「人間は考える葦である」

   ブレ―ズ・パスカル(1623-1662)   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どんころは妄想す(かんがえ)る恥である」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ノーマルどんころさんは年中厨二病なので

 

色んなものの影響を受けやすいのが最大の特徴として挙げられます

 

 

『ハイキュー!』を読めば兵庫弁で喋りたくなり

 

『西尾維新作品』を読めば言葉遊びをしたくなり

 

『テニスの王子様』を読んでる時の第一声は「あ〜ん?」になり

 

 

 

最近は2次元系幼女にしか許されない語尾を言いたくて言いたくて仕方がない

 

 

 

でもそろそろアラサーになるいい歳した大人なので

 

どんころさんにも思慮分別が備え付けてあるはずなので

 

 

いわない。

 

 

 

 

 

 

 

いわなーい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

というわけで!

『ノラ-あるいは、人形の家-』の感想戦を始めるのら(・・)よ〜〜〜〜!!!!!!

 

 

 

 

■ それってあなた(トルヴァル)の回想ですよね?

ヌルっと始まったノラ本編

 

右手に酒缶、明らかな千鳥足に朦朧とした意識

 

間違いなく酔っ払い。

 

でも明らかに只事じゃない酔っ払いだってひと目で理解る

 

宮地さん流石っす。

 

 

 

明らかに虚ろ

 

自失呆然って単語が脳裏をよぎるくらい。

 

失ったものを探しているのかな?

 

 

 

生きては、いる

 

けど間違いなく『ぬけがら』状態な、

 

憔悴しきったトルヴァルの姿

 

 

 

 

 

これ1stってことは2ndとか期待していいのかな???どうかなどう思います????

いきなり2ndがアレならPre-2ndとかでもいいのにね!

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつの間にか部屋にはヘレーネの姿

 

かわいい。

 

 

ここで疑問だったのが、

 

『お手伝いさんのヘレーネは、なんでトルヴァルを放ったらかしにしてたの?』

 

ってこと、

 

 

今回の1件でトルヴァルへの好感度・信頼度が全部無くなったからかな?とも思ったけど

 

それなら、なんでスマホを弄りながらブツブツひとりごちてるの?

 

本当に嫌ならお金もらうのやめて出ていっても問題ないはずだしさ

 

だからこれ、このヘレーネ、ていうか荻沼さんは

 

ヘレーネじゃなくて、

 

 

エミーを演じてるのかな、と

 

 

 

 

成長したエミーなら、酒の力が無いと"やってられない"トルヴァルを見て、

 

ああいう、

 

関わりたくないけど一応家族として関わんなきゃいけない··········

 

なんとか関わろうとしたけど土壇場でやめちゃうとか

 

そういうの、すごくわかる。

 

 

台本には、トルヴァルの哀しみもエミ―の視線も書いてない、

いわば『第0幕』なんだと思うけど、

台本にないからこそ、あの場にいた2人が誰を演じたのかは明言されてないんだよね

 

 

 

そしたら奥から真っ白な光が差し込んでた、

 

"最愛"のノラを連れて

 

 

 

トルヴァルの表情さ、

 

信じられないものを見ているようだったんだよね

 

 

そう、まるで『奇跡』でも起きたかのような

 

 

でも、エミーは何も気づいてないようだった、

 

トルヴァルにはハッキリと見えてたみたいだけどね

 

 

そして最初の歌唱パートへ

 

観劇者達でさえ そこそこノリノリだった歌唱パート、

 

唯一取り残されたトルヴァル

 

その手にあったコート、覚えてます?

 

 

 

ノラが出ていく時に着てたコートでしたよね

 

 

 

それを後生大事そうに胸に抱えてラックにかけて(欠けて)

 

ツイてない男は「嵐に飲まれたようだ」と呟くけど

※嵐のようにやってきた川久保さん達が入ってきた橋の出入り口を『奉行窓』って言うらしいけど、

別名『アラシ(・・・)窓』ともいうみたいだね。

   上映台本より

 

 

それくらい激動の数日間を過ごしたよね

 

 

だから、ここから先のお話は全部トルヴァルの回想なんだと思う

 

 

 

でもきっと、走馬灯では無いんじゃないかな

 

 

 

 

 

 

ラック(Luck)に欠けるから、ツイてないんだぜ?

