不安があるという事に対して、はっきりと意識していないまま、そして不安な為に、常に本を読んだりブログを読んだり、知識を得る事で不安を消そうとしていた。

そして自分に対して常に疑心暗鬼。



私の回避行動は、避ける、抑える、黙る、諦める、受容する、我慢する、遠慮する、他人と比べて自分を卑下する、嫉妬する、あれやこれや痛みに触れないように起動するもの全てだ。



自分の自覚してない痛みに触れないように、感じない為に、私は常に上記の様な事をせっせとしている。



これじゃ自分を大切にするなんて出来っこない。

大切にするっていうのは、私である事だから。




私はポンコツだ。だから私は大切にされなくていい。



こんな出来損ないのロジックで、痛みと信念を抱えてしまって、ここを拠点に生きてきた。



外側の世界に適合する為に、自分をなくして生きてきたんだ。




私はこれで大丈夫か?

私はここに居ていいのか?

私は間違ってないか?

私はおかしくないか?




誰に訊いてるんだよ。

皆んなそれぞれ違うのに。

正解不正解なんてないのに。

良い悪いなんてのも判断でしかないのに。




私は大丈夫。

私はここに居る。

私はこうだ。

私はこれでいい。




私っていう芯、制裁や批判を恐れず喜んで己を通す。




それがただ出来なかった。





なんでかって、まだ小さい頃に、自我が発達する前に、何かをすると制裁や批判を受けて来たから。



私はポンコツだ、という痛みは、

当然現実を不本意な世界にする。




小さい頃のその痛みに、今でも、大人になった今でもただただ怯えていた。




私でいていいんだ。

私のままでいいんだ。

ここに根を下ろす。




不安になってもいいし、こんな凸凹でポンコツな自分じゃダメだと思う時があってもいい。




後からまた適合しようとしていた事に気付けば、そこでまた安心が生まれる。





無自覚だった痛みに気付いた時から、変容は始まる・・・んだってさ!




あー、長かったなー。