退院してからは、吐き気は薬で治まっているようで

ご飯も食べられているんだけど


どうにもダルくて

気が付くと寝てばかりいます。(´д`lll)



足も痛くてね・・

痛すぎて凹むわ~(´_`。)




ごぶさた中のブロ友さんシリーズをお届けしたいと思います。



5月の24日土曜日、同病院に通ういつものメンバーでランチでも・・となり、

ラク地方のおいしいもの食べにおいでよーと横浜在住のみえちゃんも誘い

駅に集合したりばーちゃん、まみちゃん、みえちゃんを車で迎えに行く。



車で箱根方面へ走り、目的のお店へ。


「えろんなごっそ」



いろいろなお料理をブッフェで楽しめるお店です。



足が痛いので、お料理を取りに行ったりできるかなと心配してたけど

そこはまだ食欲もそれほどではなく、

一緒に行った友達たちはよく気のつく人たちばかりなので←ヲイ。



ええ。すっかり甘えてしまいました^_^;



まだカルピスしか飲めない病から抜けだしてなかった時期なので


カルピス3杯くらい飲んだかも(-"-;A







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この画像は当然、私のではなく


隣できれいに盛り付けてあった


まみちゃんのプレートを激写ww




まみちゃんに振り付けの相談をしていた長男のサッカー団の卒団式


での余興のビデオをようやくこの日見てもらうことができました。



一度まみちゃんにビデオを渡し、じっくり見てもらうことに。


すると



まみちゃんの目に涙が・・・



ハンカチで何度も涙をぬぐいながら


見終わったまみちゃんが言った一言は・・。



「もう一回見てもいいですか?」



そして、もう一度最初からじっくり見てくれた。




いや、小学5年生の素人のダンスだよ!?


まみちゃんが習っているタップダンスの足元にも及ばない


なんちゃって座頭市なのに・・。





まみちゃんはまた泣きながら


「とってもいいです」


と言ってくれた。




子どもたちの頑張りを認めてくれてうれしかったなー。





この卒団式の練習は2月いっぱいやっていたのだけど


この頃は日ごとに腰からくる足の痛みがひどくなっていって


だんだん歩けなくなってきて


杖をつきながら、踊りの指導どころじゃない状態だった。




来年の長男が6年生になったときの卒団式は出れるんだろうか?と


打ち消してもわき出る不安に


打ちのめされそうだった。





サイバーナイフの治療の効果がまったく現れず


痛くて痛くて


痛み止めの薬の量だけが増えて行く日々。






思いだすと


多少副作用があっても


治療できる今は幸せだ。




そして食べられる今はもっと幸せで、


ブログを通してできたかけがえのない友達と


他愛のないおしゃべりをしている今は


本当に幸せなんだな
:*:・( ̄∀ ̄)・:*:







