やるかどうか、迷ってる。
いや、まだ迷える立場でもないんだけど。
そもそも採用されるかどうか分からんし。
それに、口述に落ちてたらどうなるんだろ?そのままやるのかな?
発表前から準備に着手するみたいなんだよね。

合格者講義をやりたいというのは、つらい戦場に彩りを加えて生き抜くための、実現しなくてもいい「夢」だったのかもしれない。
口述の勉強をしてみて、全然勉強不足だと思ったし。人に何かを教える余裕があるなら、まず自分に勉強を教えてやらないと、法曹として仕事できないんじゃないか、という思いもある。

あと、論文発表直後の2ちゃんなどを見て、司法試験に対する様々に真摯な思いに圧倒された。(こういう言い方も、なんか偉そうだよね…お許しを)
こういう思いに応えられるのか?と。
何らかの方法論を語ると、その他の方法論を切り捨てるという面を避けることができない。
ある意味、その人が拠って立ってきていた方法論を突き崩し、それまでの司法試験人生を否定することにもなりかねない。
正直、受験生としてこのブログに書いたり友人に語ったりするのであれば、ある程度は責任をとることができると思っている。
しかし、合格者講義としてやるとなると、不特定多数の人に対し、一定の権威の下で、自分個人のメッセージを伝えることになる。
特に、合格者数5~600人を予定する来年の司法試験に向けての講義は、受講してくれた面識のない人の人生を決めるということを、常に意識してやらねばならないと思っている。

そういう前提に立つと、当たり前だけど準備に相当の時間と労力を割かねばならない。
板書の必要がなく、かつ普段の勉強にそのまま使えるように、レジュメなどを整備しておきたい。
また、講義で何をしゃべるかを、リハーサルして録音し、それを聞き直して反省分析しつつ徐々に改善してゆき、ベストなものを提供したい。

でも、ここまでやってる講師って、あまりいないような印象を受ける。
段々鈍感になっていくんだろうね。
俺もそうなるだろうから、それを責めることはできない。
それよりも、現実的にはここまでできる時間がなかったりするんだろうか、という不安がある。
自分で満足できない講義を、提供するつもりはない。バンド時代と同じ。
そうすると、自分の勉強とかをする時間がなくなってしまうのではないか。
ここが心配。

それに、合格者講義をあえてしなくても、このブログで書き散らしたり、友人に個人的に語らせてもらったりもできる。
ある程度責任が取れる範囲で、自己実現はできるわけだ。
とすると、俺にとって合格者講義をやるメリットは、講義・講演のスキルを身につけることと、金をもらえることくらいか。
ただ、この時期にしかできないことでもあるから、経験しないのはもったいないという思いもなくはない。

以上のようにグチャグチャ具体的に考えるようになったのは、昨日、ある予備校で、いきなり模擬講義をやらされたから。
自分でもびっくりするくらい、デカイ声で流暢にしゃべれはした。
おまえ誰だよ、二重人格?と自分に突っ込み入れつつ。笑
教える仕事は、1対1のカテキョしかやったことないんだけど、バンドでのライブ経験が生きてるのかな。
あと、勉強会とかで色々語らせてもらったことは、間違いなく生きてる。
でも、聞いてくれた人=試験官が2人(こ、口述のトラウマが…)だったのもあるかもしれないけど、言ってることが伝わってるのかどうかよく分からん。
独り善がりに暴走してしまった気もする。
録音しときたかったけど、機材を持ってきてなかったし。
でも、とてもおもしろかった。まだまだ身につけるべきスキルはあるのだなあ、と思った。

そんな感じなので、不採用になるか辞退するかしたら、このブログとかで開講させてもらいます。