 

 

■ クリスってさ、イエス様なんじゃねー?

本作の主人公 ノラ

 

彼女の古い友人 クリス

 

この2人って残酷なまでに対比された存在なんだなーと色々と思ったわけです

 

 

思慮が浅く、感情を基に行動をする

 

母や兄妹がおらず、危篤の父親がいた

 

奇跡を信じて待っていた

 

夫の愛の形を理解し、別れることを選んだ

 

 

 

 

常に理性が行動の指針で、聖書でも法律書でもなく、己の中の"正しい"に従って動いた

 

寝たきりの母や兄弟の面倒を看ていたけど、不自然なくらい父の話は出てこなかった

 

未来を拓くために、自ら行動してベルリンへやって来た

 

自分の愛を入れる箱の形を理解して、満たしてくれる彼ともう一度ひとつになった

 

 

だから『クリス』って大切な存在だよねこの作品において〜って思ってたんだけど、

 

 

 

この作品の時系列さ

 

クリスマスだよ?????

 

キリスト圏の

 

 

 

知ってる人も多いと思うけど、キリスト教徒のことを『クリスチャン』って言うのさ

 

 

イプセンは、どうしてクリスマスの物語に『クリス』なんて名前の登場人物をお出ししたのかな?

 

 

これもう『深作劇』の考察というより原作への考察になってるけど笑

 

 

 

汝の隣人(ノラ)を愛し、手助けをした

 

辛い過去を打ち明けてでも。

 

 

罪人を赦し、手を差し伸べた

 

クログスタはそうやって救われた。

 

 

 

やってる事はかなり"それっぽい"のさ

 

 

シンプルにクリスめっちゃ良い人じゃなかった?

 

現代的語彙力消失賛辞を贈ると『聖人』って呼べるんじゃないかな?

 

 

そして、仮にクリスを『イエス』と仮定して見てみると、

 

そりゃ結末は割れるよね、と思えるポイントが名前に。

 

 

ノラ・ヘルメル

 

トルヴァル・ヘルメル

 

 

僕はこの名前聞いた時に、

 

「ギリシア神話じゃん」

 

って思ったんですよ。

※正式には『ヘルメス』だけど。やっててよかったイナズマイレブン!!

 

 

キリスト教徒からするとギリシアの神は異教の神、

 

地域によっては悪魔呼ばわりする事もあったとか?

 

 

だから、『イエス』であるクリスから見た『ヘルメル一家』は『悪魔の家族』に見えたのかもしれない。

 

それこそが、「あの家は狂ってる」っていうセリフにつながったのかもしれないね。

 

 

 

ここまで深読みしなくても、作中で起きた事を素直に見ていけばクリスと同じ感想になってくると思うから、

 

神話にまで風呂敷広げる必要は全くないのかもしれないけどね

 

 

でも、僕はこういう目線で深堀していくのが好き!

読んでてよかったワールドトリガー!

 

 

 

 

でもクリスはどうしてノラの家が分かったんだろう。

 

ノラがここにいるって知ってたの?

 

多分知らないと思うし、

 

偶然会えたのは

 

 

 

『奇跡』

 

 

ってことになるのかな

 

 

■ 女性陣には申し訳ないけど、多分世の中の男の大半がトルヴァルみたいなやつだよ

ノラの信じた『奇跡』は、トルヴァルが今の立場も何もかも捨てて

 

”無条件で私の見方をして欲しい”

 

っていうものだったわけじゃないですか。

※言葉はわざと選びました

 

それに対して、トルヴァルが味方をしなかった理由の1つに

 

社会的立場があると思うんですよ。

 

僕が『男』だからか、はたまた、生きるために社会で働く『社会人』だからか

 

どっちの要素がここに導いたのか、もしくは別の因子が関係してるのかもだけど。

 

 

トルヴァルとしては、

 

死の淵をさまよったほどの臥薪嘗胆

 

それを経て今に至るわけだし、最愛の『人〇』だからといって、簡単に捨て去れるものじゃあないよね

※擁護はしないよ?同情はするけど

 

 

でも結局、トルヴァルは小さい男だった

僕も荻沼さんに色々言われた  うわ、なにすんだやめ

 

 

組織の頭になって、部下に舐められるわけにはいかない。

 

 

まぁ分からなくもない。

その精神で身内を蹴落としまくった鎌倉武士も歴史にいるし

 

でも、ならどうしてクログスタをそのことで詰めなかった?

