記事「反復学習の本質~「インターリーブ」その3」に続き、『脳が認める勉強法』(原題『How We Learn』Benedict Carey[著]・花塚恵[訳]:ダイヤモンド社)
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脳が認める勉強法――「学習の科学」が明かす驚きの真実!
1,944円
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の内容を、司法試験系をはじめとする試験対策に適用・応用していく記事です。
「インターリーブ」法についてはこれが最終回!
(以下、ページ番号と引用は上記書籍から。)
今回は、「インターリーブ」法の難点を紹介しよう。
「その3」で紹介した実験の後日談的に書かれた部分を引用する。
「コーネルとビョークは、ブロック学習とランダム学習の両方を経験した被験者の意見を訪ねた。テスト終了後に質問表を配り、同じ作者の絵を続けて見るブロック学習と、ほかの作者の絵が混じったランダム学習のどちらがよかったかと尋ねた。すると、80パーセント近くの学生が『ブロック学習のほうがよかった』と答えた。ほかの作者の絵が混ざることが覚える助けになるとは感じていなかった。テストを終え、ほかの絵が混ざることが大きな強みを生むと明らかになった後でも感じていないのだ。」(P248)
「『それがこのテクニックのもっとも驚くべき部分かもしれない』と、ケント州立大学の心理学者ジョン・ダンロスキーは言う…『人は、ほかの種類を混ぜたほうが区別がつきやすくなると目の前で示されても、それが事実だと信じようとしない』」(P248)
これは、
客観的効果が(比較的)大きいが、主観的効果が(比較的)小さい勉強法
よりも、
客観的効果が(比較的)小さいが、主観的効果が(比較的)大きい勉強法
の方を優先する人が多いことを示している。
例えば、動画「司法試験は本当に“難しい”のか?」等で何度も話しているように、少なくとも司法試験系では、
①(超)短期の“勉強”だけで合格した人と、永年“勉強”しても合格できない受験生が、それぞれかなり存在すること
②司法試験の受験回数を重ねる度に(つまり“勉強”すればするほど)合格率が下がること
③受験生や教育機関の多くは、知識のINPUTという“勉強”法を少なくともメインとしていること
等の客観的事実がある。
これらの客観的事実から、司法試験系合格には、知識のINPUTという“勉強”法は、少なくとも一般的普遍的にはオススメできるものではないことが認められる(それがたまたまハマってうまくいく人はいるかもしれないが)。
特に①なんて、旧司時代から(いや旧司時代の方が)顕著だった…私が受験生時代に、知識のINPUTばかりの予備校の講座・講義等に見切りをつけた理由の1つだったりする(あ、大学法学部の講義を受けることや、基本書・判例集の“読み込み”などという勉強法は、私の眼中には最初からなかったけど…既に学部試験対策でやってみてその無駄・有害性を検証済みだったので)。
なのに、どの教育機関も、上記①②③の客観的事実に基づく対応をしないまま、何(十)年も無為に、安易な知識のINPUTばかり勧めるのはどういうことだ!?てめえら事実認定力ゼロどころかマイナスか!!??
このような、教育機関に対する受験生時代以来の怒りが、『4A』系の講座・講義を提供するモチベーションの1つになっている。
という意味では感謝…しねえよ!(−_−#)
…ちょっと暴走しました。
話を戻しますが、教育機関ではなく受験生としては、主観的効果を重視してしまうのはやむを得ない面があると思います。
いかに客観的効果が(比較的)大きいと言われても、体感する主観的効果が(比較的)小さい勉強法だけを継続できるかというと…なかなか難しいでしょう。どうしても、客観的効果が(比較的)小さくても、体感する主観的効果が(比較的)大きい勉強法に目移りしたり不安になってしまうのはよく分かる。
そういうときには、主観的な問題である以上、客観≒他人の言葉等で一時的に“納得”しても、おそらく根本的・恒久的な解決にはなりません。きっと、また目移り・不安が再発するはず。
結局は、自分自身で検証・試行錯誤していくしかない。
“安心は金では買えない”って感じ…これはAIでも代替不可能かな?
最後に、「インターリーブ」法についてのまとめ的な内容(のうち、役立ちそうな部分)を引用して、終わりとします。
「インターリーブについて、明らかになったことをまとめよう。複数の項目、スキル、理念を混ぜた練習(勉強)をある程度の期間行うと、個々の項目、スキル、理念の違いがわかるようになるだけでなく、個々の特徴をより鮮明につかめるようになる。」(P248)
「知っている解き方とあわせて新しい解き方を学べば、それと同時に抽象的な概念がわかるようになってくる。」(P252)
「インターリーブは…ほぼすべての科目やスキルに効果がありそうだと言える。」(P256)
「インターリーブの本質は、予期せぬことに脳を備えさせることにあるように思える。」(P258)