記事「司法試験系の論文対策とは?」の最後から2文目で、「NOAさんの考察にはもう少し、より普遍的な内容が残っているので、これは後日、別記事にしようと思う。」と書いた、その別記事がこれです。
1.
まず、動画「司法試験は本当に“難しい”のか?」や2016・2017年合格目標のTAC司法試験講座のパンフレット等で、司法試験系が“難しい”本質的な理由として、受験生・教育機関にとって、合格・不合格の“原因・対策がはっきりとは分からないこと”を挙げた。
これは今でも正しいと考えているが、さらに根本的な理由が、記事「司法試験系の論文対策とは?」で書いた内容から導けるのだ。
つまり、なぜ、受験生・教育機関にとって、合格・不合格の“原因・対策がはっきりとは分からない”のか?
ここで、下の画像の左の方の絵を見てほしい。
NOAさんが、記事「司法試験系の論文対策とは?」の内容を、富士登山に例えて端的に図示してくれたものである(黒赤色がNOAさんの字、緑色がNOAさんの面前で加筆した中村の字)。
つまり、司法試験系という富士山を登るにあたり、あなたと合格者Aさんと中村とでは、スタート時点で既に、位置・装備・体力(≒個性・環境)etc.が異なる。
とすると、途中から他人のルートに合流し、それをなぞって合格することはありうるとしても、最初から最後まで全く同じルートで合格に至ることはありえない…少なくとも司法試験系では、他人と同じ受かり方ができないのだ。
だから、受験生・教育機関にとって、合格・不合格の“原因・対策がはっきりとは分からない”のである…ちゃんと自分自身・受験生個々人の個性・環境と向き合って対話を重ねない限り。
これが、司法試験系の“難しさ”の根底にある。
これは、論文対策だけでなく、短答対策にも妥当する。
2.
さっきの絵は、もうひとつ、興味深い現象を理論的に説明している。
結構多くの合格者が、司法試験系に合格した途端に、「合格は難しくない」「基礎だけで合格できる」等と語り出す現象である。
もう一度、その絵を見ながら読んでほしい。
司法試験系に合格した途端に「合格は難しくない」「基礎だけで合格できる」等と語り出すAさんは、少なくとも無意識的には、司法試験系という富士山の頂上≒頂“点”(尖っている山のてっぺん)を目指していたのだろう(私も“完全解”を作る際にはそこを目指しているので、NOAさんが“中村”から頂点に向けての矢印を描いてくれたのかな~)。
しかし、現実の富士山頂は、頂“点”に辿り着く前に到達できる、意外と広い“面”である(「富士みずほ通信」様のページへのリンク)。
もっと上にある頂点を目指していたAさんが、それより低い富士山頂にいつの間にか到達していて、「え?この程度で合格できるの?」と感じるのだ。
それが、「合格は難しくない」「基礎だけで合格できる」等の言葉として発せられるのではないか。
とすると、逆に、このような富士山頂の状況を把握していれば、“狙いどおり、受かるべくして受かる”可能性も高まるといえる。
3.
以上をまとめると、やはり、
2.敵を知り、
1.己を知れば、
百戦危うからず!という孫子の名言につながりますね。
2017年合格目標の『過去問分析講義』の全体を貫くコンセプトとして使った言葉だったりします。