結局、予想どおりの判断・結果でした(裁判所サイト↓)。
<民法750条 : イーガブより>
夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。
<戸籍法74条 : イーガブより>
婚姻をしようとする者は、左の事項を届書に記載して、その旨を届け出なければならない。
一 夫婦が称する氏
二 その他法務省令で定める事項
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変遷を簡単にまとめると(新聞記事より)
1876年(太政官指令) 妻は所生ノ氏(実家の氏)を用いる
1898年(旧民法) 妻は夫の家に入り夫の姓を名乗る
1948年(改正民法) 夫婦どちらかの姓を名乗る
1996年(民法改正案) 選択的夫婦別姓(提出断念で頓挫)
2015年(最高裁判決) 夫婦同姓は合憲(12月16日)
2021年(最高裁判決) 夫婦同姓は合憲(6月23日)
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私のような、才能も権力もほとんどない者が、何を述べても、
「ごまめの歯ぎしり」にすぎないことは、百も承知ですが、
いちおう、私の個人的な感想・見解を述べておきます。
仮に、民法750条が、「夫の氏を称する」という文言だとしたら、
さすがに、不平等で違憲とされたでしょうが、
「夫又は妻の氏を称する」となっているので、
現実の状況は無視して当該条文そのものだけを機械的に読んだ限りでは、
たしかに、「ただちに不平等で違憲」とまではいえないでしょう。
また、伝統の価値・同姓の弊害・別姓の是非などはさておいて、
「夫婦同姓が社会的に定着している」という意見も、
おおむねそのとおりだと思います。
ただ、別姓反対派の方々がよく述べられているような、
「別姓のままだと、夫婦の絆がつくられない」とか、
「同じ姓でなければ、家族の一体感が弱まる」というふうな見解については、
私はひねくれ者なので、賛同できません。
その具体的理由は、次の3つです。
<理由1>
まず、夫婦同姓の制度が、現在まで、かなりの長期間続いており、
かつ、社会的にも定着しているわけですから、
仮に、「同姓であることによって、夫婦や家族の絆が保たれる」のだとしたら、
離婚・DV・不倫・争続・児童虐待などは、ほとんど発生していないはずです。
しかし、
現実を見れば、「夫婦同姓」であるにもかかわらず、
離婚などが多数発生しています。
2020年のデータ(2021年3月の新聞記事より)だと、
警察が把握したDV被害は 82643件
警察が摘発した児童虐待事件は 2133件(61人死亡)
で、どちらも過去最多だそうです。
<理由2>
さらに、戦国時代や安土桃山時代の大名や武将でも、
同姓(絆が固いはず)なのに、親子間や兄弟間で対立したケースがあります。
たとえば
斎藤道三(父)と斎藤義龍(子) 武田信虎(父)と武田信玄(子)、
織田信長(兄)と織田信行(弟) 豊臣秀吉(おじ)と豊臣秀次(おい・養子)
つまり、
必ずしも現代という時代のせいではなさそうです。
<理由3>
また、仮に、「同じ姓でなければ、絆を保てない」のだとしたら、逆にいえば、
婚姻して姓を変えた(配偶者の姓に変わった)人は、自動的・必然的に、
もとの家族(実家の親や兄弟姉妹)との絆を失ってしまうことになります。
「家族の絆が大切だ」というのなら、当然、
実家の親や兄弟姉妹との絆も、大切なはずだと思いますが・・・?
私は、もちろん個人的な意見ですが、
上記3つの矛盾点を総合的・俯瞰的に考えて、少なくとも、
「同じ姓でなければ家族の絆が弱まる」というだけの理由での別姓反対は、
現実と矛盾している以上、説得力がなく、ナンセンスだと思います。
別姓に反対なら反対で、いっそのこと、
「郵便や宅配便の配達員とか、学校のクラス担任の教師とか、
自治会長とか町内会長とか、マンションの管理者とか、
各家庭に配達をしたり、名簿を扱ったりするような人たちが、
覚えたり管理したりする負担が増えるから」
というふうに、実務的・具体的な理由を挙げていただいたほうが、
「家族の絆」のような抽象的な理由よりも、よっぽど理解できます。
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なお、いちおう念のために補足しますが、
私は、なにも、別姓反対派や離婚経験者の方々について、
生き方や人格まで問答無用で全面否定するつもりはありません。
「家族の絆」にこだわられるのは、その大切さをご存じであればこそでしょう。
しかし、私は、ただでさえ才能がほとんどないうえ、
夫婦の絆のもろさを見てしまったせいで、
すっかり精神がひねくれてしまったのです。
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