くぎり
のこされた人達のためでもある
もちろん亡くなられた人をきちんと送るため
偲ぶためではあるけれど
お葬式や お別れの会は
のこされた人が、それを受け入れくぎりとするため、覚悟するためにある
みたいな事を いつだったかどこかで聞いた覚えがある
なんかさ、
作品とその想いを届けたのち
ってのがなんかさびしくてつらくおもえてしまって
お別れ会はあっても行かないから、
いつあってもいいんだけど
届けたのち・・・
そう感じるのは私の勝手(←なんか意味違う?)
なんだけど、なんかさびしい、かなしい、つめたい
作品のなかで キミはいつまでも生き続けるからね
いまだに
キミの名前の前後に付く
急逝、享年、亡くなった、
最期の、追悼・・・
これらの言葉に胸がギューっと締め付けられる
受け入れてはいるけれど理解できないのか
理解できているけれど受け入れられないのか、受け入れたくないのか
こんな自分でもよくわからない
めんどくさい心の整理ができたら、
自分の中でくぎりをつけるから←できるのか?
お別れ会は行かない
そして、もちろん
キミのこれまでの作品とこれからの作品を
大切に大事にさせてもらうね(^-^)v
さがしてみたら、キミのこれまで
たくさんうちにあったよ📀
これからのも迎え入れるから✌️
バスから降りたさきちゃんと佐藤さんが話したのはこの辺かな?
あの文章、最初に見た時と違う気がするんだけど。
~読み返してみたら支離滅裂😅
でも、今の気持ちだから記しておこう~