 

やりようはいくらでもあった

見せしめで一族全員皆〇しの鎌倉武士はやりすぎね。

 

それが出来なかったのは、奇しくもクログスタの言う通り

 

「そんな勇気が奴になかったから」

 

 

勇気が無い、だから小さいって言ってんのよ

 

 

 

 

結局、トルヴァルはノラを愛していたのか?

 

もちろん、愛していたと思う

 

 

 

けど、

 

たぶん

 

それ以上に、

 

 

 

『手のかかるおバカなノラを、それでも愛してる俺』に酔ってたんだよね

 

 

 

 

ごめんけど、男っていつまでも馬鹿だかんさ、

 

好きな漫画読みながらその世界にダイブしたりさ、

 

可愛いヒロインをカッコよく救ったりしてみたいのよ。

 

 

えっ、説得力ある?

年中厨二病なめんな~~~~?

 

 

 

その願望を、酔った勢いでノラに効かせてしまったのが運の尽きだったね

 

だからノラは『奇跡』を望んでしまった。

 

いや、『奇跡』を知覚してしまったのかもしれない。

もしくは決定打になったのかな

 

 

 

ドルヴァルは、ノラを見ていなくて、自分に都合の良いノラを見続けていた

(ノラも無意識にそう演じてたから)

一方で、社会的な地位があるトルヴァルはそれをかなぐり捨てる行為はできないよね

自分がヒーローになって最愛の人を救いたいなんて妄想は子供の頃から大人になってもするもんだけど、

本当にそういう状況になった時、

ゲームと違って明確な報酬が定められていない救出劇に、

どれだけ本気で臨めるかなんて、望み通りにはいかないよね

 

 

まぁ何が言いたいのかというと、馬鹿な男は馬鹿げたヒーロー願望をもっていて

 

そしてその願望はあくまでも妄想。

 

実際に動ける玉有りヤロウの方が希少だと思う。

 

素敵な男に出逢えたら大切にするんですよ?

なんで上から目線なんだよ生卵喰らってろ

 

 

んで、間違いなく男性と女性でここら辺の認識違うと思うんだけど、

 

 

いわゆるキャリアウーマン(これももう死語だろうけど)

 

こういう人たちに聞いてみたい。

 

 

ノラは、全てを救ってくれるヒーローを待っていた

 

でも、自分の力で社会で生きていて、立場や責任と戦う貴女は

 

ノラの立場になったらどう思うの?

そういう女性は、そもそもノラみたいな事にはならなさそう。ってのは一旦、なし笑

 

 

女性の参画が当たり前になっている現代の女性も

 

ノラと同じように、ヒーローを待ち続けているのかなぁ

 

 

 

 

 

そういう需要があるから少女漫画やテレビドラマが絶えないのか

 

 

 

 

社会的地位をかなぐり捨てる勇気と、騙していた妻をそれでも赦す勇気
そのどちらもドルヴァルに欠けていた、かと言うとそうでも無いと思う


大概人間なんてそういうもんだと思うし
 

トルヴァルについてはとことんツイてなかった印象。

 

何かがひとつでも違えば、タイミングが少しでもズレていたら、ここまで拗れることなく収まっただろうに
もしも服があったなら足を洗えていた(だろう)脱走兵と同じように、

 

 

と思えるのは、深作さんの舞台に足繁く通った成果かな?

 

 

足だけにね。

 

 

■ ラジコン、あれマジでムズいって

夏川三部作お馴染みの(多分深作劇でもお馴染みの)社会情勢パート

 

 

あれなんでラジコンのヘリコプターを動かしてたと思う?

 

多分、最低でも2つの空を駆けるものの暗示かな

 

 

1つ、今のシーズンは何?

