることにした。

 

心斎橋の商店街にて、ある男と出会った。

ニックネームはのーくん。当時は大学4回生で俺の2個上。以前はお笑い芸人をしていて、夜は忍者BARという忍者をコンセプトにしたBARで働いていた。そのBARはのーくんがプロデュースをして完成したようだった。胡散臭い経歴と多才らしいのーくんに興味を抱いた。

 

いざ、話してみると、独創的な感性と巧みな話術にほれぼれした。初対面ながら直感でこいつと組みたいと思った。自分にないものを持っている。

 

 「お互いバーテンダー同士、俺とアツいBAR出せへん?」

 

「よっしゃ!やろうぜ!やるからには本気やで!」

 

 初対面で即決するのは安易すぎるかもしれない。でも、直感を信じたい。俺はのーくんとBARを出すことにした。

 

俺達が考案した初めてのBAR出店プロジェクトは、「キャンピングカーを改造し、移動式のBARに作り変え、日本を一周しながらお酒を提供する」といったものだった。見知らぬ場所にある見慣れないキャンピングカー。車内には非現実な空間が広がっている。きっと、お客さんはその違和感にワクワクしてくれるだろう。そう思うと胸が弾んだ。

 

ワクワクしながら中崎町辺りをぶらついた。通りかかった駐車場に見慣れないカタチをした車が止まっている。車の前に何やら看板らしき板が見える。まさか。目を擦り、凝視する。BARと明記された看板が確かに目の前に、その車の前にある。平凡な駐車場の中に非現実な空間が一つある。先人がいたとは。

後日、鼻息を興奮で荒くさせ若者二人はその空間へ足を踏み入れた。中に入ると、生ダルの椅子、油の染みた木で作ったのであろうバーカウンター、ウィスキーとフォークソングが醸し出すリズム、古き良きアメリカを彷彿とさせる臭いに俺達は酔いしれた。俺達がしようとしている事を実現しているオーナーさんに俺達がこんなBARを出したいこと、ノウハウがしりたいこと、ありったけの情熱をぶつけた。オーナーさんは快く承諾してくれた。

 

 そんなある日、オーナーさんから大事な話があると呼び出された。聞けば、常連さんと違うビジネスを始めるというので、ここを俺達に開け渡したいと言う。

 ウハウハだった。俺の頭の中には車内のアメリカンな雰囲気に酔いしれた金髪のお姉さんがジャックダニエルのロックを口に含み、俺の耳元で、甘い吐息を吐きながら、甘い言葉を囁かれている妄想さえしていた。

 

 そして、2012年5月、俺達のBARはオープンした。と言いたいところだが、

事態が急変した。

 

まさかのまさか、オープン目前にしてオーナーさんが音信不通。あの駐車場にはキャンピングカーもない。今の今まで連絡が繋がることも、あのキャンピングカーを見かけることもなかった。

 どん底に突き落とされた気分だった。俺達は得意げな顔でキャンピングカーBARの宣伝をしていた。友達からも早く行きたい等の声が寄せられていた。ピエロもいいところだ。

 振り出しに戻った。いや、振り出し所ではない、いや、よく考えれば紛れもないチャンスだ。旅のことを思い出していた。

 

 苦境、峠を乗り越える度に、神様がご褒美のように素敵な出会いをくれたじゃないか。

 

 俺とのーくんはこの状況をプラスに捉えた。もし、キャンピングカーBARを出していれば、ほとんど自己資金ゼロ円で店が出来ていた。でも、そんな方法、面白くない。しかし、現状ではどちらもお金を一銭たりとも、持っていない。さて、どうするか。閃きは突然やってきた。 

 

 無一文の若者がたった2カ月でBARをオープンさせれば、前代未聞じゃないか。

 

 俺とのーくんは異常にアツくなった。そうして、二ヶ月後の7月7日にBARをオープンさせることに目標を決めた。

 

