≪人生初の旅がスタート≫


引き続き、自伝「ネズミはドブ川へ飛び込んだ」の無料公開です!!

 

今回は、臆病だった自分が10代最後に初めての旅へスタートします。

 

ここから過去の孤独心と決別し、自立への一歩を歩み始めました。

 

 19歳の春、ありったけの「好奇心」をバックパックに詰め込んで日本一周の旅に出ることを決意した。ワクワクで胸を躍らせる俺は周りの友達に「日本一周の旅に出る」と公言し、友人たちに自慢していた。応援してくれる人もいれば、馬鹿にする人もいたが、友人たちは皆、俺の話に目を輝かせて、背中を押してくれた。

 

友人の中には「知り合いが4年前からヒッチハイクで旅してるから、もしどっかで会ったらよろしく言っといて」とあり得ないことを言う友人もいた。俺は会えたら素敵やな、と言葉尻だけ合わし、その場を切り抜けた。

 

 「人との出会いを通して自分の世界を広げる!」

これが初めての旅、日本一周のテーマだった。ロクに外の世界を知らない井の中の蛙の自分は、生き方の選択肢がもっと欲しかった。

お金がなかった俺は、自分の持つ唯一の交通手段、ママチャリを初めの第一歩を踏み出す相棒に決めた。これでまずは鹿児島を目指そう。

 

町から町へ。山から山へ。一日中漕ぎ続ける。気がつけば日は沈んで、月が顔を出している。しかし、あともう少し、あともう少し、という思いが、人っ子いない夜の山道を走らせる。街灯もない田舎道に、一際目立つ車のヘッドライトは俺を横目にビュンビュン通り過ぎていく。

 

2号線沿いをずっと走って、100キロ以上を約10時間かけて西へ西へと進む。

俺は、前に進むことだけを考え、ロボットのごとく一心不乱に自転車を漕いだ。その日の月は、俺の不安を隠すように雲で覆われていた。眠りに付く場所もなく、結局、この日は、一晩中漕ぎ続けた。

 

出発から2日目。

昨日と相変わらずのギラギラした太陽の下、漕ぐたびに重くなる両足や泊まる場所がない不安、肉体労働と孤独感で早くも気が落ちていた。

家族や友達が周りに居ないことを寂しく思い、孤独を噛みしめた。

 

昔から1人で居ることが好きだった。

でも、いざ、本当に1人になってみると、周りの人たちの存在のありがたみをひしひしと感じる。旅をして二日目にして本当の自分を少し知れた気がした。が、二日目にして孤独のあまり泣きそうになってる自分を見て、げんなりした。

 

その日は、兵庫県と岡山県の県境にある公園のベンチの上で、寝袋に包まって野宿することにした。ベンチに横になると、剥き出しの星空が頭上でキラキラ光っていた。空と俺との間には何もない。

寝袋をすっぽりと顔まで被らないと、眠りにつけそうになかった。でも、顔まで被ったところで熟睡できるわけはなかった。が、しないよりはするほうがよっぽどましだった。

 

 夢うつつな状態がしばらく続いた。すると、誰かが僕の肩を揺らし始めた。

驚きと恐怖のあまり体が硬直し、心臓が大げさな音を立て鳴り始めた。反応することも出来ず、なすがままに、二、三度揺すられ、ことが終わるのを待った。

案外、早く足音は遠ざかっていった。あれはなんやったんやろう。考える間もなく、緊張から解き放たれた俺は急激な眠気に襲われた。疲れがドンときた。

 

気がつけば朝だった。なんとなくベンチの横に止めた自分の自転車を見ると、その荷台には見覚えのないビニール袋がぶら下がっていた。

中を開けてみると、おにぎりやパンや栄養ドリンクと1枚の紙切れが入っていた。紙切れには、「旅、頑張ってください。」と書いてあった。

「あ、もしかして、昨日の人が」

自転車のカゴに「ママチャリ日本一周中」という手作りの貧乏くさい看板を付けていた。それを見た昨日の方がプレゼントしてくれたのかもしれない。

感謝さえ述べることができなかった自分自身に情けなさを感じたが、この瞬間、俺の心の中で何かが変わった。

 

 再び、目の前の国道2号線を前へ前へと進み始めた。昨日とは全く違う足取りで。

これを契機に出会いが増えていったような気がする。きっと旅を前向きにとらえれるようになったからだろう。

 

しばらく行くと、先の見えない坂道に遭遇した。汗を垂らしながらふんばって坂を上る。登り始めて何時間経った頃、プップーと後ろから車のクラクションが鳴った。

 

「がんばってえ!」俺の横を通り過ぎる乗用車の窓から子供たちが手を振っている。「ありがとう!」俺は腕を大きく振り返した。

何時間でも、この坂を上れる気がした。些細な応援がこんなにも力になるとは思わなかった。 

 