 

クリスマスでしょ?

 

だから、ソリに乗ったサンタさん!!

平和でいいね。

 

 

 

2つ目は、何で社会情勢パートなのか。

 

戦争、ヘリ、ときたらアレでしょう

 

 

戦闘機の暗示なんじゃないかな。

 

 

 

インタビューに耳を傾けると、

 

イエスが産まれた(とされる)ベツレヘムですら

 

戦時中はクリスマスを祝えない。

 

って話をしてた。

 

 

 

さぁ、ヘルメルさん家は同どうだろう。

 

もはや戦時中の様な空気感だけど、呑気にクリスマスを祝ってるなぁって?

 

そりゃ『おかしな状況』って気持ちにもなるよね

 

 

国が、キリスト教を根幹としてきた社会ですら

 

戦時下ではクリスマスを祝ってなかったのに。

 

 

 

あ、ヘルメスだからセーフなのかな?

 

どう思う?

 

 

 

 

■ 川久保さんの耳みた???めっっっちゃ福耳だった

クログスタさん。

 

あんまし何も解決してないだろうに救われてった一人勝ちの帝王。


難破船は2人の方が良い理論でタイタニックから生還し、

 

我らが推しをママと叫ぶ。おい、どういうことだニールス。


 

この人もノラと同様、感情寄りに動くんだろうけど、

 

サインを偽装したきっかけが明かされないから感情移入のしようが無かった哀しき男。


皮肉にも、観劇者達がクログスタに向ける視線と、

 

感情や動機を必要としない司法機関がノラに向ける視線は同じなんだよね。

 

 

 

彼は救われたのは、

「もちろん父親が悪い場合もあるが、ほとんどの場合、悪いのは母親」

ってことかな

 

 

■ 退場するまでBSS(僕が 先に? 好きだったのに)

ランク先生。

この物語で特に何も罪を犯していなさそうなのに、

 

ひたすらBSS被害にあった上に約束された死が待ってる非業のおっさん。

 

男は『あれ、この子もしかして俺の事好きなのか·····?』

 

ってなったら好きになっちゃう脳みそ雑魚回路生物だから仕方ないって思えちゃう。

 

擁護はしないけど。

 

ウーリは自覚的なビッチだったけど、ノラは無自覚的なビッチとも捉えられるよね
まぁいるよねそういう女性も

 

先生の胸に輝いていた十字架、あれ二幕から消えてるんですよ。

 

どこ行ったのかな?名刺の裏かな?

 

 

一幕で十字架をぶら下げてたのは、

 

病気なのを知ってなおトルヴァルと、

 

なにより『ノラ』ともっと永く居たいと神に祈ってたのかもね。

 

 

それが叶わないと知ってその十字架が名刺の裏へ
 

もしくは、既婚者を愛してしまうという十字架を背負った、と言えるかも?



ていうかキリスト圏かつクリスマスの話なのにわかりやすいキリスト要素が

 

ランク先生の十字架と、クログスタから手紙を読む時にトルヴァルが切った十字だけなんだよね


だから、こと今回の公演においてはキリスト教って言うのはあまり関係がないのかもしれない。


ていうかそもそも、医者として患者に安心を与えるために十字架をぶら下げてて、

 

病気が悪化して医者として活動できないから患者を安心させる必要もなくなって、

 

そんで十字架を手放した可能性もある


でも、危機に瀕している人ほど神に祈りを捧げそうなイメージなんだよね宗教圏の方々って


だから完全に死を受け入れてたんだろうなーランク先生

 

 

後が無い『無敵の人』だからって、既婚者に告白はどうなんだいイケおじ未遂。

 

 

 

 

多分物語としての役割は、頼れる『はず』だったのに

 

ノラとしては頼りにくい人物であった。

 

 

ノラを心理的に追い詰めるためのコマだったんじゃないかな。

 

 

そう考えると不憫・オブ・ザ・イヤー。

 

 

来世では愛する女性と無事に添い遂げることができていますように。

 

 

 

■ 2年連続『鏡演男優賞受賞』

西山さん。

 

きっと前世は白雪姫の鏡だと思われる。

 

お芝居により没頭させてくれる完璧な音響演出を一手に引き受けてくれる音楽家の鑑。

 

最後の挨拶で何度も舞台右奥の出入口から出入するのめちゃくちゃ大変そうだなと思って見てた。

 

腰をお大事に、、、、、。

 

 

■ ボクにも「本当に大丈夫ですか?」って言って欲しい。

みんなのヘレーネさん。

 

前情報を見ずに観劇したから、途中までヘレーネも娘だと思ってた。

 

母親にも景吾、、、失礼、敬語なんて特殊な家庭だなって、、、、

       あ~ん?

