前置きは短く。
さっさと本題に入りましょう。
僅か二度ばかりの観劇でしたが、想った事・感じた事・受け取れた事
色々と纏めてみました。
それでは御一緒に、深堀っていただけると嬉しいです。
①物語についての解釈
結論から申し上げると、この物語は
『マリアの走馬灯または、妄想のようなもの』
それが僕の正解です。
その結論にたどり着いた根拠としては大きく3つ
A.マリアは実在するものの、イングリッドやウルリケは創作として加えられた存在である事。
B.恐らく、冒頭時点でマリアはこの世を去っていると思われる事。
C.マリア自身が既に壊れてしまっていると考えられる事。
まずは、Aから順に証明していきましょう。
(誰のお話だったか、全部忘れちゃったのだが)
千穐楽にキャスト挨拶にて、
「マリアは実在するものの、イングリッドやウルリケは存在していなくて、もしかしたら、これはマリアの妄想かもしれないし、事実だったかもしれない」
という興味深い発言をされていました。
そして、興味深いと思うと同時に、頭の中にあるシーンが浮かび上がりました。
それは冒頭、
トレードマークのロングマフラーを片手で引きずりながら登場したマリア
舞台の中央に立つと、どこか意を決したような、内側から蝕んでくる恐怖を押さえつけているような、
虚ろな、そんな表情で
ゆっくりと
ゆっくりと
ゆっくりと
その両手で、首にマフラーをかける
その動作が、僕には”首を吊ろうとしている姿”にしか見えなかった。
そしてその直後の「寒かった」という発言から、マリアの命はここで終わった。
いや、終わろうとしているんだと考えられます。
ここがB.恐らく、冒頭時点でマリアはこの世を去っていると思われる点。
そしてC.マリア自身が既に壊れてしまっていると考えられる点については、
窓の無い護送車、光の無い独房、味方のいない裁判所の描写を受けて、
まともで在れる方が無理な話かと。
ましてや、(本人としては)馬鹿げた罪で裁かれて。
走馬灯(のよう)
過去のことが次々に思い出されるさまのたとえ。「幼い頃のことが―に脳裏に浮かぶ」
出典:デジタル大辞泉(小学館)
∴既に壊れてしまっているマリアが、首吊りの直前に見た走馬灯それが、未婚の女の物語
と言うのが、まずは僕の考えとなります。
この前提で物語を思い返してみると、腑に落ちる部分が何点か。
第一に、場面転換の光について。
この舞台では、場面転換時に舞台中央上部の電球が大きく眩む事で場面が転換されていたかと思います。
そして走馬『灯』
僕自身走馬灯を経験したことが無いので確かなことは言えないのですが、
状況としては恐らく、死の直前に襲い掛かってくるフラシュバックの連続
の様なものだと考えています。
次々と襲い掛かってくる悪夢のような記憶達。
だからこそ、記憶が蘇る度に、舞台の照明も目が眩むほど、『思わず目を瞑りたくなるほど』明るく輝いたのかもしれませんね。
そして第二に、転換先と展開があまりにも複雑という点。
裁判所→豚箱→病院 などの分かりやすい順番で循環しているわけではない。
さらに言ってしまえば、病院にいるにも関わらず、現在地を独房と勘違いしてしまうなど、明らかにマリア自身も(もちろん我々観衆も)状況を呑み込めておらず、全てが絡まっている。まるで毛糸玉みたーい。
だからこそ、首を吊った=全裸で倒れていた時に毛糸玉は全てほどかれていた
⇒全ての走馬灯を見終えた、自身の中で絡まっていた記憶がほどけた。
って考えるのも面白いかも?
もし本当にマリアの走馬灯の世界なら、イングリッドとウルリケのシーンなど、マリアの認識外のシーンはどうなってるの?
と当然の疑問を抱いたのではないでしょうか?