≪もう一つの日本一周の目的。どうしても踏み出したい一歩≫

 

ずっと忘れようとしていたことがある。思い出したくない過去があった。

でも、大人になる前にどうしても踏み出したい一歩だった。

 

広島県福山市に着いた。そこで、僕はある決心をしていた。

 

ばあちゃんに会いに行こう。小さい頃、僕や妹を心から可愛がってくれた、ばあちゃん。両親が離婚して、再婚してから、疎遠になったが、幼少期にはよく、この田舎に来ては、おばあちゃんの家に泊って妹とともに遊んでいた。その記憶は時を経ても鮮明に残っていた。

 

見覚えのある福山駅の風景が目の前に広がる。

でも、ばあちゃんちが思い出せない。そう言えば、僕は、ばあちゃんを「トモのばあちゃん」と呼んでいた。「トモ」は、もしかすると地名なのかもしれない。

 

僕は道行く人に「トモ」という地名がこの近くにあるか尋ねて回った。

やはり、知らないと答える人が多い。めげずに時間を費やし、やっとのことで「トモノウラ」という場所の情報を手に入れた。ここからバスで40分、自転車で1時間半程の所にあるらしい。

そこに望みを託して、僕は自転車を走らせた。

 

鞆の浦は瀬戸内海に面する港町だった。

海から来るそよ風は、少年の心を揺らした。「ばあちゃんちの近くや」少年はボソリと呟いた。記憶に残っている風景がここにあった。微かな記憶を手繰り寄せると、この近くに湧水が出る神社があったはずだ。そこによく、ばあちゃんやじいちゃんと一緒に水を汲みに行った。

 

僕は、またも道行く人に湧水が出る神社について訪ねた。これにも時間を要した。ほとんど誰も知らなかった。もう何人に話しかけただろうか。一心不乱に通行人に尋ねる中、1つそれらしい情報が手に入った。

 

「10年ほど前まで湧水が出ていた神社がある。」

 

ここしかない、僕はすぐさまそこへ足を進めた。

 

神社に着くと、僕は少年時代の自分を、さっきよりもありありと思い出していた。そして、今や湧水が出なくなったその場所は、僕の不安と恐怖を煽り、僕は足を竦めた。不吉な予感がした。

 

下を向いて、沢山のこと、沢山の考えたくもないことを考えた。

「ばあちゃんが死んでたら、どうしよう」思い出したくない孤独感や忘れていた涙が下を向いた鼻先からぽとぽと地面に落ちた。

 

引き返そうと自転車に手を掛けた時、僕の目に入ったのは「日本一周中」という文字だった。それは紛れもなく今の自分だった。一人でも前に進んでいる今。

 

「幼少期の孤独」を乗り越えようと「俺」はここに来ている。

 

僕は、孤独と戦い、自立しようとしていた。覚悟を決め、勇ましく、再び足を進めた。僕は遂に、ばあちゃんちの前へ来た。

 

昔と違って、変わり果てた風景だった。

周辺には人っ子一人見ず、近所の家屋は、人が住んでいる様子もなく、ガラスが割れ、ゴミが散らばる。どこからか吹いた風が家の周りを枯れた葉で埋めていた。

 

僕は、ばあちゃんちの呼び鈴を鳴らした。

 

数分経って、年老いた白髪の男が僕の前に現れた。

 

「何の御用ですか?」その男はきっぱりした口調で言った。

 

「僕は、金沢と申します。ここに住んでいたじいちゃんとばあちゃんに会いにきました…」

 

「帰れ!」

僕が言い終わる前にその男性は、凄い剣幕で言葉を制した。

 

「でも、僕は、じいちゃんとばあちゃんに…」

 

「帰れ!警察を呼ぶぞ!」

 

どうすることもできず、つかの間、たじろいだ。

 

「手紙を書いて来るんで、おばあちゃんに渡してください。」

僕は、少し後ずさりして、一目散に走った。必死に涙をこらえた。

 

神社に戻って来た僕は、地べたにしゃがみ込んだ。僕は涙を流さないように上を向いたが、どれだけ上を向いても涙が溢れて、こぼれ落ちる。

 

「大人になる。」そう心に言い聞かせて、僕は膝の上に紙を置き、ペンを握る。手紙を書くために、下を向いた時、溜めていた涙がポツリと紙に落ちた。孤独で涙を流すのはもうこれで終いにしよう、そう決心し、手紙を書き始めた。

 

「トモのばあちゃん、じいちゃんへ。」

 

お元気ですか。

体調、崩してないですか。

僕と妹は、元気にやってます。

小さい頃に、いっぱいおじいちゃんとおばあちゃんに遊んでもらった経験を今でも覚えています。

セミ採りや魚釣りに連れて行ってもらったり、楽しかった思い出ばかりです。

父さんと母さんの間に何があったかは、知りませんが、僕は、今でもじいちゃんとばあちゃんが大好きです

 