最初の歌唱パートでのパフォーマンスに度肝抜かれた。感激。

 

公式Xを見に行ったら、日本舞踊、ダンス、歌を経験されてたらしくて、

 

納得深呼吸してた

 

 

たったいまプロフィールに書いてある生まれ年を見て心にダメージを受けてる。

 

伝わってくれこの痛みを、、、、、、、

 

 

ランク先生と同様、そこまでキャラクターに対する深堀の余地はなさそうな印象。

 

 

裏を返せば、想像の余地は無限に広がって うわ なにすん ヒヨコ警察?

 

ボッ、ボクは無実だ!!この通り敬虔なヒヨコ群で  やめ

 

 

 

■ ちょっと一番難しい

エミーちゃん。可愛い。

 

でも正直、考察するにあたって一番難しかったのがエミーの役割なんですよ。

 

その場に居合わせているのか、居ないけど演出として居るのか、

 

その境界線が分からなかったし、

 

クリス達を見送る時の「いってらっしゃい」に対して、どうしてノラがあんな「なんてことをしたの、、、?」みたいな

 

鬼気迫る表情をしたのか。

 

あ、ノラには心を開いてないのに、今日あった友人たちには心開いてショックだったのかな?

 

いや違ったわ

台本見たら(にらみつける)って書いてたわ

 

本能で感じたんだろうね、3人とも、今の生活を壊す使者なんだって。

 

クログスタは言わずもがな、イケおじは告るし、クリスはクログスタ止めてくんなかったし。

結果論ではあるけれど

 

3人が人形の家を壊す悪魔の使いに対して、人形の家を守る天からの使者だから天使のコスプレだったとか?

 

もしそうならノラが出ていく時に背中押さないよね。

 

 

んーーーーーー。エミーの役割については水戸で。

 

 

 

どうせ最後に別エンドで高山さんが演じるなら、

高山さんに演じてもらっても良かったのでは?

その方が未婚の女的な難しさが生まれる

今回はわかりやすさ重視?

 

 

 

■ 野良の女

我らがノラさん。

 

徹頭徹尾思慮が浅く、感情で動く人物像だったイメージ。

 

正直、ノラの旅立ちも、その時の感情に突き動かされていて、

 

その後どう生きるのか?とか借用書帰ってきたとはいえ、クログスタとはどうすんの?とか

 

あまり考えてない旅立ちなのかなと思わなくもない。

大きな声じゃ言えないけどね

 

 

結局トルヴァルもクリスもクログスタも、

 

みんなノラをそういう女だと思っていたんだよね、

 

台本見た時おもったんだ、

 

「ノラ、ノーラ(・・・)

 

ってね

 

ノーラの部分にルビを振る意味は一体?

 

って思ったんだけど、三人の芝居が答えかなって

 

ノラ、ノーラって子供みたいに諭すの、

 

本当にノラを『人生の伴侶』じゃなくて『子供のような自分よりステージの下の存在』として見てるよね

 

クリスにしたって、子供に言って聞かせるような言い方だったし

 

クログスタは大きな声で脅して、大人の言う事を無理やり聞かせようとしている感じ。

 

 

大川さんが言ってたけど、

 

夏川さんが、1公演で4回も着替える『着せ替え人形』になってるたんだよね

「もうコスプレは終わり」=着せ替え『人形』は終わりの暗示だね

 

 

色んな服を着てくれる夏川さんを見て思った感情は、人間に対してのもの?

 

それとも?

