こんな夢をみた。
久しぶりのブログですが…なんだか夢の話になってしまいました
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義理のお兄さんが結婚した。
それを聞いて、私は何の疑問も持たずに
『じゃぁすーちゃんをお願いしようか。すーちゃんに、あの家へ行ってもらおうか。』
と言っていた。
そう。
お兄さんへ愛する愛する娘をあげるというのだ。
お兄さん夫婦は結婚したばかり。子供ができなくて悩んでいるとか、そういうわけでもなかった。
それなのに。
私は、あげると言うのだ。
私達夫婦の間には2人の子供がいた。
長女のすーちゃん。
次女のふーちゃん。
長女は3歳になったばかり。
次女は生まれてまだ2ヶ月足らずだ。
まだ、兄の結婚相手である奥さんにも会ったことがない私。
そんな状況なのに、私は、すんなりと長女すーちゃんを渡してしまったのだ。
すーちゃんの好きな食べ物、好きな遊び、どんな性格か、そういうことも一切伝えずにただ渡してしまった。
すーちゃんは少し寂しそうな顔をしていたが、大人しく義理のお兄さんに着いていった。
すーちゃんが行ってしまってから、私は徐々に後悔し始めた。
なんで私はあげてしまったのだろう。
あんなにも愛しいすーちゃんを。
兄に、やっぱり返してと言おうか、、。
あ、
”すーちゃんを渡したのは一時的なことで、数日そちらで過ごさせてもらったら戻ってきてもらおうと思っていた。”
そう言おうか、、、。
私は、すーちゃんにどうにか戻ってきてもらうための口実をあれこれ考えていた。
何日か経って、私は義理のお兄さん家族を目撃した。そこには、お兄さん、奥さん、すーちゃんの3人がいた。
すーちゃんは、いつもの口癖、
『もー、2人とも辞めてくださーい!』
そう言っておどけていた。
それは、私と旦那が少しいい争ったりすると、その場を和ませようと気を利かせて言うセリフだった。
あ、すーちゃん…。
あっちの家族の中でも頑張っているんだな。
あの子は色々と考える子だから。寂しいのかもしれないけれど、明るく振る舞ってるんだ。
そう思ったら、喉が熱くなって…。
私はゴクン…とつばを飲み込んだ。
それと同時に、すーちゃんが昔の自分と重なった。
***
私の親は、私が物心つくかつかないか位の頃に離婚した。幼い私は、母にくっついて家を転々としていた。
私はどこに行っても物怖じしない子だった。初対面の人に会っても、初めての場所にいっても、わざと変な動きをしたり、ふざけてみたり…。そんなことをする子供だった。
そのときは自覚してなかったが、
きっと心の奥の奥では、淋しさや不安があったと思う。
そんな、強がりで優しい、小さな自分と、すーちゃんの姿が重なって。
幼い私、幼いすーちゃん、
2人とも抱きしめたくなった。
***
何日か経って、私はすーちゃんとお茶する機会を作った。
なんだかすーちゃんが大人びて見えた。
自分が産んだ子なのに、少し遠く思えた。
なにを喋ったかは覚えていない。
あんなに戻ってきて欲しいと願ったのに、凛とした娘の横顔を見て、私はなんにも言えなかった。
お店を出て、私達は分かれた。
私は、ただただ娘の幸せを願い、新しい場所で頑張っている、自分の足で立っている娘の後ろ姿を見つめていた。
すーちゃん。
よく頑張ってあるなぁ。
幸せになってね。
『子供をお嫁に出す』
その時の気持ちはこんなんなのかなぁ…。
そんなことをぼんやりと考えていた。
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私はここで目覚めた。
隣にはすーちゃんがいた。
すやすや眠っていた。
前日の夜、泣きわめいていたすーちゃん。私は、大丈夫大丈夫ってひたすら体をさすり続けた………んだった。
現実の記憶がふわっと蘇ってきた。
あまりにも泣きやまなくて、困り果てて旦那と顔を見合わせたんだった…。
そんな出来事さえも、私たちの大切な日常の一ページ。ベビーベッドにはミルクを欲しがって起きたふーちゃんがいる。
なんか、
これだけでとてつもない幸せを感じた。
夢の世界では、
『子供はみんなの子供』
そんな概念があったのかもしれない。
家族・親戚の子供はみんなの子供。だから、先に子供が2人いる私たちは、お兄さん夫婦に子供をお願いした。
もしかしたら本当にそういう時代があったかもしれない。本当は一緒にいたいのに、子供を渡さなければならない…。
そんな時代があったかもしれない。
そういう世界だからなんの疑問ももたず、私は子供を渡した。
でも実際子供を渡してみたら、なぜ愛する子供を渡さないといけない?そんな思いが湧いた。
私がお腹を痛めて産んだんだよ。私が育てたい。私が見守りたい。私たち夫婦、大切な大切な子ども達と過ごしたい。
そう思ってしまった。
こうやって、家族で過ごせること。なにげない毎日を過ごせること。当たり前じゃないんだ。そう思ったよ。