こちらは、重度の卵管両閉塞、複数の巨大子宮筋腫。
お医者様に「自然妊娠は無理です」と言われた私が、第一子を妊娠するまでのリアルストーリーです。
以前、アメブロに記載していたものを一部修正して転記します。
今、必要な方に届きますように・・・。
私のリアルストーリー① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮ ⑯ ⑰ ⑱
~身体からのシグナル~
子宮収縮剤を処方されてから4日目。
吐き気、頭痛、めまい、腹痛、高熱、そして全身の倦怠感・・・。
あらゆる症状に苛まれ、私はベッドから起き上がる事ができませんでした。
薬を飲みたくないが
手術はしたくない
私はどうしていいかわからず
「服用をやめて様子をみてください」
と言ってくれるのを期待しつつ、クリニックに電話をしました。
「収縮剤を飲んでから吐き気や頭痛でベッドから起き上がれない状態で、熱も上がってきたのですが、一旦服用をやめていいですか?」
とたずねると、電話に出た婦長さんは
「お腹に残っているものが出ないと今の状態が治りませんから、飲んでください」
とおっしゃいました。
「こんなに体調が悪化しても、無理矢理飲まないとダメですか?」
再度私はすがるように尋ねましたが
「副作用は仕方ないんで、我慢して飲んでください!」
と言われ、諦めて電話を切りました。
でも、これ以上苦しくなるのが分かっているのにどうしても飲みたくない…
私は病院にきつく言われても薬を飲む勇気が出ず、結局主人が帰るまで待つことにしました。
妊娠している間もツワリで大変だったけど、流産してからもっと辛いなんて!
いつまでこの体調不良と不安が続くのか・・・
もう、精神的にも肉体的にもボロボロでした。
そしてその夜、主人は帰ってくるなり血の気のない真っ白な顔でベッドにぐったりと横たわる私を見て、子宮収縮剤の影響を一瞬で悟ったようでした。
病院に我慢して飲むように言われたが、身体がつら過ぎて飲めない。
でも、手術になってしまったらどうしよう。
と泣きながら相談すると
「もう飲まなくていい」
と一言、主人は言いました。
これだけ身体がはっきりと拒否しているんだから、私の身体に絶対悪影響があるはずだと・・・
そして私は、子宮収縮剤の服用を止めました。
結局次の日も起き上がれず、たった3錠飲んだだけで5日間寝込み、GWの半分をベッドの上で過ごすしましたが、ようやく副作用の恐怖から開放されたのです。
どうしてこれほど、私の身体が子宮収縮剤に拒否反応を起こしたのか?
私達夫婦はのちのちこの理由を知ることになるのです・・・。
~我が子を葬る場所~
子宮収縮剤の影響で体調を崩し GWの半分をベッドで過ごした私。
自然流産をしてからもうすでに3週間がたっていましたが、吐き気やお腹の張りは全く改善せず、体温が37度をきることはありませんでした。
やっと起き上がれるようになった晴天の日
「早くこの子を供養してあげなくちゃ。供養できていないから体調が戻らないんじゃないかな」
と主人が言いました。
2人が「我が子を葬る場所」として 納得出来る場所が見つからないまま体調を崩してしまい
私達は小さな我が子を供養できずにいたのでした。
「そうだね。今日こそは探さなくちゃ」
私達は、我が子を燃やして埋葬する場所を 改めて探し始めました。
緑が多い場所。
秋川渓谷か、多摩川にしようか・・・
その辺りしかないかなと言いつつ、なぜか「ピンとこない」
あまりにも決まらないので、考えながら駅に向かって歩いていると、主人が突然
「麻賀多神社にしようか」
と言いだしました。
麻賀多神社は、それほど有名な神社ではありませんが、岡本天明という方が神様からの御神託を受けた場所で、日月神示という予言書を自動書記した知る人ぞ知るパワースポットでした。
以前から2人で訪れてみたいと話していたものの、我が子を葬る場所としては思ってもみなかった場所
突然の思いつきではありましたが、ようやく「ピンときた」私達は、さっそく麻賀多神社へ向かって歩き始めました。
今思えば、私達はこの場所に呼ばれていたのかもしれません。
しかし、私達は奇跡がすぐそこまで訪れていることに全く気づいてはいなかったのです。
つづく
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