久しぶりの投稿です。

ですがいきなりぶっ飛んだ内容笑


インドをきっかけにブログを始め、いくつか投稿したものの帰ってきてなかなか続かず。。。


またyogaを中心に様々なことを書いていこうかなと思います。



Instagramの方ではできるだけ文章は短く書く事をこだわっているが、悪く言えば説明を省いている事が多い。その点みんなには色々考えてほしいのだ。

しかし、ブログでは思った事をダラダラダラダラ書きたいと思います。話が脱線したりみんなと会話してるような感じでその時の気分を楽しもうかなと。







今回は固定概念を捨てる方法。

僕はアシュタンガヨガが大好きですが、

一つだけスッキリしない点があります。


それは「自由度が無い」


僕の憧れは、

人とは違う事をする、新しい事、アーティスティック、などなど、師匠がいてその通りに動くアシュタンガヨガとは真逆の方向。



ここまで書いてて思うのは「わがまま」以外の何者でも無いです笑



話を戻しますが、最近思うのはここに固定概念があるのでは無いかと。



最近色んな方とヨガの話をする機会をいただくのですが、意見はさまざまでアシュタンガヨガが楽しくないぐらいきついと言う方もいれば、楽しいという真逆の意見がある。でもみんな続けている。

すごく矛盾していて、まずアシュタンガヨガは楽しむだけのものでは無いらしい。

きつさを楽しむ!という点では一致しているが、それは愉しむの方かなと。


すごく浅い浅い話をしてる感じですが、

この時点で最初に「アシュタンガヨガは自由度が無い」というところで頷いた人たちの意見は崩れる。


実はすごくすごく捉え方が自由で、ハタヨガで「みんな楽しみましょうねー」と言ってるクラスよりはるかにフリーなのだ。


これを「自由な束縛」と僕は呼ぶことにした。



そしてもう一つ

知り合いの方が教えてくださったのですが、

「守、破、離」という日本語があり、簡単に説明すると、

:伝統通りに

:アレンジを加える

:オリジナル


と言うようにまずは「守」

これをある程度極めなければ「離」に行けないよ。

という教え。



ゆくゆくはオリジナルを!と言う気持ちもあるが、離れるためには地に足をつけなくては行けない。

そうでなければ離れると言うより浮いてる??

離れている実感がないので危ない気がする。



今日の話はまとまらなさそうだしまとめる気もなくなってきました。。。

一つ書く前に思っていた事は、固定概念を捨てる方法は、人と話して、受け入れる事。



途中に書いたようにアシュタンガヨガに真っ二つの意見が存在している。

指導側でも、生徒側でもどちらでもいいのだが、「楽しくない」という意見が出た時に否定しない勇気があるかどうか。


アシュタンガヨガが楽しくないといけない!

という固定概念こそが僕を縛っていたのかもしれない。

もちろん大好きだが、

楽しいかと言われたら日によるし、

できないポーズはマジで楽しくないし、

できない日はブルーだし。。。



でも今更やる理由も探してないし、

やめる理由も探してない。


いつかは何故やってるかに触れていきたいけど、やってる理由が明確すぎると辞める理由につながりそうでもうちょっとしてからにしますね笑



ふわーーーっとした内容でしたが、読んでくださりありがとうございます♪


福留有哉