倶利伽羅周遊トレッキング

VOL.2

倶利伽羅峠周辺

🐽

こんばんは

さて続き

約50分ほどで倶利伽羅公園まで来ました

ここは倶利伽羅合戦の古戦場です

源義仲(木曾義仲)が平家軍に奇襲をかけ

殲滅した古戦場です

火牛の計で有名ですけどね

倶利伽羅公園


源平古戦場の碑があります

ここは松尾芭蕉の縁の地でもあり

倶利伽羅合戦の想いを俳句にして

その句碑がこちらにあります

芭蕉塚の解説板

「義仲の 寝覚の山か 月かなし」


こんな炉があります

今は使われておらず

放置状態です

火牛の計モニュメント

火牛の計については

後世による脚色されたものとされています

まぁ実際

松明に火をつけようもなら

牛は大暴れして真っ直ぐには走らないとし

史実ではなく

そもそもこの話は

古代中国の史記に記されている

紀元前3世紀の頃(中国の戦国時代)の話であり

とてもじゃないですが

かえって自軍が大混乱に陥る危険があり

現実的ではなく

寧ろ

闇夜に紛れて

一気に奇襲をかけた方が効率が良いです

まぁ大軍だと

逆にこのような状況だと

大混乱になり

なす術は無かった筈です

それはそれは平家軍にとっては地獄絵図だった事でしょう

総大将平維盛は命からがら都に逃げ帰ったと云います

維盛は10万の軍でしたが

全滅に近い損害を被り大敗しました

この戦法は

寧ろゲリラ戦で

桶狭間の戦いとよく似ています

まぁ所謂非対称戦ですね

その最たるものが

有名な上田合戦です

危険

💥猛牛注意💥

(⌒-⌒; )>

何か違ったかしら?

(⌒-⌒; )>


倶利伽羅合戦

(礪波山の戦い)

解説板

さていよいよです

こんな伝承もあります

笹が迫る道

倶利伽羅山山頂へ

階段を避けて

こちらから直登します

ルートではありません

謎の物体

これなんでしょうね?

山頂から見た稲葉山

宝達山

目の前は小矢部市の町並み

この日の山ご飯♡

西砺波の平野部

五社権現の碑

今の五社権現は大正元年建立したもののようです

祠は四つなんですけどね

神仏混淆の祠のようです

急な階段

足下は狭く注意しながら下ります

五社権現の参道

鳥居がありますね

さていよいよ不動寺へ

日本三不動の一つに数えられます

手向神社

参道

手向神社

不動寺の境内社であり

神仏混淆の場である事が分かります

御手洗

いっぱい花を浮かべてあります

六地蔵

さて

売店・食堂

名物よもぎ蕎麦

これがなかなか美味しいんですよね

倶利伽羅不動寺の解説板

開山は812年

始まりは養老2年(712年)

元は長楽寺だったんですけどね

再建は昭和24年で

名前はその時に

倶利伽羅不動寺となったそうです

御本尊は

倶利伽羅不動明王

本堂

内部は撮影禁止の為

内部は撮影していません


小さい五重の塔

さて参道に入ります

狛犬

階段を下り

ツバキとキク?

不動明王

下の道に下ります

侘助ですね

お滝不動?

何か謂れがありそうですね

弘法大師像

↓、

大黒天と恵比寿さん

面白い形した杉の木

先程の倶利伽羅山山頂

稲葉山の

風力発電機が見えていますね


ここにも不動明王が

南側

源平合戦の戦死者の慰霊碑

礪波山は砺波の地名の由来となった山だそうです

このボタ山は?

オウレンがありました

可愛らしい花ですね

さて

今度は

歴史国道

旧北陸道に向かいます

砂坂入口

ここから旧北陸道に入ります

次回は歴史国道旧北陸道を紹介します

昔の面影を感じながら下ります

お楽しみに(^_−)−☆




今日のお写真

今日は久しぶりに信州まで行きました

白馬村はまだ雪が残っていましたけど

小川村の鬼無里への道の峠の手前に

福寿草の群生地があります

もしかしてと思い行ってみたら

咲いていました

ピークは過ぎていますが

辛うじて見られました

福寿草


話が前後しますが

信州に行く前に

魚津市の天神山ガーデンに行きました


写真は枝垂れ桃です

小さいながらもなかなか良い風情がありますね


ここは花桃園があり

晩春には見事な光景となります


今回はそれぞれ一枚ずつ載せました


その他は後日書きますね




今日の動画

立山黒部アルペンルート
雪の大谷

今年は4月15日からアルペンルートが再開されます

今年の雪の大谷は

高さ20mに達しているとのことです

もの凄い積雪量ですよね

生で見たら迫力があると思います

今年は雪も多く

遅くまで残りそうですね




今日も一日お疲れ様でした

💕🙋‍♀️🙋‍♀️🙋‍♀️💕

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