千年過去2 E.P. | キャンゼル 椎名未緒オフィシャルブログ 「宇宙考察」 Powered by Ameba

千年過去2 E.P.

2006年03月24日 の 私の日記

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はい。
こんばんわ。

皆様目は通してもらえましたか??

知ってる人もいたと思いますけど、改めて読み返すと感慨深いですね。
とても。

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「人間は生まれながらに知性を持つか」というのは、昔から科学者の間でも長年議論されている重要な問題です。
20世紀の始めごろにデンマークで世界中を騒がせた「利口な馬・ハンス事件」は、たとえ訓練を施したとしても、
人間と同等の知性を動物が持つ可能性は極めて低いということを証明しました。
それでは逆に人間を人間らしい環境におかなければ人間はどのように成長するのだろうかという問題の解答として挙げられたのが、
昨日載せた「狼少女・カマラとアマラ」です。

通常、狼に育てられた子どもの話はただの創作や勘違いだったとされていましたが、この二人の少女の話は写真も残っていますし、
証言者がキリスト教の牧師だということもあって真実とされ、長年語り継がれてきました。
日本では昭和30年に、『狼に育てられた子』という題名で新教育教会出版から翻訳出版されました。
教科書にすら掲載されています。
調べたところ、道徳や心理学の教科書に使われている他、言語学の教科書にも掲載されています。
大学の授業にもされているようです。

教科書に載った理由は簡単で、子どもたちに教育の大切さを教えるためです。
きちんと勉強しないと「教育がないと人間は人間になれない。狼少女のようになっちゃうよ」ということですね。
しかし、近年になってこの「狼少女」も作り話であることが判明しました。

精神分析医のベッテルハイムは、この「狼少女」の行動が、自閉症児に同じように見られ、
それ以外の行動もオオカミに育てられたと考えずとも説明がつくことを指摘しました。
人類学者バーンは、実際にインドに行きゴダムリの村の存在を確かめようとしたけれど、
この村は現在どころか過去にも存在しなかったということが判明しました。

この少女たちの話の真実性は、生物学的にも疑問があります。シング牧師の記している狼少女の特徴は、
漫画的というか「もしも狼に育てられたらこんな感じになるだろう」というイメージを当てはめているので、
非常におかしいことが分かります。


 1:狼少女が木登りをしたり真夜中に遠吠えをするという話が出てくるが、狼は木に登らないし、真夜中に遠吠えしません。
 2:狼の子どもは自分から乳房に近づきますが、人間は母親から乳房を寄せる必要があります。
 3:狼は時速45km前後で走るが、人間は大人の限界で35kmしか走れない。
  子どもが狼についていけるはずがありません(しかも四足歩行で)。
 4:シング牧師が記している「夜中に目がギラギラ光る」「犬歯が異常に伸びている」「汗をかかない」
  「夜の方がよく目が見える」という性質を人間が持つことは生物学的にありえません。
 5:狼のミルクと人間の母乳は成分が違いすぎるため、人間の赤子は飲めません。


社会学者のウイリアム・F・オグバーンは、インドで狼に育てられたという「野生児」の調査を行ったところ、
どれもただの捏造や勘違いだということが明らかになっています。
例えば、4年半もの間オオカミと生活していた少年が両親のもとに戻ってきたという記事がインドの新聞に掲載されましたが、
これをオグバーンが調査したところ、その少年がオオカミと一緒にいたところは誰も見ておらず、
ただの行方不明だったということが判明しました。
アマラとカマラの事件も同様に調べたところ、当時孤児院にいた人々は、風変わりな子どもがいたことは覚えていたけれど、
特別に「オオカミ的」な行動を示したかを覚えている人は誰もいませんでした。

野生児の行動は、一見狼に育てられたかのように見えるので、
それを「本当に」狼に育てられたと勘違いしてくる人が出てくるのは当然かもしれません。
しかし、合理的に考えれば、これは捨てられた精神薄弱の子どもだったと考えた方が妥当です。
 こういった子どもたちは、「役に立たない」ので貧しい地方で捨てられることは悲しい現実としてありました。
カマラとアマラもその中の一つだったのでしょう。


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と、ここまでは科学的見解です。
これは僕の意見とかじゃない事実です。


ここからが僕の考えです。

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結果としてこの話は造作だったってだけで、
これが作り物か作り物じゃないかは僕的にはどうでもいいです。
そこから何を自分なりに導き出せるか、
この話を読んで何を思えるかが一番大事。

僕はこの話を知った時に「知ってしまうって恐いな…」って思いました。

自分は何で言葉が話せる?何で物を知ってる?何で生きている?