りばーちゃんは相変わらずよく気のつくお姉さんで


私の飲み物が空きそうになると


さっと立ち上がり、持ってきてくれる(o^-')b





みえちゃんは、何気に一番つき合いの長いお友達の一人なんだけど


ほんわかムードで、話を聞く姿勢がとってもやさしい(*^ー^)ノ






できないことを嘆いてばかりいるけど


ホントは気付いてない幸せにこの世は満ちている







出会うべくして出会えた喜びを


なんて伝えたらいいんだろう






そしてこの日初めて


私は自分の中にずっとしまっていた


りーくんとたぁちゃんの物語をこのメンバーに話したのだった。






すごく静かなひとときだった。







晴天の青空に

さわやかな風が吹いていた。







りーくんは子宮頚がんだった。


手術の後、抗がん剤治療をしていた。


その頃、たぁちゃんから私にメッセージがくるようになった。



いわく「友達が子宮頚がんで・・・云々・・治療がつらそうで・・・


病院側があまり説明をしてくれないようで・・・ラクさんはどうしてそんなに強いんですか?」




友達のりーくんを心配するたぁちゃんのあついメッセージだった。


たぁちゃんは結婚して遠くに住んでおり、りーくんとはなかなか会えなかった。


「会いに行こうか?」そう聞いてもりーくんは


「いい。治療が終わってからにしよう」


「副作用がひどいので今は会えない」って言ってたそうだ。




たぁちゃんはりーくんの副作用がひどいことをとても心配していて

また、医師からステージなどの説明がないことにも疑問を持っていた。



そして抗がん剤治療を6クールやって、すぐのCT検査で

再発が確認される・・・。




りーくんは病院を変わるが、今までの副作用がひどかったことから

もう治療はしたくないと言う。



りーくんの転院した病院は、私が初発のときにセカオピに行った病院で

近くでもないけど、行けない距離でもない病院だった。



たぁちゃんはすごくりーくんのことが心配だったけど

自分が病気でもないし、遠くにいてすぐに会いにいけないので

できたら私がりーくんに会いに行ったり

同じ境遇なので、気持ちをわかちあってほしいと願っていた。


「できることなら、最強女子の老人会で笑うラクさんとりーくんの様子をブログを知らせてもらうのが私の夢です」ってたぁちゃんは言ってた。





その頃はもう足が痛くて出かけられなくなっていたんだけど

毎日のようにメッセでやり取りしているうちに

なんとかして、りーくんに治療に積極的になってもらいたくて

ブログで呼びかけたりしながら

自分にできることを考えていた。



そしたらブログを読んだりーくんから直接メッセージがきた。

「もうこのまま死んでもいいと思っていたけど、やっぱりもう一度治療をしようと思う」

ってあって、本当にうれしかった。



すぐに「会いにいこうか?」とメッセしたら

りーくんはこう言った。



「私はラクさんとは笑って会いたい。だから今治療をがんばって、終わってよくなってから『よくがんばってね』ってほめてもらいたい。」


「本当はおしゃれも好きで、いつも笑っている私だった」


「だからかわいいウィッグをかぶって、笑顔でラクさんに会えるようがんばるから、今は会わない」




その後、たぁちゃんからりーくんは治療をすることになったと連絡があり、

しばらく二人からの連絡は途絶えた。





しかし、りーくんの癌は性質の悪いタイプだった。

治療は追いつかず、あっという間に悪化した。




りーくんは痛みで眠れなくなり、個室に移りご両親も泊まり込みで付き添った。

そうしてまた、りーくんの様子はたぁちゃんからのlineの情報に頼ることになった。



たぁちゃんは悩んでいた。

りーくんのたった一つのしてほしいことは



「たぁちゃんに会いたい」だった。



「もうちょっとよくなったら」とずっと言われていたたぁちゃんは、このタイミングで会いに行っていいものかということと


小さい子どもとダンナさんがいるたぁちゃんは、急に遠くに気軽に行けないということもある。




でもりーくんのご両親からも頼まれ、たぁちゃんはりーくんに会いにくることになった。




ダンナさんも一緒に来てくれ、滞在中ゆっくりりーくんに会うことができた。



痛みを訴えるリーくんの腰をずっとさすってあげたり

何も言わなくても同じ空間を共有できたことにりーくんはとても幸せだったろう。




りーくんは病気になったことをたぁちゃん以外の友達に言ってなかったそうだ。



りーくんは生まれ変わったらたぁちゃんの子どもに生まれてきたいと言っていた。



りーくんの状態はとても悪くいついってもおかしくない状態だったそうで、


たぁちゃんは関東の自分の実家に長期滞在しながら、行ける限りりーくんのもとに駆け付けた。


もうそのときには話すことはできず、あんなに眠れなかったりーくんはずっと眠ってばかりいたそう。


お母さんに死んだらシャボン玉になるんだよと言われ、怖くなくなったって話していたと。



そしてりーくんは4月の半ばごろ、虹の橋を渡り シャボン玉になった・・・。

りーくんは31歳だった。




たぁちゃんは「もう二度とあんな友達はできないから」って言った。

「天国への道のりに咲く青いじゅうたんみたい」って画像を送ってくれた。



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たぁちゃんを通して、りーくんを見つめ続けた日々が終わった。


たぁちゃんとラインで話し、励まし涙する毎日だった。


ブログに書くことをたぁちゃんと約束してから


ずーっと書けなかった。




悲しくて悲しくて。


結局会うこともかなわなかったブロ友さん・・・。




旅立つりーくんに自分を重ね



また愛する友を送るたぁちゃんにも自分を重ねる。





本当に何人の大好きな友人たちを空に送ったことだろう。






そんな嘆きも悲しみも




全部吸い取って




それでも空は





静かに深く




広く青い