 

 

 

 

 

 

 

 

目線を少しだけ外してみると、30手前の人妻のコスプレなんだよねって捉えることもできるわけで


やー香ばしい、とても香ばしいですね


これだけでご飯2杯は·····、失礼、TKG3杯はいけますね

 



もしも偶然、あろうことか生卵を持参していたら、の話ですが

 

 

 

 

ノラはあくまでも「個人としての自由・権利」を最優先事項において決断したけど、

 

人間個人としての自由と権利、

 

社会的存在としての自由と権利、

 

家族というコミュニティ下での自由と権利、

 

どれも大切なことで、どれを最上位にもっていくかを選ぶのは難しいことだよね

 

 

決断せずに生きていられる、なぁなぁにしていられる今は幸せなのかどうなのか。

 

 

 

第二幕あたりのノラに僕が愛読するワールドトリガーを薦めたかった。

 

「法律(ルール)ってのは世界を回すためにある。お前を守るためじゃない」

 

信号機を守ったとしても、信号無視して突っ込んでくる事故なんて少なくない。

 

けど、信号機がないと交通機関は正常に稼働できないからね。

 

法律なんてそんなもん。結局、自分の身は自分で守るしかないんだよ。

 

もしくは、例の親友みたいに誰かのお世話をするようになると、また違うのかもね。

 

 

 

1人の人間として生きることを選んだノラに対して、

 

満たしてくれる人といることを選んだクリスの対比

 

これもまた、いとおかし。

 

 

 

 

 

 

「これでもう終わり」=夏川さん三部作はこれで完結なんだよねきっと、、、、

 

 

まだみたーい!!!

 

またみたーい!!!!!

 

 

まだ、足りない、、、、、

まだ足りない、、、、、、、

まだ足りないのにな、、、、、、、、、、、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第三幕で、

 

懐かしの『オルレアンの少女』にて

 

ジャンヌが纏っていた戦装束であるジャケット

 

それをノラも羽織っていた。

 

 

ジャンヌは、フランスに自由を取り戻すために戦争し(たたかっ)た。

 

丘の上の木(カミサマ)から勇気を授かる事で。

その使命を果たすために、ある意味では不自由だったと思うけど。

 

 

 

ノラは、自分が人間として自由になるために戦った。

 

一本のツリー(サンタさん)から受け取った、勇気(ジャケット)を纏い。

 

 

 

皆の自由のために不自由にも戦ったジャンヌから

 

自分の自由のために、不自由に抗ったノラへの

 

奇跡的な贈り物が、あのジャケットなんだろうか。

 

 

 

 

 

 

結局最後は『私はなんて馬鹿だったんだろう』って気づいた感じだよね、

 

 

『私は人形だったんだ不自由だったんだ』って

 

 

 

 

もしも、(ジャケット)があったら、あっちの物語はどうなってたんだろうね?

 

 

 

■ 未解決の考察考察考察 - die consideration -

・舞台中央の椅子が透明だった理由は?

あれに座ると本音を言ってしまう。

 

隠し事もスケスケだぜ!ってこと。

 

自供を強要されてるんだね~

 

・能楽堂だった意味

シンプルに家🏠の形をしてるから。

みんな気づいてた?

 

 

あとは、座長の過去の発現から引用して

 

『嘘の付けない』会場だから、かな?

 

 

嘘の付けない会場だったから、みんな暴露してしまった


ノラ:借金のことクログスタとのこと
 

トルヴァル:ノラが窮地に陥った時の本音
 

クリス:クログスタと何があったのか
 

クログスタ:ノラの不正を暴く
 

ランク先生:人妻へ告白
 

ヘレーネ:プライベートなこと(子供の話)
 

エミー:行ってらっしゃい?

エミーだけ本当に分からない難しい

 

 

・ノラが自分にも影響力があると証明したかった

 

=無意識に人形の家からの脱出を望んでいた?

 

好き放題愛され遊ばれる人形じゃなくて、

 

人間としてマクロの世界に何かを起こせるぞと

 

そうやって解き放たれようとしてたのかもね。

(なんか量子力学っぽくなってる気がする。オタクの必修科目だからしかたないね)

 

 

・なんでクリスマスが舞台だったのか

※クリスマスはキリストの誕生日じゃない説もあるっぽいけど、作中でキリストの誕生日って言ってたからその前提で

ノラが『人間』として生まれた日、だからかな

 

・エミーが箱から人形を取り出した演出

=人形の家、からの脱出


透明の椅子に座らせたのは、=嘘偽りなく生きていくことの暗示かな?

