【『3ミリの恋』】


若者の恋愛がテーマの作品。監督は在日3世だそうで、激情をはらんだ作家性を期待したのだけど、いまいち心に残らない作品だった。


青い恋の気恥ずかしささえない。


日本と韓国の双方に気を使いすぎて、突出した部分がない。細々と小さなトピックは散りばめられているものの、結局、何を描きたいのかが見えてこない。監督の慎重な姿勢が、作品の輪郭まで曖昧にしてしまった印象だ。


それにしても、在日監督による作品には、「月はどっちに出ている」とか、本作の「3ミリの恋」とか、遠距離恋愛に名前というか、カタチを与えたがるところがあるね。サンプルが二つだけで恐縮だけど💦


良いところもあるので挙げていきたい。


唐津や釜山を美しく撮っている。行ってみたくなった。


個々の演技も良い。韓国人ヒロインが日本人青年に惹かれていく表情の変化は見事だ。


全般的に、出演者全員がセリフよりも表情や沈黙で感情を描いている。これは素晴らしい演出だと思う。


日本と韓国の若者の生活の違いも、豆知識として織り交ぜられている。両国の歴史についても穏やかな描き方だ。


ヒロインがおばあちゃんの思い出にこだわるのも、儒教の教えが色濃く残る韓国ならではの感覚なのだろう。


それから、韓国の女学生の制服。個々のスタイルに合わせたようなデザインで、あれは可愛いね。

『ゴジラ-0.0』


観てきました! 待望の一作です。

ただ、俺の山﨑貴監督の「ゴジラ」イメージは「きっちりと手堅い」。高品質な作品ではあるけれど、その範疇を超越するものはないと考えていた。

その点、「シン・ゴジラ」には、そっくり返るような面白さがあった。


今作は、なんとキングギドラの登場である。三つ首竜だ。

モンスター史上最高の造形の一つだと思うけれど、こいつが登場した途端、リアリティは消し飛び、エンタメに振り切られるのではないかと思った。


ところが、始まって1秒でギドラが登場。リアリティを失ったことに戸惑う暇もなく、目が離せない人間ドラマが展開する。


戦争サバイバー、原爆サバイバー、ゴジラ細胞、日本各地を蹂躙するギドラ、夫婦の愛、科学者の矜持、人間側の作戦の数々。そして、最後までギリギリの悲劇に引っ張った末に描かれる、親子の愛の復活。

そして、自由への疾走!

面白かった!


そして、ゴジラとギドラの最初の対峙。超越的な興奮!

さらに第二ラウンド、ゴジラとギドラの早撃ち対決。

良かったっス❣️

『ヤマトよ永遠に REBEL3199 第七章 虹色の輪廻』

伏線を詰めるだけ詰め込んでいたので、いやはや、最終章で風呂敷を畳めるまいと思っていたら……いや、やり遂げちまったよ、福井晴敏さん。
戦争のメカニカルな部分は、何やら訳が分からないままスピーディーに展開したけれど、群像劇としての人間ドラマは、パターンを違えて次々と繰り出してくる。
場内には、泣いて鼻をグスグスさせている人が多数!
俺も後半は、何度も目に涙が溜まった。
敵のリーダー、マザー&ファザーデザリアムの最後のセリフにも感動しちゃった。
それからデザリアム人の最後は、「ザンボット3」の人間爆弾みたいだったね。
また、「2202」ではデザインが変更されていたラストの巨大構造物も、今作ではデザリアム本星や水晶都市とともに、旧作のデザインを残してくれていた。
不満もいくつか言っておく。
サーシャから古代と真田さんに、ちゃんと挨拶させたかった。
サーシャが古代に言う、
「短かったけれど、私の青春は、とても幸せだったんですもの」
これは俺的には涙腺ポイントだったから。
また、名曲「新銀河誕生」は、オーケストラでも流して欲しかった。
それから、もちろんイメージの話だけど、古代と森雪の抱擁も見たかった。
でも、それらがなかったからこそ、旧作『ヤマトよ永遠に』を見返す理由にもなるかな。

