昨年3・11の東北・関東大地震とそれに続く津波・原発事故による大震災から1年がすぎた。
津波が続く範囲ではなかったのだが、仙台市内にあった我が家(マンション)は全壊。東北各地では、知人友人が亡くなった。以降、気が晴れないままでの日々が続いている。
全壊マンションから出て、応急仮設住宅とされている公務員住宅に移り住んだのが昨年8月末。
その後、一人住まいしていた80歳半ば過ぎの母が末期がんがかかっていることが見つかり、秋に入院。退院後は、抗がん治療は受けずに、在宅医療を受けながら自宅で過ごすことに決めたとの母の言を受け、以来、母親宅に出向いて泊まって世話をすることになった。
その母が3月上旬に亡くなり、4ヶ月を越えた泊り込みでの介護が終わった。
震災1周年の当日は、その母の初七日が過ぎて、一休みといった一日だった。
その日の夜に、私の携帯電話に、見慣れない番号の着信があることに気づいた。こちらからかけて見ると、中学校の時に転校していったF君だった。
私が1月末に寒中見舞いで、近況報告を書き送ったことに対する返事なのだろう。
被災を心配してくれて、救援の衣類を送るので、着れなかったら捨ててもいいから・・・とまで言う。
母の葬儀が終わって間もない時期で、多少おっくうではあったが、母の死去ことにはいっさいふれずに、昔の話や孫の話で、ひと時盛り上がった。
T興業には仙台支社もあり、今度、仙台に来たら会おうという話で、電話は切れた。
49年ぶりの中学時代に戻っての話は、不思議でもあり、なつかしくもあった。
F君の心遣いに感謝する。