今の僕があるのも、皆のおかげです。

 

本当にありがとうございます。

母さんにも伝えといてください。

 

いつか、笑顔で会える日を楽しみにしてます。

 

手紙をポストに入れ、俺は、自転車に足をかけた。

心なしかハンドルを握る手は強く、大きくペダルを漕いで前進した。追い風が俺の背中を押した。より一層、スピードが増したような気がした。

 

空を見上げると、雲が動き、綺麗な夕日が顔を出していた。

俺は、ホッとして笑みを浮かべた。その表情には、もう迷いはなかった。

 

≪一期一会≫

 田舎の山道を駆け抜けて、熊本県熊本市に着くと、俺は久々の都会に胸を躍らせていた。この大都会には「縁」を肌で感じる体験が待っていた。

 

そんなことは露とも知らず、その町の一角にあるスナックへ足を運んだ。そこで働く「カッチ」という愛称で呼ばれる男の人と仲良くなった。話していると、旅をしたことがあるらしく、大阪にもいたことがあったようだ。

 

「ジョーは大阪のどっから来たの?」

 

「大阪市内です」

「市内のどこ~?」

「◯◯区です」

「◯◯区のどこ~?」

 

「◯◯です」

「◯◯の何丁目?」

 

一瞬、懐疑的な目でカッチ君を見たが、話を聞いていくうちにあれ、と思い始めた。どうやら、カッチ君は俺の実家から1分程の所にあるBARで少し前に働いていたらしい。

 

 あれ?この話どっかで聞いたことがあるような、

「ジョーは19歳だよね?それなら星本のこと知っているんじゃないかな?俺がそのBARで働いていた時にジョーと同じ年の女の子(星本)がよく来てたから」

 

俺は、それを聞いた瞬間、鳥肌が立った。

その星本って女の子は俺が旅に出る前、

「知り合いが4、5年前からヒッチハイクで旅してるから、会ったらよろしく」と言っていた友達である。

 

「もしかして、カッチ君って4、5年前にヒッチハイク旅してました?」

 

「え、そうだけど何で分かったの?」

 

「ううううおおおおおおおおおお!!!!!」

俺はこの奇跡に発狂した。取り急いで星本の話をした。

 

「うおおおおおおおおおおおお」

カッチ君もまた、発狂した。

 

 カッチ君は4、5年前に北海道を出発してヒッチハイクで沖縄まで旅をしていた人で、旅費が無くなれば現地に住み込みで半年から1年程度バイトをしてお金を貯める。貯まれば、また、出発するという長期スパンの旅スタイル。

今まで、ヒッチハイクで乗せてもらった台数は600台以上らしい。ここまでくると、もう笑うしかない。

 

お互いが雄叫びを上げ、抱き合う。

縁の存在を肌で感じた瞬間だった。

 

 

そして、そんな奇跡の出会いをくれたスナックの店名は「一期一会」だっだ。

 

 

≪峠での出会い≫

  

 九州に度々ある高く険しい峠。

そのうちのひとつの峠を乗り越えた時に、その出会いは訪れた。

本当にご褒美のようだった。

 

 俺は坂道の途中で空き地を見つけた。自転車を止め、休憩がてら空き地に腰を下ろした。すると、向かいにポツンと1軒だけある民家から、おじさんが出てきた。

 

「そこで、なにしとる?こっちきい」

 

あ、入ったら駄目な場所だったかな…

冷や汗がこめかみから頬に伝っていった。弁解しようと腹に力を入れてはっきり事情を叫んだ。

 

「大阪から自転車で旅しています。この峠を登って鹿児島へ行こうと思います」

恐る恐るおじさんの方へ向かった。

 

「腹、減ってないか?おじさんと話ししよう!」

状況があまり掴めなかったが、「今日は、まだ何も食べていません。」と厚かましく答える。おじさんは、家に俺を招き入れ、家にいる奥さんに昼ご飯を持ってくるよう頼んだ。

 

 なんと見ず知らずの俺にイノシシ料理を振舞ってくれるらしい。しかも、おじさんが狩ったイノシシらしい。夫婦はいっぱい食べや、食べやと自分の息子のように俺に接してくれた。

 

腹が減っていた俺は、獣のようにイノシシに頬張りついた。今、思い返しても、味が全く思い出せない。あまりに懸命にむしゃぶりついたからだろう。かなり旨かったことくらいしか記憶にない。おじさんたちは俺の食べっぷりをニコニコして眺めていた。

 

おじさんは、町の役所で働いていたが、もう定年退職して、家で物作りをしながら、おばさんと共にのんびり暮らしている。その時はモグラ避けの道具を作っていたらしい。「去年は、1年で鹿が32匹も獲れたよ。冷凍庫にいっぱい入ってある。」おじさんは鹿も狩っているようだ。

