ポートモレスビー上空での航空ショー
どうせ長生きはできないだろうと覚悟し、死ぬ前に何かしてやろうと思った。そこで曲芸飛行をしてみようと西沢と
大田と相談し、アメリカ軍基地の上空で宙返りをすることになった。そして高度2.000mでの宙返りをやった。そ
うしたら、西沢が今度は高度をもっと低くしようと合図を送ってきた。そこで我々は1.000m以下、700~800m
まで高度を下げ、皆で3回くらい曲芸飛行をやって喜んで帰った。
これは、我々3人だけの秘密だった。次の日は曇りだったが、P-40が雲間から吹き流しのついたボールを落とし
ていったそれを開けると、英語の手紙が見つかった。そして、笹井中尉がやって来てそれを読んだ。
”昨日、我々の基地上空で見せてくれた曲技飛行はとても素晴らしかった。
みんな拍手喝采した。今度は空中戦でけりをつけよう。緑色のマフラーをつけて来い。
我々も緑色のマフラーをつけて待っている”
そんなことがあって、司令官と副司令官に曲芸飛行をやったことがばれて怒られた。残念ながらその空中戦は実現で
きなかったが、戦後、私は我々の曲芸飛行を見ていたという人と会い、
「あのとき、あなたたちが曲芸飛行をしている間、我々は高射砲を撃つのをやめて、あなたたちの飛行を見て拍手喝采していたんだ」
と聞かされた
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大田と相談し、アメリカ軍基地の上空で宙返りをすることになった。そして高度2.000mでの宙返りをやった。そ
うしたら、西沢が今度は高度をもっと低くしようと合図を送ってきた。そこで我々は1.000m以下、700~800m
まで高度を下げ、皆で3回くらい曲芸飛行をやって喜んで帰った。
これは、我々3人だけの秘密だった。次の日は曇りだったが、P-40が雲間から吹き流しのついたボールを落とし
ていったそれを開けると、英語の手紙が見つかった。そして、笹井中尉がやって来てそれを読んだ。
”昨日、我々の基地上空で見せてくれた曲技飛行はとても素晴らしかった。
みんな拍手喝采した。今度は空中戦でけりをつけよう。緑色のマフラーをつけて来い。
我々も緑色のマフラーをつけて待っている”
そんなことがあって、司令官と副司令官に曲芸飛行をやったことがばれて怒られた。残念ながらその空中戦は実現で
きなかったが、戦後、私は我々の曲芸飛行を見ていたという人と会い、
「あのとき、あなたたちが曲芸飛行をしている間、我々は高射砲を撃つのをやめて、あなたたちの飛行を見て拍手喝采していたんだ」
と聞かされた
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零戦とドーントレスと間違えて
・・・・・ここがSBD ドーントレス艦上爆撃機の編隊が急降下を始める場所だった。
全くその通りで、8~10機の一群がやってきて、標的に対し風下に向かい50ヤード(46m)ほどの間隔を開けて爆撃進入隊形に散開した。
私はゆっくり接近し、自分の上空や周りを見回して敵の戦闘機が上空からその編隊にむかって急に攻撃してこないか確かめた。
うす暗くて、機体の形状を見分けるのは困難だった。
私はゆっくりとさらに接近し、それが我が軍のヘルキャット戦闘機ではなくSBDであることを確認しようとした。
そのこげ茶色の翼の上に大きな赤い丸印が描かれているのが見えたのは、一番近い機体まで100ヤード(91m)以内に接近してからだった。
それは日本を表す日の丸だった。
私は味方のSBDを護衛する代わりに、日本軍の零戦の編隊を護衛しながら飛んでいたのだ。
「Fighting Squadron」
by ロバート ウィンストン
全くその通りで、8~10機の一群がやってきて、標的に対し風下に向かい50ヤード(46m)ほどの間隔を開けて爆撃進入隊形に散開した。
私はゆっくり接近し、自分の上空や周りを見回して敵の戦闘機が上空からその編隊にむかって急に攻撃してこないか確かめた。
うす暗くて、機体の形状を見分けるのは困難だった。
私はゆっくりとさらに接近し、それが我が軍のヘルキャット戦闘機ではなくSBDであることを確認しようとした。
そのこげ茶色の翼の上に大きな赤い丸印が描かれているのが見えたのは、一番近い機体まで100ヤード(91m)以内に接近してからだった。
それは日本を表す日の丸だった。
私は味方のSBDを護衛する代わりに、日本軍の零戦の編隊を護衛しながら飛んでいたのだ。
「Fighting Squadron」
by ロバート ウィンストン