 この頃、シェアハウスFREE☆PEACEのイベントがどんどん盛り上がっていた。イベント3日前に呼びかけただけで、部屋に入り切らないくらいの参加者が集まるようになっていた。やっぱり皆、自分のしたかったことは間違いじゃなかった。

 

 もっと、ここを大々的に広げたい。もっと多くの人達に知って欲しい。イベント以外の日でも、そんな空間を創りたい。BARを出すことによって、もっと大きなコミュニティになるはずだ。

 

 二か月で出店費用をどう稼ごう。

アイディアは突然やってきた。

 

 題して、「マリオとルイ―ジの夢募金プロジェクト!!!」

 マリオとルイ―ジの格好をし、難波や梅田の街に繰り出す。街角に立って「皆の夢を聞かせて下さい」と書かれた段ボールを持って、道行く人をナンパ…いや、話しかけまくる。そして、用意したノートにその人の夢を書いてもらい、一緒に写真を撮る。

そして、自分達の作りたいBARのプレゼンをし、BARの資金になるカンパのお願いをする。なんとも根気のいる原始的な体当たり作戦だが、俺たちは大真面目にこれをやり遂げようとしていた。

 

 「夢を持った人達がどんどんこの空間を通して、繋がり、夢を語り、刺激し合い夢に近づける空間を作ります。夢がまだないって人もその繋がりを見て、何かキッカケが生まれるはず。夢は語るだけでは叶わない!でも、語る事から夢は始まるはず。皆が主役の空間!皆で創り上げる店にしたい」来る人来る人にまとまらない思いを言葉に託して、ガムシャラに語りたおした。

 

 マリオは俺が着て、ルイ―ジはのーくんが着た。のーくんの都合が合わない日は色んな仲間が着てくれた。ルイ―ジは今まで20人ちかくの仲間が着てくれたと思う。そんな仲間の協力のおかげでマリオとルイージは絶えず路上に立ち続けることができ、「最近、梅田や難波にマリオとルイージがよく出没する」と俺たちの噂がどんどんネットや口コミで広がっていった。

 

 

俺達の情熱に沢山の人が答えてくれ、応援金箱には、溢れんばかりの夢が集まった。

そして、そこで出会った人の中には、イベントに来てくれる人も居た。

 このマリオとルイ―ジを通して、多くの人との出会いが広がった事が嬉しかった。

 

 そして6月中旬、仲間のカンパもあり、物件契約への費用が集まった。驚くことに、マリオとルイージで集めた応援金は、2ヶ月で120万円以上にも及んだ。

 

次の日、俺は、自分の脈打つ心臓に手を当て、実家の前に居た。

物件の契約には、連帯保証人が必要なんだ。

 

今まで、自分のやりたいことに反対していた父さん。

それでも自分のしたい事がしたいとふわふわしたイメージの夢を胸に抱いて、家を出た自分。

 

そして、いよいよ「BARを作りたい」という夢への第一歩を踏み出そうとしている今。

どうしても父さんに応援して欲しかった。

 

俺「父さん! 俺は、自分のお店を出そうとしてます。ここを通して、沢山の人の夢を繋げていきたいんです!」

俺は、アツくアツく父さんに自分の想いを真っ直ぐにぶつけた。

胸から込み上げてくる不安をアツいハートでぶっ壊して…。

 

人の意見に怯え、自分のやりたいことに正直になれなかった「昔の僕」の面影は、もうそこにはなかった。

親父は、言った。

「応援は、せえへんけどせいぜい頑張れよ!」

ゆっくりと用紙にハンコを押す親父。

 

今も昔と変わらず、良い意味で頑固な親父。

親父の押してくれたハンコは、俺の夢への一歩に背中を押す本当の自立への印でもあったんだ。

 

自分のやりたいことに本気でチャレンジして、努力すれば、その本気は伝わると感じた瞬間だった。

 

俺は、目を輝かせて、全速力でのーくんの元へ駆けた。手に夢のカケラをしっかりと握りしめて…。

そして、晴れて、契約した物件。

そこに次の難関が俺達に立ちはだかった。

 

