自分の中の「○○すべきだ」は、あくまでも「自分の基準」だということ。
これを受け入れるのに、ものすごく時間がかかる。というか、かかった。(まったくもって完全ではないです、できるときがある…くらいかな。)
まず、自分に関係のないことで、自分の基準から外れた物事を見たときに、感情を動かさずに「そう…。」ってなれるようにすること。
テレビ見てたり、ニュースをネットでみると、有名な人々が色んなことやってて、ずれまくってるから。
好き勝手やって、我が物顔でいるからね。
その後に、自分に関係のあることで、自分の基準から外れた物事を見たときに、どう思うか。
これが本当に大変。自分にいろいろ不都合あるから。
今でもできない方が多い。正直、その人がらみで「自分が迷惑を被る」わけだから。
でも、「他人の考え方や行動」は、変えられない、絶対に。
話をして分かってもらうとか、説得するとか、納得してもらうとかじゃ、ない。
1回言って分かってもらえないなら、もう言わないこと。
100人中99人が肯定するような倫理に関する出来事であっても、他人のやることは、他人が決めること。
『嫌われる勇気』とかの関連だろうか。
「自分のことだけ考えてればいい」って考え方は、言い方の問題であって、「自分のことしか、自分だけで決められないから、自分のことに集中する」という意味であれば、是なんだよ。これを是としたとしても、他人に気を遣うことは矛盾しないし。
私が私のことに集中するので、他人には他人のことに集中してもらうんだ、というか。
そういうことを、私は長いこと、分かってなかった。
そういう処世術を知らなかった。
言葉って難しいですよね。