今日のできごとを語るには、まず、一年前のアメリカに居た俺を遡る必要がある。
そこでは、旅人だった俺は、とある通行人に道を尋ねた。
片言の英語で俺は、相手が日本人だと気付いた。
彼は、絵描きのアーティスト。
彼には、独特の感性を持つ俺に興味を持ち、俺と日常を過ごすことで、アートを感じれると話した。
「毎日のご飯代は僕が出すから、君に着いて行っていいか?」
俺には、その言葉が何を表すかよく分からなかったが、ただ貧乏人の俺には、都合が良かった。
そこから毎日毎日、俺たちは、ニューヨークという日々を過ごした。
洞窟の奥の光を見るようなモマ美術館、
埃だらけに転がった優しさを見つけたスラム街、
興奮した俺達の心臓の鼓動と共に時が早く過ぎた。
彼との別れの時、彼は俺に
路上というとある古びた小説を差し出した。
著者は、J・ケルアック。
アメリカ、ビートジェネレーション時代の先駆者みたいだ。
ビートとは若者を中心として既存の社会に抵抗し、
新しい価値観を提唱した文学革命期である。
政府主導の物欲主義や抑圧的な社会に、
大胆な文学表現と行動で、反対し社会に疑問や不満を持った若者達。
そして、その先駆者がその時代を生きた若者によるアメリカ横断旅。。
なぜだか
人生が俺にこの本を読めと言った。
飛行機の中でビートを刻むように、心が震え、その本に釘付けだったのは、今でも覚えている。
その刺激的なスパイスは、アメリカ終わりの俺にはちょうど良かった。
それからというもの……
心臓の鼓動が減速する日常に戻った俺は、昨晩、
とある友人から映画を進められた。
タイトルは、「オンザロード」
オンザロード……
路上?
パッケージの表を見ると、作家の
J・ケルアックの名前が!!!
「いつの間に映画化されたんだ。」
その時、BARに居た俺は、我を忘れ、TSUTAYAに飛び出した。
いつも入るはずの18禁コーナーをするりと横切り、
気付けば俺は、荒野に居た。
目の前に見えたヒッチハイクをする白人2人。
間も無く、彼らはトラックの荷台へ乗り、荷台の上に既に居た他のヒッチハイカーと酒を交わし、空を仰ぐ。
またふと、気付けば、俺は、とある酒場に居た。
ジャズが暴れる店内で、
ウィスキーを瓶ごと飲みながら高らかに踊る2人をまた見た。
そして、初見の女と情熱的なセックスをする2人。
そうそれは、野生的な感性で予想を超えた行動力を持つディーンと
それに憧れを抱き、小説家を夢見る文学人サルのアメリカ横断期。
ディーンは、人というよりは、動物。
感情の赴くままに旅をする動物は、野生的な感情をドラック、酒、セックスを通して、分かち合う。
社会が工場みたく、箱になり、レーンに流れる機械達になることを嫌った彼らは、確かに自由だった。
そして、ビートなるものを生み出した。
そんな本能的欲求のまま生きることがどんどんできなくなる現代で、
自由を感じれる場所はどこにあるのだろうか。
「人生が僕に戻れと言った。」
映画のワンシーンで出てくるサルに降ってきた言葉。
元居た世界へ戻った俺は、自分が見た2人の青年を振り返った。
子供心、好奇心からくる
鬱屈した日常の打破、社会逸脱をした彼らのクライマックスの別れには、
本能的欲求をあえて捨て、普通の人生に戻る寂しさがあった。
動物は、涙を目に溜め、最後の別れ際に人間に言った。
「サル、お前のこと大好きだぜ!」
この作品には、ありとあらゆる「社会の底辺に生きる人」が登場した
そんな彼らを落ちぶれたままにすることなく優しく受け入れ、
どんなに切なく辛くとも、かけがえのない最高に素晴らしい存在なのだと説き示した
サルからディーンへの友情があった。
そして、21世紀の俺達もまた、
ビートを通して内なる自分の声に耳を傾け、
未知の世界や未開の自分に足を踏み入れ、