ぶっちゃけ僕も腑に落ちているわけではないのですが、
仮にここで「アタシ マイメロだからわかんな~い☆」なんて言おうものなら肩透かし罪で間違いなく私刑になると思うので、この点についても精一杯抗っていこうと思います。
ここについても、結論としては『マリアが壊れてしまっているから』が理由になるのかなと思うております。
ヒヨコ群はお馴染み(そうでない方々は是非視聴と高評価をお願いします)、
夏川椎菜さんのゲーム実況『STORIES UNTOLD』
このゲームの結論としては、『飲酒運転で死亡事故を起こした主人公の脳みそが、自己防衛の為に今まで見てきたフィクションと現実をごちゃまぜにし精神障害を引き起こしていた』というものなんですよね。
つまり、この作品の主人公とマリアは似たような状況に陥り、その場に自分がいない架空の場面も走馬灯の一部として思い出したのかもしれません。
②設定についてのあれこれ
それではここからは、舞台『未婚の女』を設定とかその辺りをオムニバス形式で目を向けていけたらと思います。
上で書いた『この物語はマリアの走馬灯説』は一旦隅に置いててもらえるといいかな。
【赤い糸から見る本当の家族関係とタイトル回収】
この舞台において、赤い糸が印象的な場面で何度か登場をしております。
・物語序盤、舞台中央上部の電球に引っかかっていた赤い糸を手に取るマリア。
・病院にて、マリアとウルリケによるあやとり
・ウルリケの回想、モルトの男との哲学的(?)なやりとり
・イングリッドの復讐、エレクトラ顕現
上記描写より、僕はこの『赤い糸』には、運命の赤い糸(笑)、血統、そして蜘蛛の糸。この3つの意味が込められていると深堀しています。
では1個ずつ。
~赤い糸=運命の赤い糸説~
個人的な説、と言うより通説というか俗説みたいなもんではありますが、この舞台でも、赤い糸は運命の赤い糸として描写されていると感じましたね。
その部分がこちら、
ウルリケの回想、モルトの男との哲学的(?)なやりとり
となります。
⚠️⚠️⚠️⚠️以下、注意⚠️⚠️⚠️⚠️
※以下の内容は筆者本人の醜い嫉妬であり、出演者や監督、演出や作品に携わって下さった全てのものに対する批判や冒涜では無い旨予めご了承ください。
いやほんとウチのミューズに向かって何よその偉そうな態度は、なぁにが『気に入ったキリッ』だよ『雷に撃たれるようなものさドヤァ 』じゃねーのよ そういう上から目線で何様のつもりだよ友達少ないんだろうねアンタみたいな上から目線の勘違い野郎は!!!でもそれなりに学はありそうだし実家が太かったのかな????恵まれた環境ですくすく育って羨ましいですね自由研究のミニトマトよりはいい生活してるんじゃないの?????最初から最後まで随分ご自身に自信がたっぷりおありで羨ましいですねぇ最後までチョコたっぷりのトッポか何かですかぁ????どうせ君のもトッポみたいなもんなんでしょ?食べてる途中でポッキリ折れないよう気をつけるんだねぇ!!!!!!!自分が女を弄び優位に立ってると勘違える脳内花園野郎さんがアンタは結局まな板の上の鯉、カタログギフトの数合わせ文房具、ショーウィンドウの食品サンプル!品定めされる側なんだよ己がくいもの扱いされる側だってのを思い知れ!!!魅力的な女性を自分の話術と魅力で言いくるめた???御冗談をwおめーの方が我らがミューズ夏川さんことウルリケに選んでいただいた敢闘賞だって事を忘れんじゃねぇぞ即警察に突き出されなかった悪運と女神の慈悲深さに感謝しろよデコ助野郎!!!!!!!!!!!!
