10月1日 | 母の闘病記(膵臓癌)と私と家族達のバタバタ記録

母の闘病記(膵臓癌)と私と家族達のバタバタ記録

母の膵臓癌発覚そして最期の時、バタバタしながら奮闘中の私の記録です。

なかなか私達の希望が通らない日々が続き臨床心理士さんや緩和ケア病棟の看護師さんなどの進めで
母の緩和ケア病棟への転科が決まったのが10月1日でした。
転科は10月2日
母の状態はかなり悪くなってきていて
昼間は父、姉、私や3人が揃っていました。
その時の母は
呂律が回らなくなってほとんど話す事がなく
トイレも1回だけポータブルトイレへ
でも、夕方には立てなくなっていたので
オムツに1度だけしてもらいました。

お昼に食べたトマトとじゃがいもを潰した物が母の最後の食事になりました。

その日の夜の泊まりは私…
何かあった時は直ぐに連絡することで
父と姉は1度帰宅

その頃の母は心電図と酸素濃度を測る指に付けるのが嫌ではずそうとする行動をとる
(私)「はずしちゃダメだよ!明日、緩和ケア病棟に転科したらはずす事になってるから、もうちょっと我慢してね!」

母はブゥーってほっぺを膨らませて唇をとがらせていました。

22時頃に母の息がかなり弱ってきているように感じていると…
看護師さんと担当医が慌ただしく部屋に来ては母の様子を見る…
その時の母はひたすら眠ってました。

(医)「お母様の脈が弱ってきています。ご家族をお呼びになった方がいいでしょう。今日か明日辺りが厳しいです」

急いで父と姉に連絡
23時30分頃には父と姉が到着
少しして、叔母夫婦と叔父夫婦が到着

皆がそれぞれに声をかける…
その時…
母が目を開けました
ほとんど話す事の無かった母が
(母)「N、N…」
Nとは姉の長男の名前…
(私)「Nは家いるよ!」
首を振る母
姉が電話で席を外していたので
私が母の顔に自分の耳を近づけて言葉を聞きました。
(母)「Nにしっかり勉強をするように!H(私の長女)に頑張って志望校に行きなさい!О(私の次女)に色々あるだろうけど頑張りなさい!R(姉の長女)にしっかり頑張りなさい!T(私の長男)にとにかく頑張りなさい!」

(私)「皆に伝えておくね!」
(母)「Sちゃんにはいっぱい苦労かけたね…これから幸せになるんだよ…本当にありがとう」

私は号泣でした。
(私)「お母さんの子供で幸せだったよ!私こそありがとう!お母さんが大好きだったよ!」

その時に母は私を抱きしめる形になり
頭を撫でてくれました。
母がしっかリと会話をして
しっかリと動いた最後でした。
その後の母はまた浅い息で眠りました。

その日はそのまま眠り続ける状態になったので
夜中の3時に叔母、叔父夫婦には帰宅してもらいました。