新しいカルチャーを生み出していこうと思った。
そこでは、旅人だった俺は、とある通行人に道を尋ねた。
片言の英語で俺は、相手が日本人だと気付いた。
彼は、絵描きのアーティスト。
彼には、独特の感性を持つ俺に興味を持ち、俺と日常を過ごすことで、アートを感じれると話した。
「毎日のご飯代は僕が出すから、君に着いて行っていいか?」
俺には、その言葉が何を表すかよく分からなかったが、ただ貧乏人の俺には、都合が良かった。
そこから毎日毎日、俺たちは、ニューヨークという日々を過ごした。
洞窟の奥の光を見るようなモマ美術館、
埃だらけに転がった優しさを見つけたスラム街、
興奮した俺達の心臓の鼓動と共に時が早く過ぎた。
彼との別れの時、彼は俺に
路上というとある古びた小説を差し出した。
著者は、J・ケルアック。
アメリカ、ビートジェネレーション時代の先駆者みたいだ。
ビートとは若者を中心として既存の社会に抵抗し、
新しい価値観を提唱した文学革命期である。
政府主導の物欲主義や抑圧的な社会に、
大胆な文学表現と行動で、反対し社会に疑問や不満を持った若者達。
そして、その先駆者がその時代を生きた若者によるアメリカ横断旅。。
なぜだか
人生が俺にこの本を読めと言った。
飛行機の中でビートを刻むように、心が震え、その本に釘付けだったのは、今でも覚えている。
その刺激的なスパイスは、アメリカ終わりの俺にはちょうど良かった。
それからというもの……
心臓の鼓動が減速する日常に戻った俺は、昨晩、
とある友人から映画を進められた。
タイトルは、「オンザロード」
オンザロード……
路上?
パッケージの表を見ると、作家の
J・ケルアックの名前が!!!
「いつの間に映画化されたんだ。」
その時、BARに居た俺は、我を忘れ、TSUTAYAに飛び出した。
いつも入るはずの18禁コーナーをするりと横切り、
気付けば俺は、荒野に居た。
目の前に見えたヒッチハイクをする白人2人。
間も無く、彼らはトラックの荷台へ乗り、荷台の上に既に居た他のヒッチハイカーと酒を交わし、空を仰ぐ。
またふと、気付けば、俺は、とある酒場に居た。
ジャズが暴れる店内で、
ウィスキーを瓶ごと飲みながら高らかに踊る2人をまた見た。
そして、初見の女と情熱的なセックスをする2人。
そうそれは、野生的な感性で予想を超えた行動力を持つディーンと
それに憧れを抱き、小説家を夢見る文学人サルのアメリカ横断期。
ディーンは、人というよりは、動物。
感情の赴くままに旅をする動物は、野生的な感情をドラック、酒、セックスを通して、分かち合う。
社会が工場みたく、箱になり、レーンに流れる機械達になることを嫌った彼らは、確かに自由だった。
そして、ビートなるものを生み出した。
そんな本能的欲求のまま生きることがどんどんできなくなる現代で、
自由を感じれる場所はどこにあるのだろうか。
「人生が僕に戻れと言った。」
映画のワンシーンで出てくるサルに降ってきた言葉。
元居た世界へ戻った俺は、自分が見た2人の青年を振り返った。
子供心、好奇心からくる
鬱屈した日常の打破、社会逸脱をした彼らのクライマックスの別れには、
本能的欲求をあえて捨て、普通の人生に戻る寂しさがあった。
動物は、涙を目に溜め、最後の別れ際に人間に言った。
「サル、お前のこと大好きだぜ!」
この作品には、ありとあらゆる「社会の底辺に生きる人」が登場した
そんな彼らを落ちぶれたままにすることなく優しく受け入れ、
どんなに切なく辛くとも、かけがえのない最高に素晴らしい存在なのだと説き示した
サルからディーンへの友情があった。
そして、21世紀の俺達もまた、
ビートを通して内なる自分の声に耳を傾け、
未知の世界や未開の自分に足を踏み入れ、
新しいカルチャーを生み出していこうと思った。