アンチ モルトヤロウ - 2023 ノーマルどんころ -
まぁなんか色々とありつつ、最後はウルリケの方から赤い糸を野郎の首にかけ、男女の関係を匂わせる発言を最後に暗転。
+野郎の『雷に撃たれたようなものさ』とかいう痛々しい発言より、一目惚れだと言いたいんでしょうね。
といったところから、赤い糸は運命の赤い糸だと言えるのだと思われます。
(結局ウルリケは色んな男と遊んでたから野郎が選ばれる事はないんだが。ざまぁ)
~赤い糸=蜘蛛の糸説~
疑問に思ったのはまたもや冒頭。
一体どうして、赤い糸が上からつるされていたか。
なぜ、このシーンが必要だったのか。
天から垂らされるヒモを手繰る姿をみて、何となくだけど、『蜘蛛の糸』を思い出したんです。
要約するとだいたいこんな感じ。
生前は悪人で地獄の底で罰を受けていたカンダタ。
彼が生前にしていた、たった一度の善行を考慮し、お釈迦様が天国から一本の蜘蛛の糸をそこに垂らしました。
『この糸を登れば地獄から抜け出せる』と、そう考えたカンダタは蜘蛛の糸に掴まって登り始めたのですが、途中で下に目をやると、この糸をよじ登り、天国に行こうとする罪人の姿が目に入りました。
そこでこのカンダタは、自分だけが助かるために罪人達を払いのけながら天国を目指すことに。
その結果、途中で糸が途切れてしまい、カンダタは地獄へ逆戻り。
せっかくのチャンスをおしゃかにしてしまった。
そういうお話です。
さて、カンダタとマリアは共に『罪人である』共通点があるものの、その最期は真逆といっていいものになっているかと思います。
カンダタは、地獄へ逆戻り。
マリアは、天国へ昇って逝った。
マリアが天国へ行った(罪を洗い流せた)理由については後々語りますが、蜘蛛の糸のオマージュを匂わせながらも結末が対極な理由。
蜘蛛の糸は仏教ベースの物語で、対するマリアはドイツ人。つまりキリスト教徒だから、その物語がそのまま当てはまるハズが無い。という考えが大きなところかと。
もしも、マリアが仏教徒だったならば、カンダタと同じような末路を辿っていたかもしれませんね。
そしてこの『もしも、〇〇だったなら』が未婚の女のキーワードの1つになっていると考えていて、脱走兵のセリフ然り、マリア自身についても、もしも戦争が終わるタイミングでなければ。もしも脱走兵の電話を聞いていなければ。もしも脱走兵の取り扱いについて答えてくれた人が誠実だったなら。もしも。もしも。。。。。
もしも、何か1つでも史実とズレていたら。
きっとマリアは罪人として裁かれる事もなかったんじゃないかと思うのは、きっと僕だけではないと思います。
そして、もしもマリアを取り巻く環境が1つでも違っていたら、全く違う結末が待っていたんだよ。と(ほぼ)断定している。と、蜘蛛の糸の演出で言っているのではないかな。と深堀りました。
まぁ、キリスト圏なのに仏教徒でいようものなら、本編以上の魔女裁判としてぶち裁かれてそうですが。。。。。。
~赤い糸=血統説~
肉体の悲鳴を抑え込みながらも、頭上に?を浮かべながらも観劇をしていた観衆たちの?が恐らく冬場のインフルエンザウイルス並みに爆発的な増加を引き起こした原因。
イングリッドによる復讐劇。
西山裕一さんのFlame Againを鎮魂歌に引っ提げて、
顕現したのは復讐の女神。
四隅の姉妹たちが、それぞれ手に持った赤い糸を放り投げ、まるで結界の様に区切った。
さらに、姉妹たちが動きまわる事でエレクトラ自身に赤い糸が絡みつき
極めつけはこのセリフ。
『最後のへその緒を断ち切る』
身体に纏わりつく赤い糸とこのセリフにより、赤い糸=血縁の証、つまり血統そのものととらえることができるんじゃないかと思っています。
そして、赤い糸を血統そのものと考えると面白い仮説が浮かび上がったんですね。
もったいぶらず仮説からお話すると、
『ウルリケは、イングリッドの娘ではない』
という仮説です。
ビッグバン級の爆弾発言のせいで全て忘れてしまっているかもしれませんが、赤い糸はあと1か所印象的な使われ方をしているんですよ。
・病院にて、マリアとウルリケによるあやとり
このあやとり自体に意味を見出すことは出来なかったのですが、重要なのは、誰と誰が赤い糸であやとりをしているか。です。
ここでは、マリアとウルリケが赤い糸であやとりをしていましたね?
