つかさ昔話「留学記」(クーポン旅行)
実は水曜日からアイちゃんのクラスが学級閉鎖、今週いっぱい自宅待機!?です。
更に、うちの近辺台風の風凄かった。
今日は店の入ってるビルのメインエントランス前の通りが強風のため通行止めとなってしまった。
ここハンパじゃないビル風が強く吹く場所で、自転車もバックするほどの風が吹く。
以前は前に3人歩いていた人が右から順番に帽子が脱げ、次の人も帽子が脱げ、最後のオジサンはカツラが脱げちゃったんです。マジで!さすがにこれはビックリしました。
メインエントランスを塞がれて客導線を切られた上に、台風で会社を休んだ人も結構いたようで、今日のランチは過去40年の歴史で最悪のランチとなりました。今年はスゴイよ、ワースト記録をどんどん更新していく(恐)
って、ことで撮り貯め写真もいいけど、せっかく今ネガスキャンしてるのでアルバムめくる感覚で古い思い出に慕っちゃいます。
私がアメリカの大学に編入したいと日本の大学を休学し渡米したのは1990年だったんですね。。。
この頃すでにアメリカは不況で街はホームレスだらけ。
当時の大統領はパパブッシュ、サダムフセインと湾岸戦争をやっちまった年です。
為替相場は150円前後で、今から思うとスゲェドル高い。
そんなバブリーな時代に、最初に入ったD.C.の英語学校。日本人にはマイナーな学校で、当時留学ブームだったにも関わらず日本人比率がかなり低い上に、安い学校でした。
この時代はお坊ちゃまじゃなくても、一般階級でも留学が出来るようになった頃、とは言え商人の我が家なんぞは親が精一杯の努力をしてくれない限りこんな経験できやしない。
で、「頑張って勉強してTOFL600点突破だ!」 と気合い入れて、
「日本語は使わないから英和辞典なんていらねぃо(ж>▽<)y ☆」
ってHellow OK Thank you How much!?くらいしか話せないくせに何にも日本のテキストも辞書も持っていかなかったが、D.C.に到着してホストファミリーに会った途端に挨拶もわからず辞書を持っていかなかったことを後悔した旅の始まりでした。
でも、一ヶ月もすればなんだか自分がペラペラに話せるようになった錯覚を覚えて、せっかくアメリカ国内クーポン付きのフライトチケットで行ったんだからと、すぐに放浪の旅を始めてしまった。
本当に何のために来たのか、今親の立場で振り返ると本当に呆れる野郎だ。
で、最初にアメリカ一人旅で来たのがこの町で、最初の宿泊に選んだ一般に言う格安ホテル、ル・デールホテル。でも、私には後にも先にもここより高級なホテルはなかったなぁ。。。
1ブロック裏道はスラムで非常に治安が悪かったけど・・・
で、この街ってのがこのダウンタウンの一番高いビルから見下ろしたたったこれだけの街。
どこかわかる!?
ミシシッピー川に紅いクルクル水車の船!
そう!憧れのトムソーヤの世界が広がるニューオリーンズ。
カルピス子供劇場に影響されすぎですね(^^)
小生意気にジャズも好きだったし、ウォークマンに大好きなマイルズ・デイビスとルイ・アームストロングのカセット、ワンダフルワールドが入ったヤツを入れて、憧れの街を見物してきました。
ストリートではスラムのこんな子供達が、独学と本能で覚えたリズムを披露。
日本の妙に規則的に揃いすぎた鼓笛隊の音しか聴いたことのない私はこの時の衝撃を今でも鮮明に覚えています。
夜のフレンチクウォーターも、スラムの子供達の大舞台。
どんなに金かけて、有名な先生にダンスを教わっても、彼らの身体に染み込んだリズムから出るステップは絶対マネできるもんじゃないよなぁ・・・なんて思ったことを思い出します。
〈使用機材:Canon オートボーイ〉





