私は羨ましかったんだと思う。
何か一つのことに打ち込める人が。
お兄ちゃんは昔も今も、これからも、ずっとずっと憧れの存在。
お兄ちゃんにはサッカーっていう芯がいつでも中心に通ってて。
絶対揺るがない。
サッカーしてるお兄ちゃんはいつも輝いてる。
サッカーのせいで勉強はあんまりできないんだと思ってた。
でも、今お兄ちゃんは社会人になってもサッカー続けられるようにちゃんと勉強してる。
サッカーを中心にお兄ちゃんの世界はちゃんと回ってて。
いつもゆらゆら不安定な私とは違う。
勉強もそこそこできるし、運動だって人並み以上にはやれる。
いつだって褒められてきた。
頭いいね。
運動神経いいね。
何でもできるね。
その度にうれしくなって。
でも、何のため?
私は結局何がしたいの?
何でもできるようで、何にもしてないんだと思う。
お兄ちゃんみたいに揺るがないものがただ一つあればいい。
それだけでいいのに。
掴めない。
もどかしい。
そんな思いが私を支配して。
結局周りに流される。
「お前はまだ本気出してない」
大学受験の時に先生から言われた言葉。
胸に突き刺さった。
私は今まで本気を出したことがない。
その事実は、私を暗闇へと導くのだった。
学校の授業でソクラテスの哲学について今やってて。
ソクラテスの人間性についてはあんまり好きではないのだけれど、生について考えるきっかけになった。
もともと思ってた。
生と死って二項対立的な存在じゃないって。
生きてるの反対が死んでるで、死んでるの反対が生きてる?
本当に?
生物学的にいえば"生きて"いても、死んだように生活してる人だっている。
そういう人って、私と一緒で自分はちゃんと生きてるんだっていう実感を感じてないと思う。
じゃあ、生きてる実感、自分の存在を感じるのっていつ?
それは、自分のやりたいことをやってる瞬間じゃないかな。
自分の大切にしたいこと、守りたいものを必死で追いかける時。
人はキラキラと輝きだす。
そしてそれは死をも乗り越える。
例えば、私の大学の教授の話。
その先生は心臓に病気を抱えてる。
心臓を移植しないと治らないそうだ。
いつも死に直面してる。
けれど、私たち学生に教えることが最優先事項であって、移植手術してる時間が惜しいから手術はしないと断言してた。
この先生は死への恐怖なんてこれっぽっちも感じてないんだと思った。
死は、例えば今日の晩御飯とかそのレベルの一要素でしかなくて。
だから、死を伴うとしても自分のやりたいことがある人はそれをやり通す。
でも、みんながみんなそんなに強い訳じゃないよね。
死ぬのは怖い。
ソクラテスは、死とは何か分からないから怖がることはないと述べているけど、それは違うと思う。
私たち人間を含めた動物は、自分の理解の範疇を越えたものに少なからず恐怖を抱く。
地球外生命体とかね。
でも、人は死を意識した時、もっとも美しくなるんじゃないかな。
生を諦めた時じゃなくて、死を意識した時。
闘病中の人とかってなんだかキラキラして見える。
それは、周りの人より少しだけ死を強く意識しなきゃいけない状況の下で、残りの生を精一杯生きようと思うから。
死によって生は輝きを持つ。
このことから、私は生と死は二項対立的な関係ではないと思ったんだ。
私は生を輝かせたい。
いつ死ぬかなんて分からない。
自然災害で死ぬかもしれないし、交通事故でかもしれない。
とにかく、80歳くらいまで無事生きられる保証なんてない。
だから、今を精一杯生きたい。
何かに本気で打ち込みたい。
それが私の今の願望。
本気で打ち込めるもの。
今までの私は見つけられなかった。
いつもお兄ちゃんを追いかけて。
お兄ちゃんがやってるから。
お兄ちゃんと一緒がいい。
でも、お兄ちゃんと私は別々の人生を歩いてるのであって、私はお兄ちゃんじゃない。
大学へ入って、自分を見つめ直して、答えは少しだけ見えてきた気がする。
サッカーをしている時が一番何も考えずに自然な笑顔でいられる。
広告について勉強するのは全く苦じゃなくて楽しめる。
そんなもんだけど。
お兄ちゃんへの羨望からじゃなくて、自分の意思で。
歩き出す。
まだ前も後ろも分からないけど、歩き出す。
何か一つのことに打ち込める人が。
お兄ちゃんは昔も今も、これからも、ずっとずっと憧れの存在。
お兄ちゃんにはサッカーっていう芯がいつでも中心に通ってて。
絶対揺るがない。
サッカーしてるお兄ちゃんはいつも輝いてる。
サッカーのせいで勉強はあんまりできないんだと思ってた。
でも、今お兄ちゃんは社会人になってもサッカー続けられるようにちゃんと勉強してる。
サッカーを中心にお兄ちゃんの世界はちゃんと回ってて。
いつもゆらゆら不安定な私とは違う。
勉強もそこそこできるし、運動だって人並み以上にはやれる。
いつだって褒められてきた。
頭いいね。
運動神経いいね。
何でもできるね。
その度にうれしくなって。
でも、何のため?