ほほえましい限りですが、、、
さて、イングリッドとウルリケが赤い糸を使ってお互いを結びつけるシーンはどこかにあったでしょうか?
少なくとも僕は覚えていないんですよね。
もう一度、赤い糸=血縁の証、血統そのものであると仮定しましょう。
マリアとウルリケはあやとりで、血統の結びつきを証明している。
イングリッドは、絡みついたへその緒(赤い糸)を断ち切る事でマリアとの血縁関係など全てを切り捨てようとしている。
では、イングリッドとウルリケは?
気になっていたのは、イングリッドの矢印は全て父親、マリアの旦那に向いていたという点。
不自然なまでに、イングリッドの夫、ウルリケの父親については描写されてきませんでした。
マリアはイングリッドおよびウルリケと赤い糸で結ばれている。
つまり、
つまり、
つまり、
ウルリケはイングリッドの娘ではなく、マリアの娘であり、イングリッドの妹である。
こうとも考えられるのではないでしょうか?
男をとっかえひっかえし、子供を作らなければ結婚もしないウルリケ
⇒純粋な未婚
戸籍上の夫がいるかすら不明。腹を痛めて生んでいない子供を我が子と嘯き、既婚のフリをするイングリッド
⇒(真意不明だが)国が求める意味での既婚ではない=未婚
結婚はしたし子供も産んだ。けれど、恐らく(マリアからの)愛情は無く、国からの罰から逃れるために仕方が無く子を作ったマリア
⇒精神的な未婚
三者三様ではあるが、それぞれが『未婚』の女である。
そうも考えられるでしょう。
そしてこの状況を纏めて
未婚の女女女
として、タイトルになったんじゃないかな?
いやドイツ語表記なのは分かってるよ?
理解ってるけどさぁ、、、、、
die unverheirateteって書かれると、
『未婚に死を』
ってあるように感じちゃうんだよなぁ、、、、、、、
意図的かな?
【未婚の女たちの最期について】
さて、お次は未婚の女たちの最期についてお話させてください。
まず結論として、
マリア:天国生き
イングリッド:天国行き
ウルリケ:地獄行き
に、なるのかな?と思うております(推しを地獄に落とすとは何事だ)
推 し を 地 獄 に 落 と す と は 何 事 だ
なぜマリアとイングリッドが天国行きなのか。その根拠としては、退場時の演出ですね。
これは多くの人もそう思ってるかと思いますが、マリアとイングリッドは退場する時、淡く白く穢れの無い光に包まれて(光に向かって)退場をしていきました。
この演出的に、間違いなく天に召されただろう。と、そう考えちゃってもおかしくは無いはずです。
逆に、ウルリケの最期は暗転で終わっています。
顔面の穴と言う穴から血を流し、家の壁まで吹っ飛ばされてますからね、その後亡くなっててもおかしくはないと思ってます。(相手は激情してるし。)
だから、ウルリケは地獄行き。
で、あるならば。
どうして2人は天国に行けて我らがミューズは地獄行きなのか、それぞれの罪を振り返りながら絡まった糸をほどいていきましょう。
・マリアについて
マリアについては単純明快ですね、脱走兵が処刑されたきっかけ。
その密告がマリアの罪になります。
その他では、結婚をし、子供も無事に生み育てているため旧ドイツ的観点からは無罪に当たります。
そのためマリアについては、脱走兵の密告のみが罪にあたるわけですが、これについては裁判とその後の懲役にて、全て償ったとみて良いでしょう。
そのため現世に罪は残しておらず天国へ招かれた。
・イングリッドについて
イングリッドの罪は、(議論の余地はあるものの)親殺し、復讐の実行が当てはまるかと思われます。
旧ドイツ的に見ても、ウルリケを育てている一児の母ですから、未婚の罰には当たりません。
(上記でイングリッドはウルリケを産んでいない説を唱えていますが、そんなこと旧ドイツ側は知る由もないため無罪判決)
