自分が一緒に居る人と関係がうまくいかないと、自分のせいでもあるのに、というより自分がその現実を作っている事を知らないと、原因を相手のせいにして、他の人とならうまくいくんじゃないか、と思ってしまいがちなんだけれど、



昔の事をふと思い出した時に、

私は他の人と居たいと思っていた時期があって、それはなんでかなと考えたら、その人の事が好きと思っていたんだけれど、いや何処かで違うと感じていながら、


結局は私の別の部分、普段の自分の嫌な部分を感じなくて済む相手と居れば平穏で居られるから、直面せずにいられる穏やかな「自分が好きだった」・・・だけだったんじゃないかと。




自分の感情としていいと思う部分を別の人と居る事で手に入れていると思っていたけど、それは多面ある自分にもともと当たり前にあるものだから、誰と居ても本当は変わらない。(私の場合)




その事を、遠くの昔の事を、今頃考えた。




私は幼い頃に「愛されない」を勝手に持っていたから、誰と居ても無意識に「愛されない」私を前提に付き合っていた為、どんなに愛されたとしても「愛されない」終着駅に執着して、私の物語を悲劇にしていった訳なんだけれど、




自分を見ないで済む他の人と居る自分が好きだった、いや、好きというよりも、守りたかったという方が近いのかな。






何から?



結局は、自分からなんだよね。






自分をイケイケに責めに責めていたあの頃。


・・・と言ってもまだまだ今も自責は無意識に働いているという事を、自分の感情で遅れて知る。







さて、今日ものんびりと過ごしますか。

って、もうお昼。焦←自分責め。笑