あと少しで、地元ともお別れなんて、信じられません。
日々は、急速にすぎてゆき、当初考えていた色々なものとのお別れもすますことができないまま、旅立ちます。
新幹線が動いていてくれれば、もう少し、名残を惜しむこともできたのですが。。。。

子どもの頃は、地元が嫌いでした。

当時、運動会で親子3代リレーなんてある土地柄で、学級名簿の保護者名には、父親の名前が並ぶ時代で……、見るからに貧乏で、女手で育てられている子どもには、あまり優しい時代、場所ではありませんでした。
いや、わたしにも、きっと理由はあったんでしょうけれどね。

ともかくいじめられる、嫌がらせをされる、噂をされる、何かあると、白い目でみられる…そんな日々でした。

悔しい思いや、辛いことが多くて、けれども、逃げることもできず、でも、いつかは、でてってやる!!ここじゃない場所に、わたしの生きる場所があるはず!と思っていました。

それが変わったのは、大学に入ってからでした。
そこで出会った人たちは、とても、優しい人たちでした。

高校卒業後、派遣で頑張って学費をためて、受験をし、合格し、奨学金をかりましたが、それでも、お金はたりませんでした。

親に出すと約束した生活費、教科書代、実習代……。新聞配達をして、パチンコ屋で働いて、長期の休みには夜の仕事場も経験し、それでも、キツかった。あたりまえですよね、小学生のときから、内職したり、新聞配達したりして自分の給食費や就学旅行費を稼ぐような家庭状況だったわけですから。

メガネを買い直せなくて、セロハンテープで止めて、「それでもいいんだもん!恥ずかしくなんかないもん!」としかめっつらをしている年上の同級生に、みんな、優しくしてくれました。

少しでも可能性を広げるために、大学院までいけたのは、その努力ができたのは、自分の努力だけではなく、まわりの励ましもあったと思っています。

その後、非正規ではありましたが、夢見た職にも就くことができました。
夢見た職に挫折したときも、みんな、優しく包んでくれました。

世界観がかわり、価値観が変わり、地元が好きになりました。

それが、今、このタイミングで、地元を離れることになるとは……。

いつか帰ってこよう、今は、そう、心に秘めて、旅立どうと思います。