となると、イングリッドは罪を現世に遺しているのに天国へ昇ったのか?と考えてしまいますが、恐らく厳密に見てみると、『イングリッドは罪を犯していないから』天国へ昇ったのかな。と僕は思います。
だって、『未遂』だし。
あのまま殺めていれば間違いなく地獄行きだったはずですが、未遂に留まった。『未遂で既婚の女』だったから、罪を洗い流す描写が無くとも天国に行けたのかなって。
・ウルリケについて
我らがミューズ。舞台でも美しかったし間違いなく今日も美しく明日以降も元気に過ごしてくれることでしょう。
そんなウルリケは男をとっかえひっかえし、沢山寝るわ全裸の写真を撮りまくるわでジャンヌ並みにわっけわかんねぇことをしとります。
最初は、不特定多数の不貞行為。つまり浮気がウルリケ自身の罪なのかな。と考えたのですが、それだけで地獄とは閻魔様のなんて心の狭いこと。
多分重要なのは、旧ドイツの視点。
なんで、どうして旧ドイツの結婚政策だけ、舞台の合間を縫って解説があったのか。
貸付金が産んだ子供の数だけ免除され、逆に、未婚の女性は激しく罰せられたと。
その答えが、ウルリケなんだと思います。
ウルリケは未婚の女。
それも、一切結婚する気が無く、ただ何となくその日弄ぶ男を見繕い、遊ぶためだけに行為に及ぶ。
・行為をしているのに子供を作る気が一切ない
・色んな男と寝ているのに結婚する気も一切ない
これは、たぶん、旧ドイツ的には重罪だったんじゃないかな?
その報いとして死ぬまで暴力を浴びせ続けられるものの、それで全ての『禊』が終わったわけでもない。
だから結果として、ウルリケは地獄に落ちたんじゃないかな。
『私はなんて馬鹿なんだろう』
そのアンサーとしては
『僕は悪くない。』
『きみが悪い。きみが悪い。きみが悪い。きみが悪い。きみが悪い。きみが悪い。きみが悪い。きみが悪い。きみが悪い。きみが悪い。きみが悪い。きみが悪い。』
『きみが悪くて』
『いい気味だ』
って感じかな。
だって、不特定多数の不貞を彼に黙っていた『大噓憑き』は彼女なんだから。
禊だけにね。
【舞台からみる深作監督の意図】
月並みな言い方にはなってしまうけれど、結局のところ『歴史は繰り返してしまう』って、深作監督は言いたかったのかなって思ってます。
根拠はいくつかあって、
まずはマリア、イングリッド、ウルリケの3人とも罪を犯していること(僕の考察では、厳密にはイングリッドは無罪だが。)
そして、姉妹のセリフやマリアの独白など、同じセリフを複数回に渡ってちりばめていること。
決め手はイングリッドとウルリケの存在。
病院のシーンにて、『お母さんが毎晩家に男を連れ込んでるから、耐えられなくなっておばあちゃんの家に遊びに行くことが多々あった』とウルリケが話してましたが、そうなるとつまり、ウルリケはあれだけ忌避していた母親と同じことを、大人になった今再現しているんですよね。
(だからイングリッドとウルリケは遺伝的に繋がってそうなんだよなぁ。。。。)
つまり、何世帯にも渡って罪を犯し続けるし、2世帯間だったとしても嫌だった想い出を繰り返してしまう。
人類は愚かで、何度でも罪を犯し、償い、そして忘れ、また犯していく
と、僕は受けとりました。
でもきっと、記録と歴史に学ぶことはできる。
ウルリケがおばあちゃんのノートを見たように、過去から学んでこれからを生きる事だって、きっとできる。
深作監督の師匠は、『愛と平和のために映画をやっている』と答えたらしい。
そんな素敵な方のお弟子さんが、『人類ってほんとバカだよね~』で終わる舞台を創るはずがないと、そう思ってます。
この舞台を受けとった我々が今後どういう道を生きていくか。
それがこの舞台の成果になるんじゃないかな。。。。。
おい責任重大かよ。
③単発の考察というか感想集
・イングリッドが戦勝パレードみたいなクソデカBGMで帰ってきた理由
⇒尊い犠牲(母の死)のうえ、ようやく自由を手に入れたから?