亡くなってから七ヶ月余り。ご遺族の真摯な尽力の結果、事故後の対応について、大学側が再び会見を開くことになった。

最初の会見は、事故翌日のものだった。校長が「前途ある若者の死」を報告する場で、笑みを浮かべていたことに、私は強い違和感を覚えた。人ひとりの命が失われた直後の会見として、あまりにも不適切ではないか。

しかし、左翼系と私が見なすマスコミは、この問題を大きく取り上げなかったように思う。

だからこそ、今回の会見が夕方のニュースが始まる時間帯に設定されたことにも、一抹の不安がある。またしても、人命を軽んじるような対応をしでかすのではないか、と。

沖縄の辺野古では、基地建設に反対するヘリ基地反対協議会などの団体が、抗議活動の一環としてボートを運航していた。同志社国際高校をはじめとする学校は、こうした活動に生徒を参加させていた。

同志社国際高校は、キリスト教プロテスタント系の学校である。

何故、政治的な主張を掲げる団体の活動に、生徒を参加させるのか。

私の考えでは、その背景には戦後の教育思想がある。戦時中、旧日本軍の政策に協力したことへの反省が、戦後、過度なものとなり、学校という組織を極端な反権力・反国家的思想へと傾かせていったのではないか。

GHQの占領政策が、結果として、後年の日本における反米・反権力思想の土壌を育てた面もあるのではないか。これは私なりの推測だ。

そして現在、同志社国際高校の教育活動と、基地反対運動との距離感には、看過できないものがある。

それが金銭や色ごとの関係ではなく、学校の「校是」や教育方針の踏襲として行われているのだとしたら、なお始末が悪い。

……さて、事故当日の3月16日。

辺野古沖では波が高く、海上保安庁の所属艇も、出航した二隻に対して安全航行を呼びかけていた。

それでも、二隻のボート「平和丸」と「不屈」は出航した。乗船していたのは高校生たちを含む人々。しかも、引率教員は体調不良を理由に乗船せず、現場近くで待機していた。

普通に考えてほしい。

引率する教師が乗らない船に、なぜ生徒たちを乗せるのか。

教師自身が乗船を避けた理由は分からない。だが、生徒たちにとっては、そんな事情を判断できるはずもない。大人が安全だと言うから乗る。それが高校生というものだ。

事故当日、二隻は転覆し、女子生徒の武石知華さんと、「不屈」の船長・金井創さんが亡くなった。

事故に至る経緯には、いくつもの問題がある。

① 基地反対活動の一環として行われていたボート運航

② その活動に、政治的な背景や危険性を十分に理解できない高校生を参加させたこと

③ 波が高い海域へ出航したこと

④ 過去の乗船時にも、生徒から不安や恐怖を訴える感想が出ていたのに、それが次年度へ引き継がれなかったこと

⑤ 引率教員が乗船せず、現場での対応も遅れたこと

⑥ 転覆後の救助活動や、船同士の対応に関する検証が必要であること

これは、単なる不幸な事故として片づけてよい話ではない。

学校側の安全管理、運航団体の判断、そして事故後の対応。これらが重なって起きた、重大な人災ではないのか。

しかも、事故船「不屈」の船長については、国土交通省が、必要な海上運送法上の事業登録を受けずに運送していたとして、海上保安庁に告発している。

法令上の問題まで明らかになっているのだ。

事故後、救助された生徒たちに対して、ヘリ基地反対協議会側の関係者が「辺野古特製コーヒーだよ」と飲み物を配ったという話も伝えられている。

本当にそんな対応をしたのだとすれば、私は理解に苦しむ。

目の前で仲間が亡くなり、恐怖と混乱の中にいる生徒たちに、いったい何を考えて飲み物を配ったのか。

こいつらアカにとって、命とは何なのだろう。

その後の対応にも、私は強い憤りを覚えた。

事故後のヘリ基地反対協議会側の会見では、関係者が並ぶ中、腕を組んでふんぞり返っている者もいた。そして、ある女性関係者は「海は穏やかだった」と説明したと報じられている。

