⑭再入院
12/17(火)放射線治療最終日。そして、医師の診察後抗がん剤2クール目が開始される。朝、父は呼吸が荒い。「大丈夫か」こえをかけるが、「早く仕事に行け」と怒られた。午後3時、妙に気になって休憩時間に自宅に向かう。まだ帰ってなかった。気になった弟が、母に電話。父が再入院になったと聞く。俺、弟5時で退社。自宅に向かうと、母と妹が俺の帰りを待っていた。CT写真を見せてもらう。血液検査は問題ないが、間質性肺炎と胸水が溜まっている。癌が大きくなっていて、新たに小さなガンができているそうだ。退院直前のレントゲンにはなかったのに。退院して、わずか10日だぞ・・・妹の運転で、俺母妹は病院へ向かった。午後6時病院につくと、弟と合流。病室につくまで、弟が、家での過ごし方や、室温管理についていろいろ文句をいう。一緒に住んでないから、その場にいないから、いろいろ言ってくる。お前に何がわかるのか。前回の病室よりランク下がる(個室にトイレ、シャワーなし) 一日13000円也。割と元気だが、食事はとれなかった。ビタミンの点滴を受けていた。酸素ボンベをつけていた。酸素数値は89父曰く、室温一定だからすごく快適だそうな。副作用と思われた頭痛もなくなっていた。母が「酸素が足りてなかったからかな」の声に、みんな納得した。主治医には会えなかった。明日は治療なし。今後の治療方法を検討中とのこと。父は、正月帰れるか不安そうだった。午後7:30病院を出る。会社で少し仕事をした後、自宅で母と話す。「お父さんのこと、なにがあってもいいように、覚悟しときなさい」そういわれた。浮かれて退院させたのは失敗だったかな。12/18(水)仕事5時上がり。18:00から、俺、母、弟で主治医と面談をする。薬害による肺炎がおきている。現状では抗がん剤打てない。癌も大きくなっている。緩和ケアを検討すべき。肺炎が収まれば、2回目の抗がん剤がうてるが、現状では可能性低い。年内には、抗がん剤投与か、緩和ケアか結論が出る。正月の帰宅は無理。父の病室に戻り、取り留めのない話をして、帰る間際、泣きそうになってしまった。父に見られてしまったかな。 反省。俺はすぐ泣いてしまう。12/1912/20仕事中、何度か弟が父のことで話しかけてくる。「俺の同級生みんな片親になってる」とか「68ならぼちぼちだ」とか・・・よほどおれが落ち込んでいるように見えるのだろう。まあ、上から目線でイライラしたが、心配してくれるのは、素直にうれしい。12/22(日)12:20頃 俺独りで見舞いに行く。病室のベットの上で上体を起こした父が、呼吸ができず苦しがっていた。「ぐごっ ぐぐぐっ ごほっ」激しいうめき声をあげながら、上体を前後に震わせている。窒息するのではと思うほどだった。俺が声かけても、満足に話せず、ナースコールする。すぐに看護師が来た。父の状態は把握しているようだった。あとから知った話だが、昼ごはんを運んだ看護師が父の急変にきずいたようだ。その直後に俺が来た。本当に、死ぬのではないかと思うほどの苦しみ方だったが、俺は不思議と冷静だった。なぜだろう。看護師が3人やってくる。一人の看護師がベットに横たわる父にまたがり、(マウントポジションのようだ)父の口に細長い管をいれた。その時はなんだかわからなかったが、痰吸引だ。「ごふふっ ぐごごっ」父の顔が紫色になってた。見られぬ医師や看護師があつまって「急変急変」と声をかけあっていた。看護師からロビーで待つよう言われた。当直の医師から、家族を呼ぶよう言われたので、とりあえず母に電話する。声が震えた。ナースセンター前のロビーで、まず、俺が独りで説明を受ける。一時的な痰の詰まりかもしれないが、肺がんの何らかの影響かもしれない。とのこと。呼吸を助けるため、特殊なマスクを使うかもしれないので、サインを求められ、サインした。(人工呼吸器と違い、いつでも外せる)話している間に、父はCT検査のため、ベットごと別室へ運ばれていった。しばらくして、別の医師がやってきた。一時的な痰つまりであったといわれ、思わず泣いてしまった。母と弟がやってくる。カンファレンスルームで当直医と面談する。間質性肺炎が悪化しているので、ステロイドの投与量増やす。痰切りやすい薬だす。そして、また、人工呼吸器の話が出た。いれたら、治るか死ぬまで外せない人工呼吸器と、肋骨折るつもりで行う心臓マッサージこの二つはセットで考えてほしいと言われた。いざとなったらやりますか。といわれたが、断った。弟が、医師に「先生の身内だったら、やりますか」と質問したら、「個人的な考えですが、やりません」と答えた。署名の話は出なかった。いずれ、正式にサインしてくれと言われるだろう。面談終わると、病室に妹が来ていた。父は落ち着きをとりもどしたが、呼吸が荒く、食事もとれなかった。俺は17:30に病室を出た。妹は20:30に帰宅した。母は病室に泊まった。父は、トイレに行くだけでも呼吸が苦しくなるので、この日から紙おむつになった。