・開演前の『チッ、チッ、チッ、チッ』という時計の音
⇒もしかして開演までの時間を使って、観客を当時までタイムスリップさせてる??
・能舞台で演った意味
⇒能は本来仮面を付けて行う物
⇒仮面は本心を明かさないために用いられる
⇒仮面を付けずに舞台行う
⇒本心がバレバレ
⇒この舞台は嘘がつけない(By.座長)
・銕仙会能学研修所が選ばれたわけ
⇒よくみたら窓ないし、コンクリートで囲まれてるし、護送車とか豚箱の中と同じじゃね?
⇒奥に1本の木が書かれているけど、演者からは見えない
⇒マリアの頭の中でイメージしている木を具現化している?
・ダブルキャストだった意味
⇒娘役が2人いる
⇒娘が実は2人の伏線?(イングリッドとウルリケ)
・男の全裸を写真に残し続けた意味
⇒過去の事実を嘘偽りなく記録していく?
⇒人類が、過去の事実を忘れないよう事実のまま後世に伝えている事の暗示?
(聖書やら古事記やらから目を背けつつ)
④舞台を通しての走馬灯
疲れた。w
舞台を見るのも考察すんのもわざわざブログに残すのもほんっっっとうに疲れた。w
だって難しいんだもんさ~~~~~~~~~~~~
頭はパンパン心もパンパン体はギシギシ大変だったよね、もうね。
色々と考えていく内に、あーじゃないか、こーじゃないかと別の思考と絡み合ってぶつかって、
良く分からん箇所から紐づけていって、
こうやって陰謀論とか作られるんだな~って
何か利口になった気さえするもん。
とにもかくにも、約1万字近いこのブログにお目通しくださって、皆さん本当にありがとうございます。
走馬灯まで読んじゃうような物好きな皆さんには、なんか、ガリガリ君が当たるくらいの、ささやかな幸せが舞い込んでくれるんじゃないすかね?知らんけど。
あと少しだけ真面目に語るとすると、
ポストモダン、アンチポストモダンどっちにも極端に寄りすぎるのは危険だよね。って思った感じです。
例えば、重度に飲酒した状態で運転をし、とある母親と娘を轢き殺したと報道があったとしましょう。
すると人情的にも(ここでは敢えて主語を大きくするが)"我々"はその加害者に対して、できるだけ重い判決を望むだろうと思います。
そして、重罪という真実を望んで、加害者の主張など意に介さない。
これって、マリアに対する裁判員たちと同じなんですよね〜
たぶんポストモダンとかアンチポストモダンって、どっちが正解とか正しいだとか大義はどっちだとか無いんだろうとは思うんすよね。
だからこそ、極端にどっちかに寄りすぎず、なるだけフラットな視点で、
物事の本質をとらえて
自分の考えを持って
生きていく事が大事なんだろうな
と、臭い言葉で締めくくらせて頂きます。
それじゃあ、ばいなーんす
未婚が重罪の時代に産まれなくてよかった、、、、、、、、
(By.独身異常男性)