さらに、事故現場では、被害者の生徒も基地反対を願っていたはずだ、という趣旨の発言まであったという。

何を言っているのだ。

生徒たちは、基地反対運動の政治的な主張を理解し、自らの意思で活動に参加していたのか。少なくとも、亡くなった知華さんの意思を、他人が勝手に代弁してよいはずがない。

生徒たちは、何も知らないまま、あのボートに乗せられたのではないのか。

後に、ご遺族はこの事故について、繰り返し発信してきた。

その中で、とある大学教授が遺族に対し、「死者の気持ちを勝手に表明するな」という趣旨の発言をしたことも伝えられている。

遺族が、亡くなった娘の思いを語ることさえ許されないのか。

アカどもの恐ろしさは、こうした言動を組織の中で誰も正そうとしないことにあるのではないか。

人材不足なのか、思想的な同質性を優先するのか。気狂いじみた言動をする者を重宝し、組織として断罪することもない。

そうして組織の常識は次第に麻痺し、蛸壺の中だけで通用する観念が、外の世界にも通用すると思い込むようになる。

同志社国際高校も、その一例ではないか。

事故直後の会見での校長の態度、そして今年の入学式で、被害生徒への黙祷が行われなかったという指摘。日頃は「人命」や「平和」、「人権」や「反戦」を標榜する学校が、いざ自らの責任が問われると、どうしてこうも冷淡になれるのか。

これが、私には理解できない。

ご遺族が学校に呼ばれた際には、複数の弁護士が待ち受けており、通常の交通事故を想定したような補償案を提示されたという。

もちろん、法的な補償の話し合いが必要なのは分かる。しかし、遺族が求めているのは、金銭的な補償だけではないはずだ。

なぜ事故が起きたのか。誰にどのような責任があったのか。二度と同じことを起こさないために、何を改めるのか。

それを明らかにする前に、金銭的な補償で話を終わらせようとしているように見えたのなら、遺族が不信感を抱くのは当然だろう。

当時の沖縄県知事、玉城デニー氏の対応にも疑問が残る。

この事故について、知事がご遺族と十分に向き合ったのか。遺族との面会や事故への対応について、もっと説明があってよかったのではないか。

現場近くで献花した際の方向や、その日の行動予定についても批判が出ている。離島でのゴルフのついでに献花したのではないか、という疑念まで生じた。

これが事実なら、あまりにも軽い。

ただし、献花の経緯や当日の行動については、確認できる資料をもとに判断する必要がある。だからこそ、知事自身が説明すべき問題だと思う。

また、事故からしばらくの間、報道が十分に行われていなかったと感じていた私にとって、その後、オールドメディアが一斉にこの事件を取り上げ始めたことにも、違和感があった。

