3年ぶりに演劇のレッスンに行ってみた。

そもそも演技をしようなんて思ったのは、以前、
とある仲間と共に朗読劇をラジオで披露する事になり、朗読やらナレーションやらのレッスンをしていた過去はあるけれど、演技はしたことないから、一応やっとく〜?って感じでひとりネットで調べ、ここなら初心者でも大丈夫そうというところに駆け込んだのが最初。
20代の中に、ちょっと歳の離れた私。フフフ。


当時は、まだその朗読劇をやるって状況が土台にあったから、自分の中でも知らない演技のレッスンにいきなり飛び込む事に、恥ずかしいとか場違いとか、細かく探せばそんな気持ちもあったかもしれないしそこを見る事でより作られたと思うけど、そこは学びたい気持ちの方が強かった。


でも、仕事を終えてから都内に通って身体的にも時間的にも大変だったのと、演技のレッスンに対する恐れみたいなものがあって、2ヶ月ぐらいで辞めた。


その1〜2年後に、突然そこの先生から舞台の話を頂いて、ちょっとした役を演じた事が、
私と「私の中の演劇」という世界とをその頃近くさせた。
かと言って、人の舞台を観に行ったりはしなく、そこにあまり興味がなくて、でも他の人は大抵興味持つし興味ある人が演技のレッスンをするのかもしれないけど、私は違ってて、だから私はホントは演劇とか好きじゃないからかもしれないとそこで勝手に線を引いてしまっていたけれど、そんなの自分の思う通りでいいのにと今更思う。


「普通こういうものだ的な概念」を自分に勝手に当てはめて、それ以外はない、それ以外はダメ、みたいにしてしまっている事が多いよな〜と思った。


今回レッスンのお誘いの様な感じで声を掛けて頂いて、私は今、声の仕事とか全くそういう状況の中ではなくて、のんびり販売の仕事を週3日してる状態なんだけど、表現をしたい!気持ちが強くなり、流れで再開してみたレッスン。


昨日、台本を久しぶりに読んで、その役のセリフを、自分の中でこの人はどういう状況でどういう心理でこのセリフを言ってるのか、から読み取って自分の口から声にしてみるんだけど、全く見当違いだった。
先生からも「初心者がやりがちなんだけどね。」と言われ、仰る通りです、まんまとその道を行きましたですハイ、と心の中で認めつつ、もっとその先を見ないといけなかったし、勝手にこのセリフを言ってる人は「怒ってる」と思い込んでしまったけれど、全然違うんじゃーーーん!!!と自分の中で衝撃で、そこに面白みを感じた。
ホントに素人なんだけどさ、これからだよね。


登場人物の言葉にしていない、ならない思いを自分の中で突き詰めて、私の言葉としていく。


言葉って、言葉通りじゃないんだよなぁ。
紙に書いてある言葉が、素直に躍り出るその時、その世界が成り立つ時で、そんな事は普段日常会話で自然にしてる事なんだけど、それを逆にするって難しい。
私がさっき会話した内容を台本にして、もう一度しゃべってみた時、やっぱり距離が生まれてしまうと思う。意識し過ぎるというか。


ズレた。


台本を見た時、既に判断している私を、解体して、もっとその奥を見れるようになりたい。
まずはそこからで、で、やっぱり色んな事において、「こういうものだし」っていう勝手なメガネはら外していきたい。