64頁に22編を収める。
 

どの作品にも静かで美しい叙述がある。

たとえば巻頭の作品「揺籃期」のはじめの一行は、「踏切を待つ間に夜を洗う風が吹く」である。この「夜を洗う風」という表現や、次の連の「遮断機があがると道が生まれた」には、いささか常套的すぎるきらいはあるものの、確かなイメージの構築がある。このように組み立てられた言葉を作者は必要としたのであり、それに支えられて「渡れる川を横断」していくのだ。
 

   皮を剥くように

   拡がるとばり

   手招きする一歩手前で止めて

   転写される系譜を追う

   見ない人の分まで空をみている


明るさを失っていく様を、剥かれた(光の)皮のなかに隠れていたとばりがあらわれると、巧みに捉えている。そして提示されたこの世界から詩集が始まっていく。
 

「仰角の宿」では、話者は夏が「ゆるく解かれていくのを見て」いる。気持ちを揺さぶるような事象があって、夏なのにわたしたちは雪に覆われようとしているのだ。見上げたビルの窓に映っている三日月は、わたしたちの気持ちにも突き刺さっているのだろう。最終部分は、
 

   夏が全ての糸だったことを

   ゆるく解かれていくまで知らない

 

   縹色の朝が来る


明るく暑かった夏の日も、今は形を失って冷たいものに変わろうとしているようだ。
 

どの作品でも慎重に選ばれた言葉による世界が見事に整えられていた。
ただ、こういう言い方には語弊があるかもしれないが、あまりにも整ったものを求めたために捨てなければならなかったものも多かったのではないだろうか。そこに含まれていた何かしらの醜いものや毒のようなもの、それらも孕んで構築されれば、作品はさらに奥行きが増すように思える。