日本、世界、宇宙
全国津々浦々で素敵な景色がある。

雪が降る街

常夏の海を探す

山びこが聞こえる丘

高層ビルが並ぶCity

お城が見える城下町

どこまでも続く平野

棚田が美しい田舎風景

教会がみえるレトロな広場

一面の地平線が続く砂漠


挙げればキリがない…


そして、人はその地域に根をおろし、
環境に合わせ営みを形成してきた。

歴史はとても素敵で偉大だ。
100兆円積んでも手に入らない。

長くゆっくりと時間が過ぎていく中で、

少しずつ

少しずつ

積み上がてきた。

どこが良くて 何が良いという話ではなく
違いがあるから価値がある。

人それぞれ価値観や好みがあるから、
おもしろい。

そんな地域独自の景観価値は計り知れなく、
故郷への想いが、受け継がれてきた血が
それを守ってきた。



ただ、そんな地域の素晴らしい景観は、
猛スピードで失われてしまっている。


建物の老朽化や地権者の世代交代。
お金や利権や圧力。
つまり故郷への想いが希薄になり、
下らない目の前にある餌に喰い付く。

良かれと思って、
仕方なくて、
他に選択肢が分からなくて、

悪意がない場合もある。
確かにそれも止む無しだが、、、

私は、金太郎飴の如く街並みが同じやうに、
移り変わっていく様を残念に感じている。


いつも意味が分からない前置きが長いが
本題に!



駅前エリアや都心部にて、ガンガンと実施されている再開発事業の大半は、街を殺しているというお話。

どういう事なのか…

再開発には細かな土地所有者と交渉の上で
売却もしくは定期賃貸借契約により
一定範囲の地面を集める。

集まった地面に残っている建物は、
まとめて壊してそのまま新たな建物をつくる。

概ね分譲型である。

どういった建物なのかデザインは違えど必ずと言っても良い共通点がある。

それは高層化した建物だという事。
最低でも15階以上で高いものであれば、
30階以上も珍しくない。

何故高層化するのか?

シンプルに床面積を増やし、沢山の入居者を集めて賃料や売却益つまり収入を確保する事で計画が成立する仕組み。

市街化区域等や、建ぺい率等のルールはあるが、
基本的に高ければ高い方が良いのだ。

そして、高い建物の莫大な施工費や地代確保費用はこの収入で賄い、差額が開発業者の利益となる。

では、この高い建物に誰が入居するのか?
当然便利な立地、最新設備、眺めが良い等のメリットはあるので、過去20年程はタワマン需要はうなぎ登りで資産価値も下がっていないどころか上がっていたりする。
まだまだニーズはある訳だ。

都心部では、店舗やオフィスの入居も見込めるので商業ビルとして開発したり、ここ10年程はインバウンド効果でホテルがそのまま入る事もある。


そんな中で、
この開発の実態をご存知の方も多いとは思うのだが、まず開発業者はビルを建てて入居者を決めるまでが業務なので、完成し決済手続き後、各々入居が完了しスタート後についてはほぼ無関係である。

一般的に、入居者による組合が作られ共益費や積立費で運用する。商業ビル化した場合はディベロッパーという運営開発会社が契約されていて、入居者の入れ替えや建物維持の管理を行っている。


冒頭に述べた景観で街が死ぬという事もあるが、マンションの場合は、
①上層部と全体の3分の1は投資目的の為、入れ替わりが激しい(コミュニティは生まれない)
②密会部屋として購入しているケースも多い為、居住者はいない(コミュニティは生まれない)
③表は日本人、裏は外国人で実際はあり得ない人数が住んでいる(コミュニティは生まれない)
④需要と供給バランスが崩れた瞬間に空いたままになる(コミュニティも何もない)

現実、夜に電気がつく数は、
驚く程に少ないのだ。

要するにあまり住んでいない…
一体、このビルにエリア価値を高める
何があるのか疑問である。

また事業者の場合は、
①新築で高額な賃料設定の為、資金力が弱い地域事業者は難しいので、ナショナルチェーンが入居。(コミュニティは生まれない)
②ディベロッパーは入居者が決まれば良いので、責めたリーシングはしない。むしろ定番の無難な業態ドラッグストアや100円均一、コンビニ、ファミレスになる。結局ナショナルチェーンが入居。(コミュニティは生まれない)
③ナショナルチェーンは、売上想定がとれないと見切りも早い為、頑張らない。空き区画になる。(コミュニティも何もない)
④退店されると、再リーシング時には賃料が下がっていく。賃料を下げて決まったテナントと既存店との条件差(初出店時は賃料高い)が発生し、ギスギスする。(コミュニティは生まれない)


いずれもかなり極端な展開例ではあるが、決して大袈裟な話ではなく実際起こりうる。

街が死ぬとは以上のような出来事が割とスタンダードに起きていて、コミュニティが生まれないという事になる。コミュニティがなければ、入居者同士のコミュニケーションがない。繋がる機会が薄いし、関心もない。

新品の廃墟
とはよく言ったもので、開発をすればする程、地域の景観とコミュニティが失われ、街が死んでいく。