テレビ界には、特定の政治思想や外国政府に近い立場の人間が、要所要所に配置されているのではないか。私は、そうした疑念を持っている。

自国に都合の悪いニュースは報じず、都合のよいニュースだけを流す。「報道しない自由」という言葉が、報道機関の自己正当化に使われているように見えることもある。

もちろん、個々の報道や人事について、具体的な根拠なしに外国政府の指示だと断定するつもりはない。しかし、メディアの報道姿勢を監視し、批判することは必要だ。

高市政権は、着実に、日本国内の反日的な勢力を弱体化させていっているように私には見える。

沖縄の知事交代も、その第一歩なのかもしれない。

捜査には慎重さが求められるのだろう。だが、海上保安庁や警察の捜査がどこまで進んでいるのか、国民には見えにくい。

水面下で進んでいるのかもしれないが、遺族が刑事告訴に踏み切らなければならなかったこと自体、異常なことだと思う。

そして、ボート「不屈」の船長については、海上運送法違反で告発された一方、事故そのものの刑事責任については、今後の捜査と司法判断を待たなければならない。

だからこそ、徹底した捜査と説明を求めたい。

最後に、被害生徒に黙祷する。

あなたが何を思い、何を願っていたのか。私は、あなたの志をすべて知っているわけではない。

それでも、あなたが生きていたら、きっと大きな功績を残していったであろうことは想像に難くない。

惜しい方を失った。

天国でゆっくり休んでください。

『メイドインアビス 目覚める神秘』


非常にグレードの高いアニメシリーズの最新作。


時にグロい描写があるが、これは原作者の抑えようのない癖なのだろう。


現実の物理法則とは異なる状況を創作しながら、物語の整合性を保つのはタフな仕事だ。『ワンピース』もそうだが、本作もそこに難儀している気配がある。


一行の旅はアビス第6層から、最深部の第7層へ。今作はその序盤で、大きな進展はないものの、作り込まれた世界観には酔える。


俺は、何人か登場する、いわゆるケモナー的なキャラが苦手だ。


けど、人間キャラのリコの華奢さに、新キャラの、B地区が見えそうで見えないテパステ。出るはずのなかった美少女プルシュカまで登場して、おじさん嬉しい。作中現在のマルルクもね😅


それに、俺みたいな太ったおっさんたちが、なかなかカッコいい探窟家として登場するのも嬉しい。もちろん、あちらは筋肉の塊なんだろうけど。


おそらく数部作になる新章。まだまだ語るには早い。


一つだけ言いたいのは、頬に傷のあるリコ。時々それが、ほうれい線に見えて、可愛いおばあちゃんキャラに見えるのだ。


アビスの中と現世では時間の流れが違うという。その辺まで計算されていたら凄いけど……いや、偶然だろう😅

『NAZA』
くしくもイスラエルでは総選挙が行われ、ネタニヤフ政権の是非が問われている。
本作は、その政権下でのガザ地区における対ハマス作戦、とりわけ空爆に伴う民間人の犠牲を、関係者の証言から浮き彫りにする。軍事用語で「NAZA」と呼ばれる、民間人の犠牲があらかじめ織り込まれた戦争の実態だ。
世の中の対立を考える時、俺は双方の事情を加点減点法で評価する。だが、イスラエルとパレスチナの問題は、どうしても是非を決められない。宗教、歴史、民族の怨念が絡み合い、互いを駆逐し合うようにも見える。
【極論すれば、ここ数世紀の国際問題は、全て、イギリスが原因を作ったものとも言える。】
しかし、ナチスによるホロコーストという民族的苦難を経験したイスラエルが、なぜ他民族にこれほど容赦ない攻撃を加えられるのか。二度と民族の存続を脅かされまいとする恐怖が、敵への容赦なき攻撃につながるのだろうか。
証言者たちは「それが作戦だった」「犠牲者が出ても、良い方向に向かっていると信じるしかない」と語る。
俺が何を言ってもしょうがない。
それでも、テロリストだけをピンポイントで始末する。
それこそが、世界から支持される戦争の最低条件だと思う。
映画『うるわしの宵の月』

予告編で見て、気になっていた作品。
内田有紀、上戸彩の系譜と申しましょうか、ヒロインが見たことのないような美形だったのだ。
凛々しさから「王子」と呼ばれる宵が、同じく「王子」と呼ばれるイケメン・琥珀と出会う。
恋愛初心者の宵と、交際経験は豊富だが、真の恋を知らなかった琥珀。そんな二人の物語である。
最後には「劇的な事件は起きないけど、これが二人の運命の出会いだ」といったことが語られるのだけど、マジで二時間、恋愛の機微だけが描かれる。
序盤の保健室での添い寝は早過ぎると思ったけど、そこから段階を踏んで関係は進展し、二人は齟齬を解消していく。
恋愛を通じて、一つの恋愛論を学んでいくような面白さもある。おそらく脚本家は、それを狙っているのだろう。
また、宵が迫ってくる琥珀に、習っていた空手の構えを繰り返したり、後々に答えが出るカピバラの小さな伏線なども、うまい。
別の大路(オオジ)に告白され、宵が「それが本当だったとして、気持ちに応えることはできません!」と合理的に返すところも良い。
何よりも、恋愛初心者の宵が見せるリアクション、表情の数々が面白い。
ステレオタイプではあるのだけど、とにかく美形なのだ。
二時間ずっと、このリアクションこそが全てと言っても過言ではない。新人のヒロインだけに、演出する側も大変だったろう。
ボーイッシュで、他の女性出演者と並ぶと大きいのに、男性陣と並ぶと一際華奢で可憐。
この対比も、実に良かった。
なんだかんだでゾンビ物は好きなので、観てしまう。