元々はスナックだったビルの一室にある居抜き物件だった。

スナックだったこともあり、俺達がやろうとしていたBARのコンセプトとはかけ離れた内装だった。俺達はプロに内装を頼む資金すら持っていない。ただ、オープン日は着実に近づいていた。

 

店の大リフォームプロジェクト

その1「ぶっこわし!!!」

 

 元々スナックの物件だということもあって、部屋は鏡ばり、昭和のバブル時代から送られてきたようなどぎつい色のソファーが十個近くおいてある。作業するにはこのソファーが邪魔で仕方なかったので、mixi、Twitterを用いて、貰い手を探した。

 意外なことに、貰い手がぽつぽつ現れた。メッセージをひとつ受信するにつれて、だんだんとこの紫の光沢が高級品に見えてくる。人間の欲望はおぞましい。最後に残った5個をまとめて受け取ってくれる人が見つかり、安心していたが、最後の貰い手の方の住所がなんと和歌山だった。すぐさま軽トラを借りて直行した。

 

 そこは和歌山の田舎にあるデッカイダーツBARだった。店内は地元の青少年達が集まって盛り上がっていた。貰い手のオーナーさんは、夢を追う俺達を昔の自分と重ね合わせ、心から励ましてくれた。

俺達にガソリン代やレンタカー代を出してくれたりドリンク代まで出してくれたりで大助かり!

出会いに感謝。

ソファーを簡単に捨てていればその出会いはなかっただろう。リサイクルを通して出会いが広がった俺は嬉しかった。

 

 

日が沈んだ頃、店に戻った俺達に更なる試練が待ち受けていた。撤去作業最大の難関、壁にペタペタ貼られた鏡。卑しくも俺達を映し出していた

 

 「とりあえず、一回だけ割ってみよっか?」

 隣にいる友達のこーじに言った。もちろん、一回割ってしまえば後戻りはできない。割りたい衝動でどうにかなりそうな俺は片手にハンマーを握りしめていた。

 

こーじ 「一回だけならいいんじゃない?」

類は友を呼ぶ、あほに集うはあほ。

 

バリンッ!バリンッ!破片がそこら中に飛び散る。あまりの快感に怪我を怖れることなく、無我夢中で俺はハンマーを打ちおろす。

こーじ「ひゃっふーー!!!やれやれい~!」

 

こんなバカをいつになってもやっていたい。ふとこの時、思った。

おそらく、こーじともこの想いは、以心伝心していただろう。

 

 三日間続いた官能的撤去作業は終わった。勝ち誇ったように左手をみると、そこら中に小傷があった。

 

その2「大量の買い物」

 店の備品や内装で使う木材を大量に買わなければならなかった。当然、車は持っていない。そういう訳で、俺はスケボーに乗りながら材料を担ぎ、のーくんは自転車に材料を載せて、往復1時間半の道のりを行かざるを得なかった。スケボーは明らかに積載オーバーで、酷い仕打ちを受け、四方八方から木材が突出していた自転車は操縦困難な未知なる生物と化していた。

 罰ゲームでもしたくないだろうこの運搬作業はいつの間にか「筋トレ」と呼ばれるようになっていた。事実、筋トレのメンバーは日に日に身体が締まっていった。

 

 この時期は筋トレとペンキ塗りが改装の中心だった。

 壁一面にペンキを塗っていくわけだが、仲間の皆が協力してくれて、みるみる真っ白だった壁の色が変わっていく。

このひたすらペンキを壁に塗る作業がかなりの時間を要した。

上下左右と永久に手を動かす自分との戦い。

 

 そして夜になるとシェアハウスFREE☆PEACEに戻り、皆で飯を食べる。

飯を買う金があったらペンキを買いたいと思うほどに貧乏な俺達は毎日、野菜炒めばっかり食っていた。野菜と言ってもモヤシ一品だけなのだが…。

 

 材料をほとんど運び終わった頃、ホームセンターで働いている友達にあることを告げられた。

友達「ジョー君達は、なんでいつもわざわざ自転車やスケボーで買った物を運んでるの?」

俺「えっ?そりゃあ、車を持ってないからに決まってるやん。」

 

