悲しいお話になりますが、流産した時の事を残しておこうと思います。

 

5w3dで陽性反応があり、6w0dで初めての診察へ、

胎嚢は確認出来たけど、心拍は確認できず。

 

8w3dに再度診察へ病院

やっぱり心拍が確認出来ず、先生に90%流産の可能性と言われる。

 

念の為、もう1週間後に診察へ行くも、心拍確認出来ず稽留流産確定となりました悲しい

 

当時37歳。身体は基本健康で、体力にも自信があったけど、

やっぱり歳には敵わないのか…と思い知らされた出来事だった泣くうさぎ

旦那さんと二人病院で泣きました。通訳で来てくれていた方まで涙を流してくれて…

 

悲しみに浸っている時間はそこそこに、現実的な話へ。

先生から、子宮から出さないといけないけど、どうする?と。

  1. 自然排出を待つ
  2. 薬により排出
  3. 手術による排出

先生曰く、メキシコでは薬を服用して、排出する事が一般的だと、

妊娠を終わらせる中絶薬と、鎮痛剤を処方されました。

 

結局、薬で無理やり排出するのも虚しくて、貰って来た薬を飲めず、

検索魔になり不安やら色々な感情から涙が出る日々が続く。

 

何故か焦っていた私に、旦那さんから薬じゃなくて、

自然に出てくるのを待っても良いんだよ。と言われた時は、なんかホッとした泣くうさぎ

 

まだ悪阻らしき体の怠さと、眠気、若干の気持ち悪さもあったけど、

赤ちゃんのタイミングで、自然に出てくるのを待とうとなった。

 

9w3dから茶おりが出始め、11w1dの朝から生理痛の様な痛みがあり、

鎮痛剤を飲みテレビを見て過ごしたが、夕方鎮痛剤が切れた

タイミングで腹痛があったのでトイレに行ったら自然に出て来てくれました。

 

その後の経過は、少量の出血が止まらず、完全排出できていなかった笑ううさぎ

残っている物を出そうと、処方されていた薬を飲んでみる。

少しだけ塊が出たけど、それよりも頭痛と熱と副作用の方が辛かった汗

 

結局、全て出切らず1cm程の物が子宮に残ったまま。

自然に出てくるのを待ったが、先生の指示でもう出さなければいけないと、

自然排出してから約1ヶ月後に手術となった。

 

そこから約3ヶ月…なかなか生理が来ず、

日本へ一時帰国する事があったので、日本の婦人科へ行く病院

 

すると、手術した際に子宮頚管が癒着していて、

子宮内に血が溜まっているけれど、出て来れなくなっていた。

すぐに先生が拡張処置をしてくれ、溜まっていた血を出す。

麻酔無しのこれがまぁまぁ痛かったけど、1ヶ月後に無事に生理が来ました。

 

そんなこんなで色々と一段落した訳ですが、

日本の一時帰国で美味しい物を沢山食べて、

先祖のお墓にある水子供養もできたし、

家族や友人と時間を過ごせて、身体も気持ちも復活グッ

 

今回、自分が経験してみて、友人達も同じ経験をしている人が沢山いた事に気づいた。

みんな色々な悲しみを乗り越えて、今に至るんだなぁとしみじみ。

 

流産後はまた妊娠しやすくなるとか、色々とアドバイスを貰って、

前向きな気持ちでメキシコへ戻って来れたのでありますハート

 

が、そこから約1年半、なかなか授からなかったのです…

 

※メキシコでの手術当日↓

 

広々とした個室。

(十字架が飾られているのがなんともメキシコらしい)

 

日帰り入院でしたが、

術後に食事が2回も出ました。

朝から何も食べていなかったので、

勢いで食べてしまいました。

 

こちらは、担当医、麻酔科医が

手術前に最終確認と挨拶に来てくれたり、

先生との距離が近いです。