さて―― #高市総理 の誕生が、いよいよ現実味を帯びてきた。
次に自分が懸念しているのは、やはり「 #不法移民 」問題である。
そんなことを考えていた折、本棚から一枚のCDがポロリと落ちた。
タイトルは『 #攘夷という思想 』。#皇學館大学 ・ #松浦光修 先生(当時助教授)の平成17年の講演録だ。
松浦先生は、 #吉田松陰 を深く敬愛し、弟子を思う松陰の姿勢を己の教育に重ねる人物だ。 あの頃から、やる気のある若者に保守の種を撒くように、自らの思想を惜しみなく授けておられた。
その講演が、いま聴き返すと――まるで“預言書”のように響く。
幕末、日本は異国船の外圧にさらされ、「攘夷」か「 #開国 」かを迫られた。
そして「 #攘夷 」には、必ず「 #尊王 」の思想が並走する。
#司馬遼太郎 は著作で「偏狭苛烈な攘夷というナショナリズム」と評したが、 松浦先生は明確に異を唱える。
攘夷とは、そんな単純な排外主義ではない――と。
多くの史料と #志士 たちの思想を引き、攘夷の真意を紐解いていく。
司馬は『 #世に棲む日日 』で #高杉晋作 にこう言わせた。
「…松蔭が醇乎たる思想に仕上げた攘夷思想が、そろそろ時勢のなかで清算されるべき時代にきていると見ている」と。
しかし実際の歴史は逆だ。
晋作の #長州藩 は、イギリス・アメリカ・オランダ・フランスの四カ国と交戦した。
注目すべきは、欧米の兵器を取り入れながら欧米と戦った点である。
――ここに攘夷の本質がある。
攘夷とは、外国を盲目的に排斥することではなく、 “自国を守るための開国”でもあるのだ。
江戸の平穏期から、日本人は常に異国との接触を想定し、 「どう応じるべきか」をシミュレーションしてきた。
相手を知り、相応のリアクションを練る――それが日本人の知恵だった。
司馬が言う「清算」とは、マイナスの終息を指していたが、 高杉晋作が実際に行ったのは「実施」、すなわち思想の具現だった。
松浦講演では、そんな事例が40にもわたって語られている。
さて現代――「 #移民反対運動 」とは、決して排外主義ではない。
まずは「不法移民」、すなわち法を破る者の排除である。 そして次に、「日本の文化と伝統を守る」という観点から、 自国のアイデンティティを毀損する他文化への警戒が続く。
これは闇雲な“差別”ではなく、秩序ある“区別”だ。
アメリカの #トランプ大統領 も、イタリアの #メローニ首相 も、 この原理を理解したうえで行動している。
それを非難する側こそ、「差別」と「区別」の違いを理解せず、 理解しないほうが都合が良いから、レッテルを貼る。
――まるで、攘夷を「野蛮な怒り」と断じた司馬遼太郎のように。