 友達「でも、ホームセンターには、木材とか持ち切られへん大きい物買ったら軽トラを無料レンタルできるシステムがあるよ…。」

 

俺「へっ?」

 

俺達の筋トレ生活はこうやって幕を閉じた。

 

その3は「素人の内装工事」

 

 OPENまで10日を切った頃、ようやく内装工事に取り掛かることができた。

内装のコンセプトは洞窟の中のオアシス。

10坪もない狭い空間を利用し、閉鎖的な内装にし、洞窟を演出すると言う斬新なアイデア。誰もが少年の頃に憧れた洞窟のアジト。それを俺達は、今から作るんだ。

絵の上手な友達に洞窟の出口から見る海の絵を壁一面に描いてもらうことになった。彼女は色んなお店で壁に絵を描いている。その内の一つの作品に心を奪われた俺は彼女に絵を描いてくれるように交渉し、彼女は快く了承してくれ、これが実現した。

 友達が絵を描いている横で俺は洞窟の岩をつくろうとしていた。セメントを買ってきたもののセメントと水の割合すらわからない。タコ焼きとは勝手が違うが、たこ焼きの要領で挑戦した。試行錯誤を繰り返し、最高の割合を編み出した。

 

 のーくん達はカウンターの上のワラの屋根を作っていた。独創性を爆発させ、竹箒の先の部分を屋根にアレンジしていた。インパクトを使いこなし、みるみる屋根ができていく。行ったこともないが、南国な匂いが漂ってきた。地道な作業が得意なコージはコツコツと壁中にペンキを塗っていた。常人ならおかしくなるくらい気が遠くなる作業だが、懸命にこなしていた。

 

毎日朝~深夜までろくに飯も食わずに睡眠時間も3時間程で内装工事と店の手続きに追われる。ハードな生活だったが、皆と一緒だから頑張れた。たくさんの人が応援してくれたから、支えてくれたから諦めなかった。俺は絵も上手くない、大工仕事もできなかったが、皆と一緒なら何だって出来る気がした。

 

そして、皆の夢でできたBARが完成した。

 

2012年7月7日 皆の夢でできたBAR~FREE☆PEACE~大人になったらなんになりたい? がOPENした。20人がギリギリ入る10坪のスペースに合計約80人がくる大盛況を見せた。俺の夢が叶った瞬間だった。それをかけがえのない仲間と共有できたことが何よりのご褒美だった。

 

 この空間を通して皆と一緒に自分の世界を広げて行きたい。皆の世界を繋げていきたい。沢山の夢を追う人々がここを通して多くの人に出会い、繋がり、夢のキッカケをつかみ新たな世界へ羽ばたいていく空間にすると誓った瞬間だった。

 これは夢の実現であり、夢の始まりだ。

 

 今日の日本社会では、大学へ通い、会社に就職し、安定した生活をすることが常識になっている。

 でも、「自分らしさ」を捨て、我慢してまで、その社会のレールに乗っかる必要はないのではないか。

 

人生に「正しい」「正しくない」なんてない。

そいつ自身がこれや!って思った生き方がそいつにとってのベストである。

 

どんな生き方を選んだ人間にも共通することがある。一度きりの人生を楽しみたいという感情だ。そんな奴らに選択肢を与えられる人間に俺はなりたい。自分の挑戦を通して学んだことを多くの人に伝えたい。

 

 BARがOPENして1年とちょっと経った。BARには毎日色んなお客さんが来てくれる。お客さんに今までの旅の話やぶっ飛んだ経験を話す。でも、いつかネタなんて尽きる、同じ経験ばっかり話すことにも飽きてきた。自分自身色んなチャレンジをし、刺激を受けたい、来てくれる人にもどんどん新しい刺激を与えたい。

「とりあえず、あのBARに行けば、またジョーが新しい刺激をくれる!」みたいに、俺はいつまでもプレイヤーでいたい。



つづく…。



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