「先生は受験生時代、勉強をする気になれなかったときはありましたか?
なんというか前向きに勉強にとりくめる秘訣みたいなものがあれば教えて下さい。」

というご相談をいただきました。


特に、試験直後には多い悩みだろうと思ったので、記事にしようと思います。


まず、私は、「受験生時代、勉強をする気になれなかったとき」がしょっちゅうありました。

合格した2005年も、1~2月や7~8月あたりは、ブログ記事にすらやる気のなさが現れています…本気になった2005年でそのくらいですから、2004年以前は推して知るべし(^▽^;)
まあ、旧司時代には、論文本試験~発表の期間の大部分は休む・遊ぶものだという空気だったのですが。


で、「前向きに勉強にとりくめる秘訣」ですか…そんなに明確には示せないので、ヒントになりそうな私の経験等をダラダラ書いていきます。

私が受験生時代に、勉強に取り組む最大の原動力になったのは、2004年の旧司論文本試験で“割と高評価だろうと思っていたのに最低のG評価だったこと”。
そのころから既に、受験仲間等に偉そうに勉強方法等を語ったりしていたので、恥ずかしくて悔しくて…そんな自分を許せない!痛めつけてやろう!!というような自傷的な気持ちが湧いてきた。

それで、その成績通知が来てからは、得体の知れないパワーがみなぎって、1日10~20時間(休憩除く…というか、ほとんど休憩してなかった記憶)勉強を2か月ほどは続けることができた。

でも、正月で休んで切れちゃったんだろうね…1~2月はほとんど勉強できなかった。

この私の経験から、

・ボロボロで不合格になったことも含め、全ての事象は中立的なので、いくらでも前向きに捉えることができる。

・パッと見マイナス的で後ろ向きの自傷的な気持ちが、プラス方向・前向きに作用することもある。つまり、どっちが前でどっちが後ろかは相対的。

・あまり前向きすぎても、息切れするから良くない。この点でもバランスが大事。

…といった教訓を導き出すことができる。

そもそも、主観的に、前向きじゃなくても、やる気がなくても、客観的な勉強という行動を起こすことは可能だし、そのような客観的な行動を起こすことで主観も徐々に変えることができる…といったこと(“行動療法”的な考え方)も、NOAさんから教えてもらったなあ。

これにヒントを得たのだったかどうか…私は実家では布団で寝ていたんだけど、その布団周辺に勉強道具(もちろん過去問、六法等)を並べておいた。

で、寝て起きたら、寝たままでも手を伸ばして見られるようにして。

勉強のハードルを下げるという方法論ですな。

で、寝たまま勉強道具に手を伸ばす気力すらないときは…とことん現実逃避ですよ。

可能な範囲で、そのときに自分の一番やりたいことをやる。

私はマンガ好きなので、自宅、マンガ喫茶、ブックオフ等で長時間マンガを読み続けるというのが多かったかなあ。他には、自転車で散歩とか。

そんなふうに現実逃避しまくって、これ以上は逃げられない!という感じのところまで来たら、もう前に進むしかないじゃん?

現実から距離を置くことで、自分を客観視し、根本的な問題を探るという機能もあったと思う。

そのときに思っているのは、ただただ「勉強やる気ね~マンガ読みて~」だけなんだけど、今から振り返ると、無意識的にそういうことを欲していた…というきれいな言い訳ができなくもない(^▽^;)



でも、一番大事なのは、できる限り孤独に陥らないようにすることかな~必ずしも勉強仲間じゃなくても、誰かとコミュニケーションをとる機会(リアルじゃなくてもいいと思う)は、自分個人の閉塞感を緩和・打破するきっかけになるから。


あと、こうやって書いてきて思ったんだけど、私が一応「前向き」に勉強できていたのって、G評価の成績通知が来てから得体の知れないパワーが湧いてきた2か月間だけだと思う。まあ過去問は芸術作品として好きだったけど、「勉強」自体は昔から嫌いだからね。

なので、そもそも「前向き」に勉強できるのが例外的で、「後ろ向き」の方が平常運転だと思った方がいいかもしれない。