私は結局何がしたいの?
何でもできるようで、何にもしてないんだと思う。
お兄ちゃんみたいに揺るがないものがただ一つあればいい。
それだけでいいのに。
掴めない。
もどかしい。
そんな思いが私を支配して。
結局周りに流される。
「お前はまだ本気出してない」
大学受験の時に先生から言われた言葉。
胸に突き刺さった。
私は今まで本気を出したことがない。
その事実は、私を暗闇へと導くのだった。
学校の授業でソクラテスの哲学について今やってて。
ソクラテスの人間性についてはあんまり好きではないのだけれど、生について考えるきっかけになった。
もともと思ってた。
生と死って二項対立的な存在じゃないって。
生きてるの反対が死んでるで、死んでるの反対が生きてる?
本当に?
生物学的にいえば"生きて"いても、死んだように生活してる人だっている。
そういう人って、私と一緒で自分はちゃんと生きてるんだっていう実感を感じてないと思う。
じゃあ、生きてる実感、自分の存在を感じるのっていつ?
それは、自分のやりたいことをやってる瞬間じゃないかな。
自分の大切にしたいこと、守りたいものを必死で追いかける時。
人はキラキラと輝きだす。
そしてそれは死をも乗り越える。
例えば、私の大学の教授の話。
その先生は心臓に病気を抱えてる。
心臓を移植しないと治らないそうだ。
いつも死に直面してる。
けれど、私たち学生に教えることが最優先事項であって、移植手術してる時間が惜しいから手術はしないと断言してた。
この先生は死への恐怖なんてこれっぽっちも感じてないんだと思った。
死は、例えば今日の晩御飯とかそのレベルの一要素でしかなくて。
だから、死を伴うとしても自分のやりたいことがある人はそれをやり通す。
でも、みんながみんなそんなに強い訳じゃないよね。
死ぬのは怖い。
ソクラテスは、死とは何か分からないから怖がることはないと述べているけど、それは違うと思う。
私たち人間を含めた動物は、自分の理解の範疇を越えたものに少なからず恐怖を抱く。
地球外生命体とかね。
でも、人は死を意識した時、もっとも美しくなるんじゃないかな。
生を諦めた時じゃなくて、死を意識した時。
闘病中の人とかってなんだかキラキラして見える。
それは、周りの人より少しだけ死を強く意識しなきゃいけない状況の下で、残りの生を精一杯生きようと思うから。
死によって生は輝きを持つ。
このことから、私は生と死は二項対立的な関係ではないと思ったんだ。
私は生を輝かせたい。
いつ死ぬかなんて分からない。
自然災害で死ぬかもしれないし、交通事故でかもしれない。
とにかく、80歳くらいまで無事生きられる保証なんてない。
だから、今を精一杯生きたい。
何かに本気で打ち込みたい。
それが私の今の願望。
本気で打ち込めるもの。
今までの私は見つけられなかった。
いつもお兄ちゃんを追いかけて。
お兄ちゃんがやってるから。
お兄ちゃんと一緒がいい。
でも、お兄ちゃんと私は別々の人生を歩いてるのであって、私はお兄ちゃんじゃない。
大学へ入って、自分を見つめ直して、答えは少しだけ見えてきた気がする。
サッカーをしている時が一番何も考えずに自然な笑顔でいられる。
広告について勉強するのは全く苦じゃなくて楽しめる。
そんなもんだけど。
お兄ちゃんへの羨望からじゃなくて、自分の意思で。
歩き出す。
まだ前も後ろも分からないけど、歩き出す。