段々、勉強モードに切り替わってきてる。
口述過去問も、もうすぐ2周目が終わりそう。
最近、基礎知識の記憶確認の勉強会の予習がメインになっている。
その中で、どうすれば楽しく・楽に記憶できるか、模索している。
記憶の作業自体はまだあまり楽しくないが、この方法論の模索が楽しいからか、少なくとも苦痛ではなくなってきた。
以前では考えられない大進歩。
前に紹介した、記憶のメカニズム本を読んだおかげだ。
で、最近思い始めたんだけど。
ひょっとしたら、暗記事項をカード化して覚えるという方法は、あまり効率が良くないかも。
暗記カードによる記憶よりも、サブノート的な教材にチェックペンを引き、チェックシートで隠して記憶した方が、残りがいいような実感がある。
当初は、暗記カードの方が、文脈に頼らず完全な暗記を強いられるので、記憶の正確性が高まるだろうと思っていた。
(以下、記憶のメカニズム本に出てきた概念を説明なく使う。)
でも、これって意味記憶としての性格が強い。
これに対し、サブノート的な教材は、暗記カードよりは文章的な流れがある。
また、どこに何が書いてあったか、という場所的な記憶も絡められる。(これがかなり重要な気がする)
つまり、エピソード記憶という性格が強い。
そして、中学時代以降は、意味記憶よりもエピソード記憶の方が優勢になるらしい。
ただ、暗記カードを自分で作ることで、エピソード記憶が形成される面はあると思う。
だから、暗記カードを作った直後は、暗記カードによる記憶の方が強く残っているだろう。
でも、時間が経つと、エピソード記憶というのは抜けていってしまう。
そして、暗記カード作成というエピソードは、反復することができない。
一度作ったら出来上がり、だからね。
これに対し、サブノート的な教材は、グルグル回すことができる。
エピソード記憶を、繰り返し刺激することができる。
この点でも、サブノート的な教材に軍配が上がるのでは。
暗記カードの記載事項の朗読・録音を聞くのも、朗読・録音というエピソードを繰り返していないという点で、同様の問題があるかも。
実際問題として、これによる記憶は正確性は高いんだけど、賞味期限が短すぎるんだよね。1時間くらいが限度。
口述では、本番の1時間前にはもう集合しているはず。
そして、集合場所では確か、イヤホン禁止。
だから、使えない方法論かもしれない。
前に、「暗記より理解」というのは、「暗記に資する理解は有用」という意味で捉えるべきだということを書いたけど、捉え方が少し変わってきた。
「暗記」とは、意味記憶の一種。
「理解」とは、エピソード記憶の一種。
「暗記」も「理解」も、「記憶」の一種。
自分の能力・目的に適した「記憶」の形態を、選択すべき。
今はこう考えている。
勉強会に、「記憶」に資する限度で「理解」するという方がいて、それをいくつか実践してもらった。
例えば、民訴の上訴の要件5~6個をただ並列的に覚えるのではなく、まず形式的要件・実質的要件に分け、さらにその中で分類するというもの。
断片的な意味記憶にエピソード付けする、ということなんだろう。
156348957という数字も、156-348-957とグループ分けすれば覚えやすくなる、というのと似てる。
確かに昔、一夜漬け常習者だった頃(今でもか)は、そんな感じのことを無意識にやっていたな~と思った。
そこからヒントをいただいて、考えを進めることができました。
ありがとうございます。
口述過去問も、もうすぐ2周目が終わりそう。
最近、基礎知識の記憶確認の勉強会の予習がメインになっている。
その中で、どうすれば楽しく・楽に記憶できるか、模索している。
記憶の作業自体はまだあまり楽しくないが、この方法論の模索が楽しいからか、少なくとも苦痛ではなくなってきた。
以前では考えられない大進歩。
前に紹介した、記憶のメカニズム本を読んだおかげだ。
で、最近思い始めたんだけど。
ひょっとしたら、暗記事項をカード化して覚えるという方法は、あまり効率が良くないかも。
暗記カードによる記憶よりも、サブノート的な教材にチェックペンを引き、チェックシートで隠して記憶した方が、残りがいいような実感がある。
当初は、暗記カードの方が、文脈に頼らず完全な暗記を強いられるので、記憶の正確性が高まるだろうと思っていた。
(以下、記憶のメカニズム本に出てきた概念を説明なく使う。)
でも、これって意味記憶としての性格が強い。
これに対し、サブノート的な教材は、暗記カードよりは文章的な流れがある。
また、どこに何が書いてあったか、という場所的な記憶も絡められる。(これがかなり重要な気がする)
つまり、エピソード記憶という性格が強い。
そして、中学時代以降は、意味記憶よりもエピソード記憶の方が優勢になるらしい。
ただ、暗記カードを自分で作ることで、エピソード記憶が形成される面はあると思う。
だから、暗記カードを作った直後は、暗記カードによる記憶の方が強く残っているだろう。
でも、時間が経つと、エピソード記憶というのは抜けていってしまう。
そして、暗記カード作成というエピソードは、反復することができない。
一度作ったら出来上がり、だからね。
これに対し、サブノート的な教材は、グルグル回すことができる。
エピソード記憶を、繰り返し刺激することができる。
この点でも、サブノート的な教材に軍配が上がるのでは。
暗記カードの記載事項の朗読・録音を聞くのも、朗読・録音というエピソードを繰り返していないという点で、同様の問題があるかも。
実際問題として、これによる記憶は正確性は高いんだけど、賞味期限が短すぎるんだよね。1時間くらいが限度。
口述では、本番の1時間前にはもう集合しているはず。
そして、集合場所では確か、イヤホン禁止。
だから、使えない方法論かもしれない。
前に、「暗記より理解」というのは、「暗記に資する理解は有用」という意味で捉えるべきだということを書いたけど、捉え方が少し変わってきた。
「暗記」とは、意味記憶の一種。
「理解」とは、エピソード記憶の一種。
「暗記」も「理解」も、「記憶」の一種。
自分の能力・目的に適した「記憶」の形態を、選択すべき。
今はこう考えている。
勉強会に、「記憶」に資する限度で「理解」するという方がいて、それをいくつか実践してもらった。
例えば、民訴の上訴の要件5~6個をただ並列的に覚えるのではなく、まず形式的要件・実質的要件に分け、さらにその中で分類するというもの。
断片的な意味記憶にエピソード付けする、ということなんだろう。
156348957という数字も、156-348-957とグループ分けすれば覚えやすくなる、というのと似てる。
確かに昔、一夜漬け常習者だった頃(今でもか)は、そんな感じのことを無意識にやっていたな~と思った。
そこからヒントをいただいて、考えを進めることができました。
ありがとうございます。