ただ、正直、『ウォーキング・デッド』で、あらかたのパターンはやり尽くされた感がある。その後の『28年後』なども、部分部分を突出させることで特異性を出すに留まっていた。

さて、『バイオハザード』自体も、旧シリーズ、新シリーズ、CGアニメ版など、いろいろある。

今回は新々シリーズの開幕と洒落込みたいらしいけど、名前は区別してほしいものだ。こんがらがるから。

予告編を観た限りでは、ちょっとホラー寄りの雰囲気が面白そうだった。

さて、結論から言うけど、なかなか面白かった。

クールな主人公ばかりのバイオの世界で、今回は完全に三枚目が主役。

ところが、思った以上にサバイバーとして開眼していく。しかし、コメディ展開は止まらず、クライマックスではブラックコメディがさらに炸裂する。

しかも、ゾンビは出ない。

最初から、生物に寄生するモンスターが敵なのだ。生物学的に人間を超越した動きで襲いかかってくる。

何より素晴らしいのは、土地全体の位置関係が、きちんと提示されていること。

事故現場、牧場の柵、牧舎と家、トンネル。街へ至る道、町、高層建築の病院、縦移動で24階、空中回廊を渡ってツインビルへ、さらに28階のラボへ。

宮崎駿もスピルバーグも『ダイ・ハード』も、場の使い方がうまい作り手は大成している。

そして結末。

今作の終局は、2009年の『第9地区』や、翌2010年の『スカイライン-征服-』の影響が大きいと思う……☺️
『ディガー』

日本では公開してまだ2日目なのに、海外では大赤字・大コケという情報が出回っている。

それが理由ではないけど、観るのにちょいと躊躇していた。

俺、この手の欧米的なコメディが、充分に理解できないタイプなのだ。

いわゆる「作り手のこだわりコメディ」と言いますか……。だから、タランティーノの初期作品や、『ゴーストバスターズ』、『メン・イン・ブラック』の1と2なんかも、よくわからなかった。

ところが、この『ディガー』は、トム・クルーズが間口になったのか、ギャグもコメディもブラックコメディも面白い。アートな画面作りも良かった。

トム・クルーズの怪演は、『トロピック・サンダー』での衝撃で慣れていたしね。

さらに、巨大氷河が大都市に漂流するという地球の危機に抗う物語として、筋も骨太に通っている。

メタ的な作中劇の構造も、なかなか良かった。

手触りとしては、トム・クルーズ版『博士の異常な愛情』と言えましょう。

中盤の、大演説なんかたまらなかったぜい!

うん、この作品、俺は評価します!

『ファーストボイス』


最近、邦画の秀作を立て続けに観てきた。


傑作とは言えないけど、この作品が一番感動した。


その感動は高尚なものではなく、『ロッキー』などを観た時の興奮に近い。


実際の出来事をフィクションに落とし込んだ、日本での初期「セクシャルハラスメント」裁判の物語だ。


いやはや、昭和生まれで、バブル期に青春を経験した俺は、男性優位の社会を知っている。


そして令和の今も生きる俺は、この裁判が近代史における大きなパラダイムシフトだったことを、改めて実感した。


時代の変化は、同時代を生きていると、ゆっくり進むぶん、自然なものに思えて実感しにくい。


だが、この作品に、その「楔」を見せられた。


まだまだ課題はあろうけど、現在は時代の要請を受け、生物学的な違いは別にして、女性が男性にかなり対等に近づいている。


わずかな冤罪もあろうけど、全体を見れば、俺自身は良い転換だったと思う。


弁護士役の綾瀬はるかも、助手役の松本穂香も、原告となる被害者役のファーストサマーウイカも、髪型やメイク、ファッションに、昔のAVを見るかのような古さを感じさせられた(セクハラ発言😅)。それもまた、当時を思い起こさせる。


なお、味方サイドの会議では、分煙という概念もなく、女だてら、プカプカとタバコを吹かす登場人物がいた。


この喫煙問題にパラダイムシフトが起こるには、もうちょい時間が必要なのだろう。