母の呪縛 | 光と愛のメッセンジャー☆きより

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こんにちは


光と愛のメッセンジャー きよりです。


毒吐きです。苦手な人はスルーしてね。


最近、1月7日の満月から、


私の中で、

手放し、デトックスが始まっているようです。


昔、母にされて嫌だったことや、


当時は気づかなかったけど、母に洗脳されてて、


私はこうなんだと思い込んでたことや、


やっぱり母は毒親だったのだと、改めて気付かされたり、


まあ、やたらに昔のこと、思い出してしまうのです。


今は本当の私を取り戻そうとしているんだなと感じています。


そういう時期なのかもです。



思い出したこと、色々あげていきます。


①子どもの頃、母の日に、母にエプロンをプレゼントしたら、


「もっと働けってことか!」とブチ切れされたことがありました。


②叔母(母の妹)が入院した時、その叔母の旦那さんが一人になるからと、


私に家事をさせるため、そこの家に行かされたことがありました。


今思えば、母は自分が行くのが嫌で、代わりに私に行かせたのです。


当時高校生だった私は、嫌と言えず、

(夏休み中だった)


結局その晩にひどい喘息発作が起き、(身体が拒否反応?!)喘息薬を持って来ていなかったので、


朝まで発作に耐えて、もちろん一睡も出来ず、


朝にやっと薬を持って来てもらい、連れ帰ってもらった。


そのおじさんのこと、苦手だったんですよね〜


③とにかく話を聞いてもらえない。


中学生の頃、苦手な先生がいて、

母に「◯◯先生が嫌だ」と言うと、


「そんなこと言ってはいけません」で終了。


また大人になってから、

お姑さんへの不満を口にしようものなら、


「そんなこと言ってはいけません」で終了。


進路を決める時も、とにかくこちらの話を聞いてもらえなくて、


あとで、音大に行きたいのが、先生からの連絡でわかると、


ブチ切れて、「何の相談もなしに決めてむかっ


あなたがいつ私の話を聞いてくれた?ということでした。


そのくせ、母は元小学校教師なので、


自分の生徒の相談には、長いこと電話で話を聞いていた。


④母から言われ続けた言葉


「お前は鈍臭い」「気がきかない」


「お前なんかと一緒に仕事する人がいるの?いるわけない」


「お前を雇ったら、その会社が損をする」


「褒める点が何もない」


「お前は醜い」


こういうのって、私自身、自分で自分をそうだと思い込んでしまっていたようです。


⑤いつもよその人に、

「この子は気が弱くて・・」と言う。


なので、無意識に気の弱いふりをしなくてはならないと思い込んでいた。


怖くないのに怖いふりや、


わざと自信なさそうにしたりしていると、


最近気づきました。


⑥母は自分の体裁や見栄を優先している。


大人になってから、


母と一緒にカフェでお茶してたら、


たまたま母の知人に会って、


その人が何も聞いてないのに、


「この子はひどいアトピー性皮膚炎で・・・」


と説明していく、


後で私が、「なんでわざわざそんなこと言うの?」


と聞くと、


「あんたは、自分がどんな顔色してると思ってるねん!!


病気だと説明しないと、変に思われるやんか」だと。



私が結婚した当初、母に


「いつまで別居してるの?家賃もったいない」


「向こうのお義母さん寂しいやろう」


とやたらに言われて、本当に苦痛でした。


ほとんどの母親は、


「別居で良かったね」とか言ってくれるのに、

(友人とかの話を聞いて)


私にそんなに苦労をさせたいのか、と思っていたが、


結局は、自分の見栄のため、


「うちの娘はあちらの親御さんと同居してます」と


自慢したかっただけらしい。


「まあ、娘さんえらいのね」と言われたいがために、私を苦しめた。


これ↑最近わかったんです。


まだまだ色々ありますが、


もうこの辺にしておきます。


でももうこれらの呪縛は、解けたと感じています。



(出雲大社のなでうさぎさん・2017年撮影)