 

 

結局はこの物語の総括みたいな演出だったんじゃないかな。

 

だから「この人形が目に入らぬか!」と言わんばかりに堂々と座らせてたからね

次は『水戸』公演だからこの台詞?

 

 

・歌唱パートはどういう選曲?


原作通りなのか、 深作さんセレクトなのか


デンマークでの初演が1879年で、

 

Don’t Dream it's overはリリースが1986年だから、少なくとも原作には存在しない。

 

紡がれる公演の中で、他の舞台監督が組み込んだ解釈かもしれないし

 

もしかしたら歌唱パートなんてなかったかもしれないし

 

深作さんの解釈でチョイスされたのかもしれない

 

どれが正解なのか答えを出しにくい余白だけど

 

 

Don’t Dream it's over

”何も終わっちゃいないさ”

 

 

考え続けてみようかな水戸くらいまでは

 

 

・冒頭、ツリーは隠しておいての下りで〈怯えて、マイクに〉と書いてあるのは何故?

『オルレアンの少女』の時のも考察したんだけど、

 

やっぱ僕は、例の木を全く信用してないの。

 

もしかしたら、例の木から、ジャンヌを不自由にした悪しき”氣”でも本能的に感じたのかもね

 

 

 

”木”と”氣”をかけてるって”気”づいた?

 

 

・ボツ考察

 

良いワインがあるんだ!

⇒ワインはキリストの血

 

トーストが焼けましたよ!!

⇒トースト(パン)はキリストの肉

 

つまり、キリスト教における『ミサ』を暗示している、、、、?

 

だからミサを通して『聖別』がなされて、

 

『聖』なる夜(2日目)に、

 

ノラトルCPとクリクロCPの結末が『別』れたと、、、、、、?

 

 

 

 

 

否。

 

台本読んだら『トースト』じゃなくて鴨の『ロースト』だった。

 

 

 

ミサの暗示なんかじゃねぇ、おめぇの『ミス』だわ。

 

 

■ 雑多、感想、垂れ流し

 

140年前に初演があって、今でもなお語り継がれるって考えると凄いよね。


そして10年くらい前?の割と直近な公演ですら

 

トルヴァルの頭が撃ち抜かれるエンドに改変されてるのがとっても衝撃。

 

だってベルリンだよ??

 

ドイツ劇のドイツでの公演なのに、

 

ノラが改心する話から、

 

トルヴァルに死という鉄槌がくだるの、

 

この140年で本当に『時代が変わった』、ものの見方考え方が変わったんだなって思えてしまうよね。


今の倫理観で見ると、ノラが脱出できたことは多分良い変化に感じるけど、

 

これが100年後にどう見られてるのかなぁ


後世的にも、少しでも『良い』変化だといいな

 

 

 

ていうか未婚の女もそうだけど、

 

ドイツの演劇を、

 

日本文化の中枢のような『能楽堂』でやれるの、

 

めちゃくちゃ数奇な運命してるよね。

 

推しが居なかったら、監督や大勢の関係者の誰かひとりでも欠けていたら

 

能楽堂どころかドイツ演劇に触れる事すら(認知すら危うい)なかったと思う。

 

本当に恵まれてるって思う。

 

 

 

 

 

ノラは特に、深作監督や大川さんからの情報提供が多くてちょっと驚いてました。

 

『みんなの大好きなナンちゃんがこんなに素敵になったよ!

だからみんな来てね!!』

 

っていうメッセージなのかなって受け取りました。

 

 

 

 

 

みなみなさま、本当にありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一応水戸公演の後にもブログを書きそうな雰囲気あるので頑張ります。

 

蛇足になるのか画竜点睛になるか、どっちなんだい?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さてさてところで僕たちは、推しを人間として見ているのかな?

 

それとも、人形として見ているのかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

え、コスプレ?

 

 

メイドさんに清き一票をbetっす。