マナの誕生日から始まるオヤジの葛藤(2)
(1)からの続きです。
その前に、前回のハートの花びらの花をちょっと引いて撮ったのがこの花です(^^)
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午前1時私はタクシーで夜中の首都高を飛ばして30分ほどの妻がいるERへ到着。
ムンテラの後手術の同意書にサインをして、さっそく妻の緊急オペが行われました。
意識も戻らない全ての臓器が不全状態の身体で、こんな大きな手術を2度も受けるなんて・・・
しかし、この手術でも妻は生きて帰ってきました。
なのに、多臓器不全状態で血圧も昇圧剤でかろうじて80/79、脈拍160/秒と言った具合に上と下の
血圧差もなく自分で呼吸することもできない、ただ医療機器の力で自力回復するまで命をつないでも
らっているだけの身体なのに、妻の心臓は全力で動き続けているにも関わらず、次々と試練は襲ってきました。
2日続けての手術で、次の日には少し落ち着いたと思ったら、再び今度は左の肝臓から出血をし、
また、緊急手術、そして今度こそ大丈夫と思われたにも関わらず、その次の日には今度は右の肝臓が
破裂して出血。出血性ショック、DICによる多臓器不全による合併症が次々襲ってきて、
結局9日で6回の緊急手術が行われました。
これだけ短期間にこれだけの手術をしたのは、この救命救急センターの歴史上最高の回数で、
それを乗り越えて帰ってきた生命力は、子供を生んだ母親だから成せた生命力だと医師も言っていました。
これまで、日曜日に両親やゼロ君と面会に行った時に、面会時間まで待合室で待ってる最中に携帯が鳴って
再び緊急手術で、せっかくの面会が緊張の時間に一変してしまったり、ある時は、朝の面会の一声で
「つかささん奥さん排泄がありましたよ!」と先生も興奮気味に伝えてくれた矢先だった
のに、病院のランドリーで汚れたT帯を涙を流しながら洗濯をしている最中に、無常にも携帯が鳴り、
呼び出され、これまでの回復もご破算になってしまったり、精神的に私もかなり打ちのめされました。
でも、妻の心臓が動き続ける限り、医師も「何度でも戦います。」と言ってくれた言葉に、私も輸血の感染リスクがあろうが、どんな後遺症が残ろうが全てを受け入れ、とにかく2人で生きて病院を出るんだという強い気持ちが湧いてきました。
妻のお腹の傷はすでに前回帝王切開の子宮下部の横の傷から、胸のほうに肋骨の手前まで縦に切られ、
更に、へその上で肝臓に向けて右と左にも切られ大きな傷跡が残っていました。
この病院に来てから、一度も意識を回復していない妻はそんな傷があることも、子宮がなくなったことも知らない。それどころか、これだけの大きなショックから、記憶がどこまで残っているかも定かではなく、自分が出産したことすら覚えている保証がない状態でした。
幸い、6回の手術を乗り越えてからは、どうにか出血も止まり、透析も24時間連続の負担の少ないものから
透析効果の高い一般の透析に耐えられるほどまで体力が回復していきました。
再び排泄も見られるようになり、完全に0だった腎機能も日に日に回復して尿の量も増えていきました。
そして、連続での麻酔やモルヒネの投与が終了し、10種類以上の点滴が吊るされていたスタンドも数種に減り、
吐血も下血も、鼻からの微出血も全て止まり、いよいよ回復方向に向かい始めた実感を持ちました。
でも、尿は出ても腎機能がまだまだですから、水分が体外に出せない分全身は浮腫み、顔は瞼が塞がり
鼻が見えなくなるくらい、2倍以上にパンパンに腫れ上がり、指先もパンパン、舌まで浮腫んで
いるので、見た目は全く妻とわからないくらいだし、とても快方に向かってるようには見えません。
でも、脂肪に蓄積された麻酔成分が抜けないため、ハッキリした意識回復はなかったものの、
朦朧とした中、時折こちらの呼びかけにうっすら目を開けて、口をパクパクと動かせるほどになりました。
2月末には希釈した液状食を胃に送り込むことも出来るようになり、医師も今度こそはもうすぐ一般病棟に
移れると確信したようで、私にも笑顔を見せてくれるようになりました。
が、その矢先、今度はMRSAに感染。
これは抗生物質耐性を持った黄色ブドウ球菌で、こうした重篤な病状で体力の弱った患者さんに感染する病気で、妻もなんとか体力がつくまで感染しないようにと、医師があの手この手で色んな薬を投与しながら、感染を遅らせてきましたが、ここへ来て感染してしまい、隔離病室へ移されました。
子宮破裂という一つのトラブルから、出血性ショック、DIC、心肺停止、となり、多臓器不全という合併症を伴い
もはや子宮の傷という、産科だけの領域ではなく、脳から循環器、呼吸器まで全ての病気と戦わなくてはならなくなってしまった。本当に地獄です。
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3月3日、マナが入院している病院へ午前中行き、義父が買ってくれた、「小さな立ち雛」でマナの初節句を
祝いました。「ママ頑張って病気と戦ってるからね。」と話しかけ、ママの入院でずっと看護婦さんに育てて
もらって頑張っているマナを家族みんなで祝いました。
そして夕方の妻の面会で、「今日みんなで赤ちゃんの初節句のお祝いしてきたからね」って話すと
妻は、再びうっすら目を開けて何か語りかけようとしてくれました。
喉を切開して呼吸器をつけているため声を聞くことはできませんでしたが、きっと妻は赤ちゃんを産んだことも
今自分が子宮破裂を起こして入院していることも、もちろん自分が誰であるかも、全てわかっていると思いました。そして、日に日に増えるこちらの問いかけに対する反応に、明るい気分になり、久しぶりに晴れた気分で
帰宅しました。ママはずっといないし、度々目覚めるといなくなっていたパパに不安定になっていたゼロ君
を寝かしつけ、「明日の面会ではどんな表情を見せてくれるんだろう・・・」と楽しみにしながら、布団に入ると
再び携帯が鳴ってしまった。
これまでの電話でも散々胃が引き裂かれるような強い衝撃を受けてきたけど、今回は違う。
震えた。全身の血の気が引いていくのが分かった。
急いで目の前にあるものに着替え、外に出て急いでタクシーを止めた。
行き先を伝えたくても震えで上手く言葉がでません。
タクシーの中でもずっと震えが止まりません。
決して寒いわけじゃないのに。
背中から冷たい冷気を感じました・・・・
(もう一回つづきにさせてください)