 

俺は、ご飯をご馳走になりながら、旅の話をおじさんとおばさんにいっぱい話した。そうこうしているうちに、時間はあっという間に過ぎた。別れの時が来る。

 

「体にだけは、気を付けて。なんだか寂しくなるね。また会えたらいいね。」

別れ際のおばさんの言葉が胸に響いた。二人と抱擁を交わし、おじさん自慢のカメラで写真を撮り、自転車のペダルに足を掛けた。

 

出会いとういうのは本当に不思議なもので、

もし俺が、あの時間に、あの場所で休憩しなかったらこの出会いはなかっただろう。

 

どこか新鮮で暖かな夕日に照らされ、俺はまた坂を登り始めた。

 

 峠は素敵な出会いを届けてくれる存在のようだ。

 

あくる日、峠を越えた際にはこんなことがあった。

 

道中に仲良くなったおじさんに旅の話をすると

「泊めてあげたいけど、うちは事情があって自分の家は泊めることができないから」そう言って、わざわざ民宿を用意してくれた。優しさに驚愕した俺は見ず知らずの若者に何故そこまでしてくれるのか問うた。

 

どれだけ断ろうとも、その人は引かなかった

 

「泊まる所がなくて困っている君に、泊まる所を用意してあげただけ。親切でも何でもないよ。」

 

こんなに当たり前のように優しさを与えられる人に俺はなりたいと思った。

 

≪道に迷っている時に≫

 

ある日、険しい上り坂のある峠を避けるために、俺は、携帯のGPSナビを使い、峠のある国道を避けるように県道を走った。だが、この選択に水を差すようにGPSが途中で反応しなくなった。旅に近道はないと暗示されたようだった。

 

道に迷い、立ち往生していた所、1台の車がクラクションを鳴らし俺の前へ止まった。

 

中から、女の人が出てきてきいた。「日本一周しているの?」

なんとその女性も過去に、彼氏と軽自動車で日本一周、ピースボードで世界一周をした旅人だそうだ。現在はその彼氏と和歌山で農業生活を営んでいるそうだ。俺は自己紹介と共に、道に迷っていることを話した。

 

「車で本道まで戻してあげる!」しかし、彼女の車は軽自動車であり、自転車を乗せることができなかった。それでも、必死になって沢山の友達に電話をして、宿を探してくれた。

結局、宿は見つからなかったが、彼女は丁寧に本道への戻り方を教えてくれた。

 

別れ際に彼女は、何かあった時にお守りとして持っていてと1000円を俺にカンパしてくれた。俺は和歌山まで農業を手伝いに行くと再会を約束した。

 

俺が道に迷わなかったら、この出会いはなかった。

トラブルも含めて、全てのことには意味があると旅ではつくづく思わされる。

 

お姉さんから貰った数々の優しさを糧にし、いつかお姉さんに胸を張って会える人間になれるように、俺は心に決めた。

 

≪ピンチはチャンス!≫

 

 沢山の奇跡的な出会いに支えられて、とうとう鹿児島県へ突入することができた。折り返し地点に定めたゲストハウス旅人宿まで、あと少しだった。

 

そのゲストハウスは広島の国道沿いで出会ったとある旅人に紹介されたゲストハウスだ。今まで、公園、駅前、シャッターの閉まった商店街、バス停などで野宿を繰り返していので、そこに着いた暁には、自分へのご褒美としてお金を払って宿に泊まろうと決めていた。

 

そして、折り返しからは旅のスタイルをママチャリからヒッチハイクへ変更しようと密かに心に決めてもいた。

 

しかし、九州は特に峠が多く鹿児島県入りしてからは、台風が直撃するという悲劇が起き、そう簡単には着かせてくれない。俺は、台風なんて関係ないと傘もささず、雨、風を押しのけて進んでいたが、それが原因で持っていた携帯が水没した。

 

「ピンチは成長へのチャンス」だと心に言い聞かせ、ひたすら前へ愚直に進んだ。辛いことを乗り越えた後、素敵な出会いが必ずある。

それに苦しい経験、失敗談が後になって話のタネになる。そんな話をご褒美のように出会う人々に話すことを楽しみに乗り越えるようになった。

 

やっとの思いでゲストハウスへ辿り着いた。

 

さすがは旅人の集まる宿なだけあって、ゲストハウスにはたくさんの出会いがあった。中でも、ある女性には特にお世話になった。俺は彼女に現在の旅の状況、ヒッチハイクがしたいことなどを伝えると、何とママチャリを引き取ってくれると申し出てくれた。

 

そして、ここから東日本へ向けた。

ヒッチハイクの旅が始まるのだった…。

 

 

続く…。



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