思い出めぐり
先週仕事の関係で錦糸町へ行って来ました。
仕事の用件はもちろんですが、錦糸町と言う街が実に6年ぶりでちょっとドキドキでした。
車も人も激しく行き交う。
「昔とな~んも変わんねぇなぁ・・・」
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と思ったら、ガードの向こうに建設中の新東京タワーが新しい景色として加わった。
あ、でも行き先は反対側でした。
そしたら、今半蔵門線も錦糸町まで来てるんですね(@@)
サラリーマン時代既に開通していてくれればどれだけ仕事にデートに便利だったか・・・
なんて昔を振り返る景色は何となくモノクロっぽい感じでした。
会談が終わって少し迷ったけれど、6年ぶりに妻が亡くなった病院へ行ってみました。
入院中は元気になって家族みんなで正面玄関から退院することしか考えてなかったけれど、
残念ながら我が家に用意された病院の出口は裏の地下。
霊安室と直結のこの地下道に遺体搬送車を止めて、救命センターと産科のスタッフに見送られ3月4日の午前病院を出たんだなぁ。。。
ここまでは、何となくモノクロやセピアのような記憶になってきた。
でも、ここからはハッキリカラーに変わった。
産科分娩室脇の家族室。
手術室が使用中で最初に嫁さんが運ばれた場所。
そして何もわからないままに、嫁さんの友人と私と40度の熱でグッタリの2歳半のレイ君が初めて座ったのがこの部屋でした。
この時も、まだ裏で何が起こっているかもわからずに、レイ君の容態を心配しながらもアイちゃんの誕生に胸を躍らせていたっけ・・・
でも、15分も経たないうちに隣の小さな部屋へ私だけ呼ばれてムンテラ(状況説明)を受け、
この奥の分娩室へ通された。
そこで初めて10名の産科と救命センター医師、更にそれを超える看護師がストレッチャーの上の妻を取り囲み、
必至の蘇生治療をしてくれていたのを目の当たりにして、カウンターパンチを貰ったように衝撃を受けました。
完全に血の気が引いて、声も出せなくなった私は全身の力を腹に集めて、ようやく蚊の鳴くような震えた細い声で、「ガンバレ」とだけ言うのが精一杯だったな。
目の前で、カウンターショックが準備され、スタッフが離れると同時に妻の身体が大きくうねった。
そこから娘の誕生と言う人生最高の喜びと、嫁さんの死という人生最悪の恐怖がいっぺんに自分を襲い、心身のバランスが崩れ始めたのかなぁ。。。
2月15日の朝からは、産科から救命センターへ異例の移動処置が取られ、こちらで本当に最高の医療を受けながら嫁さんは戦うことが出来ました。
ドアをあけると、目の前には家族用のベンチ。
救命センターは昼と夜各30分ずつしか1日に面会時間がない。
その貴重な時間に備えて待つ家族もいれば、突然の災いで運びこまれ、手術室から出てくる患者さんをじっと待つ家族もいた。
うちは嫁さんが、この救命センターの歴史でも3本の指に入るくらいの重篤患者だったのもあるんでしょうが、なかなか大量出血による血液凝固障害の症状が治まらず9日間で7回の容態変化(出血)による緊急手術で、最初の10日はずーっとこのベンチにいた気がします。
1回の手術は6~10時間、その殆どが夜中で、ずっと震えながら待っていた場所だけど、今ではその恐怖の時間さえ懐かしく大切な記憶なんです。
だって、その時はまだ生きられる希望がありましたから・・・・
このベンチに向かって左が救命センター、嫁さんはずーっと一番人通りが多いベッドでした。と言うのもちょっとした容態変化に気付けるように、重篤な患者さんほど人通りの多い場所に行きます。

右が手術室、2月14日の夜8時半に受付も通さず直行で裏口から搬送され、手術が終わって一命を取り留めて出てきたのが15日の朝5時。
一日様子を見て、容態変化がなかったので一時帰宅許可が出て夜10時に帰って、レイ君の容態を見ながら、すぐに店に行って出来ることだけやって、再び帰宅して16日午前1時に布団に入ろうとしたら、ホットラインであるケータイが鳴り、再び病院へ首都高を飛ばしてとんぼ返り。
そして、明け方に手術が終わり今度こそと思ったけど、17日に再び出血で緊急手術。
ちょうどこの頃が一番慌ただしい頃だったかな(^^)
19日間ここに通い詰めましたが、その中で色んな患者さんも見てきました。
搬送で一番多かったのが大動脈瘤破裂。
心臓に近い動脈瘤からの出血で、家族が駆けつけるまでの延命処置のみが取られ、そのまま息を引き取っていく患者さんに涙する家族を何人も目の当たりにしてきました。
救命センターなんていうと、いかにも九死に一生で誰もが生還しそうな気がしますが、ここの門を潜って生還できる人は僅か20%足らず・・・
本当に大変な命の現場です。
この日は偶然にも静かな日中だったので、医者が原告の法廷に立つなんてご法度と誰もが断る中、唯一証言台に立ってもくれた恩人の先生に挨拶をと思ったけれど、この静けさとは関係なく救命医はずーっと忙しいですから、アポなしご挨拶は遠慮しました。
いつまでも・・・なんて思う方もいるかも知れませんが、せめてアイちゃんの誕生日から嫁さんの命日までの19日間は、心のメモ帳を開いて出来るだけ沢山嫁さんの事思い出したいと思っています。
それが、頑張った彼女にしてやれる今の自分の精一杯の供養にもなるかなぁと思ってるので(^^)
〈使用機材: EOS KissX3 +EF-S18-55F3.5-5.6ISUSM〉