自分は何で人間なんだって思う??

それは間違いなく僕が人間に育てられたからです。


例えば、「星を見てそれが星だって分かるのは何でか。」
それは、それが星だと知っているから。
じゃあ、なぜそれを星だと知っている?
そして、誰に教えられた?

それを星だと教えたのは間違いなく人間です。
教えられた訳ではなく生きていく中で何らかの理由で知ったとしても、
それは人間社会に教えられたという事です。

じゃあもし、誰も教えてくれなかったら?

例題なんであくまで理論的な事は抜きにして、
たった今一人の人間が生まれました。
しかし世界には誰もいません。
世界中にたった一人生まれたての人間がいます。
それを仮にAとしますね。

その人間Aが一人でどう成長するか…

まず自分は人間だっていう事も分からないはずです、
何故なら「人間」という言葉と意味を教えてくれる何かが無いからです。
自分が何なのかすら知らない訳です。

あと、自分が男なのか女なのかも分からない。
この世にはAしかいないんだから、勿論「男」「女」って意味も分からない。

それに自分の年齢も分かりません。
何故なら「時間」という概念を知らない、
1年が365日、1日が24時間、1時間が60分、1分が60秒という事を知らないから。
だから1年経つと歳が1歳増えるっていう事を知らないんです。

もっと細かく言ったら、
「1」っていう意味も知らない。
「年」っていう意味も知らない。
「経つ」っていう意味も知らない。
「歳」っていう意味も知らない。
「増える」っていう意味も知らない。

何も分からないまま、生きていくんです。

もちろん自分が生きているっていう事も知らない。
「生きる」っていう意味を知らないんだから、生きているっていう事も勿論分からないんですよ。






ただ、ここで少し話をずらすと、
その意味って誰も知らないって事は無いのと同じなんですよ。

だから例えばそのAが自分のことを、
「僕は鬼っていう生き物なんだ…」
って決めたとしたら以後、人間は鬼という生き物になっていた訳です。
だからもしかしたら僕達人間は鬼という名前の生物になっていたかもしれない。

だからAしかいない世界では僕らが知っている常識なんて何の意味もないってこと。

たまたま、初めに『僕らは「人間」っていう生き物なんですよ。』って誰かが決めたから、
人間って名前になっただけ。
物事の名前ってたったそれだけの事なんですよ。
ややっこしいけど分かるかな?

今の場合は人間って言葉を鬼って言葉に変えただけだけど、
その言葉の一つ一つが全部違くなる可能性も十分あるんですよ。

そう考えると全ての言葉の意味は本来のそれで合っているのか?
っていう疑問が生じてくる訳です。








はい、そこで話を戻すんですけど、
僕が日本語を話せるのは、日本人に育てられたからです。
日本人だからじゃないですよ。
僕がもしアメリカで英語の環境下で育てられたら日本語は話せなかったはずです。
だからウエンツも日本語しか話せないでしょ?
それと同じ事だと思います。

地方のなまりとか、方言もそれと同じ。
地域の生活習慣の違いも同じ。
あとは家庭ごとの生活スタイルの違いも同じ。

全部行き着く根本的な所は、カマラ・アマラと同じ所なんですよ。

実際問題人間と狼ではあまりに進化の過程が違うんで、
あり得ない事かもしれないですけど、
動物が生まれて初めて見た動物を母だと本能で思うのと同じだと思います。

よく犬に育てられて自分を犬だと思ってる猫とか、
そういった、自分を~だと思ってる~、みたいな動物の話聞きますよね?
それって動物と動物だから、さほど違和感を感じないだけで、
厳密に言うと猫も犬も全く違った生き物なんですよ。
ただ、人間と狼よりは近い関係にあるってだけ。


だから逆に言えば狼に育てられてカマラ・アマラに近い状況になる可能性は絶対にある。
ただ、あの話は設定がいきすぎているってだけ。


そう考えると、
知る事の大切さ、
知らない事の無力さ、
知ってしまう恐さ、
色々な事を考えざるを得ないです。